第12話

「っ、はふぅ」

「あ〜ようやく落ち着いてきたかも」

 

 人の往来を漠然と眺めながらキャッサバ……じゃなくてタピオカミルクティーをすする。カエルの卵みたいだが、若者にはこれが流行ってるらしい。両生類ブームなのだろうか。

 

「私はまだちょっときてるわ……」

「やめてよ。言われたらぶり返してきた気がする」

「「はぁ」」

 

 両者の間にはどんよりと灰色の空気が居座って離れない。店も明るく、道行く人々の顔も朗らかなのにここだけ葬式状態だった。早く離れないと集客に悪影響が出て業務妨害で訴えられかもしれないが、もう少し時間をくれ。損失はこの馬鹿が補償する。

 

 というのもこの馬鹿、私のハンバーガーだけでなく、自分のにもウルトラデスソースを入れてしまってたらしい。

 私とココアが飲めた後、ウッキウキで噛り付いたら……その先は言わなくても十分だろう。

 じゃあ、ソースを上手く取り去ればいいだろと言われそうだが、私だってしようとしたのだ。

 

「店員さん……怖えよ」

 

 しかしながら目力ステータス極振りの外国人店員さんがやってきて一言。

 

「オノコシダメ、food lossヲブッコワス」

 

 そしてなぜか戻ってくれず見張られた。私と茜はファーストコンタクトで受けたダメージに戦々恐々しながら、バンズをめくり、刺激臭に鼻を曲げ、添え物のポテト一本にありったけのソースを纏わせて一口で短期決着を図ったのだった。

 

 う、思い出したくない。

 

 香辛料の発汗効果でじんわり濡れた背に冬の風が体当たり。

 

 お願いだからやめて欲しい。寒い。

 

 散々な目にあっただけでなく、本命の本体の味は記憶できていない。アメリカンベーコンチーズバーガーは今や遺影の額の中だ。あんなに楽しみにしてたのに。

 

 私が一体何をしたんだ。今日は厄日なのか。

 

 結局、完食してもなお刺激は休むことを知らず、店を出た私達はこうしてただいま、タピオカミルクティーで口をねぎらってる最中だった。

 

「あー明日お尻が痛くなる」

 

 臀部でんぶをさすって明日を心配しているが、全ての元凶は茜だ。こいつはソース一瓶一気飲みくらいの償いは然るべきだろう。

 太いストローで少し大きい黒粒をツボッと吸う。

 

「ちゃんと楽しくタピろうと思ってたのに、こんなことになるなんて〜」

「被害者面してんじゃねぇぞ。私が一番の被害者だ。指詰めろ」

「ひぇ〜まりーがヤクザだ〜」

 

 茜のデコにナイフを突き立て……はせずに。

 

「あうっ」

 

 デコピン。

 

「申し訳なく思ってるならこれ捨ててきて」

 

 中身がなくなったプラスチック容器を押し付けた。

 

「行かなきゃだよねー、はーい」

 

 ゴタゴタあって既に一時半。

 ゴミをきちんと捨ててから、添乗員茜の安心の『あ』の字も無いナビが再開だ。

 

 早く終わってくれ。

 

「どこ行くの?」

 

 どうせ答えてもらえないだろうが、聞くだけ聞いておこう。

 

「目的地は特に無くて通りをぶらぶらしまーす」

 

 予想と違って、ちゃんと聞けた。

 

「じゃあ、ただのウォーキングか」

「それは違うな。ウィンドウショッピングと言ってくれ」

「私が唯一欲している脳用外付けハードディスクがこんなとこにあるとは思えないが」

「ちょっと何言ってるか分からないねー」

 

 分かんねぇだろうよ、必要ないもんな。

 

「私がここで欲しているものは無いってこと」

「まぁまぁ、思い掛けない出会いがウィンドウショッピングの良いとこだよ。衝動買い〜って」

「じゃあ気になるアイテムがあったら、覚えておいてアマゾンで注文するわ」

「すさまじきもの」

「安いからね」

 

 ネットショッピングのほうが外に出ないで済むので愛用していた。確かに時代は変わっていくのだ。ほんの十数年しか生きていないが幼少期とは比べ物にならない利便性だ。

 

「まー楽しんでよ。折角のデートなんだし」

「あー聞きたくない聞きたくない」

「Excuse me?」

 

 突然、ハッキリとした流暢りゅうちょうな発音の英語が聞こえた。ネイティブ、と幾度も行ってきたリスニングを思い出す。

 

 外国人多いもんな。英語が耳に入るのはおかしくない……え、てか私に言った?

 

 横を見る。

 そこにはせわしない瞬きで困っていると顔に隙間なく書かれた金髪英国紳士がいた。

 刹那、私は硬直するが、この人は私に救いを求めていると判断できる。つまりさっきのリスニングテスト顔負けスピーキングの宛先は私だ。

 

 わ、私かよ……。

 

「H……Hi」

「Oh thank you. Anybody answerd. By the way, don't you know my smartphone?」

 

 ええ? スマホなんて知らないけど。

 

 テストで聞く英文より断然早い。油断すると聞き逃してしまう。

 突然街中で始まった実践テストに私は唾を一つ飲んだ。

 

「I can’t find mine. I may have dropped it. But unfortunately, I don’t know where I lost. Without it, I can’t contact my friends and even go to the hamburger shop. 」

 

 えっと、要は落としたスマホ知らないかってことでしょ。知らないから知らないって答えれば……。

 

「……I don’t ノウ」

 

 あ、あれ?

 

 謎に緊張して口が回らない。おかげさまで日本人丸出しカタカナ英語がこんにちは。このままでは英検準一級の肩書きが廃ってしまう。

 

「OK.」

 

 よかった見逃してくれる。

 

「Would you please look around with me? I need my smartphone right away.」

 

 一緒に探して欲しい……って。

 

「え? あ、I……」

 

 まずい、適切な理由が分からない。めんどくさいから? 面と向かっては言えない。てかめんどくさいって何て言うんだ。

 

 しどろもどろで答えられないまま見つめられる。

 この人も悪気は無くて、本当にスマホが必要で余裕を持てないのだろう。だがその必死な目線は結果的に、射竦められた私の焦りを増長し、適切な返答を更に遠いものにする。

 手に力が入り、汗が滲む。

 さっきの辛かったのにまだ汗が出るのかと関係無い考えが浮かんだ。

 

 落ち着け私。私ならできる。日頃の英語の勉強を思い出せ。

 

「I ドントハブ time」

「Please! My friends may be waiting me at meeting place. I have to find out where it is. I've never been here!」

 

 え、あ、知らん! こっちもこっちの都合があるんだよ!

 

 彼のもがくような、わらにもすがるような形相を前にして、勉強に関して自信満々な頭脳はその用をなしていなかった。

 相手の焦りが伝播でんぱしてこちらも焦り、英文はおろか、それにトランスレーションする適切な日本文すら思い浮かばない。

 

 もう、誰かどうにかして!

 

「Sorry,sir. We don’t have time.」

 

 え、誰が?

 

「I……I see. But I don't think anyone will talk like you. If I lose this chance, I might not……」

「Take it easy. There is…… あー police station nearby.」

 

 茜……?

 

 急に私と彼の会話にするっと介入してきたのは、あろうことか隣の茜だった。

 突如現れた意外過ぎる救世主に私はだらしなく口を開けていることしかできない。会話なんて成立していなかった私と違い、茜は随分と落ち着いたリズムで情報を伝えている。

 茜ってば、英語の成績は良くないはずのに……。

 

「Really?」

「Of course. You can get helps. Police men are better than us to rery.」

「Where is it?」

「Well……」

 

 それから彼女は笑顔絶やさず、かなりの箇所で詰まったものの、交番までの道のりを教え上げた。間違ってると気づく単語や文法もあったが、肝心の部分は伝わったのだろう。男性のほうも茜の笑顔にあてられたのか、段々と落ち着きを取り戻していき、最後には「Thank you very much!」と晴れ間がのぞんだかのように去っていった。

 

「ふぅ……緊張した」

「……」

「まりー?」

 

 私は俯いていた。

 茜と合わせる顔が無い。

 なにもできなかった。

 普段あれ程勉強に関して得意げにしていたのに、いざ実践となってみればこのザマだった。大した返事もできず、頭はぐちゃぐちゃ。座学しかできないなんちゃってエリートと同族だったというわけだ。

 

「大丈夫?」

 

 茜が顔を覗き込む。首を振ってかわす。

 風で吹かれた髪がカーテンとなって顔を隠してくれた。

 

 無力。情けなくって苦しい。悔しくて苦しい。

 

「どしたの? あ、私が急に英語話してビックリしたんでしょ? あれね〜アメリカ留学のおかげなんだよ〜」

「……」

「だけどさ〜いっくら向こうに住んでみても、文法とかはちんぷんかんぷんなんだよね。さっきのも半分は勢いと手の感じだし。だからテストはできないし。まりーからしたら間違いだらけだったでしょ。てか交番ってポリスステーションじゃないよね、にはは」

 

 お前はいくらいい成績を残しても実際には役に立たない。

 

 そんな皮肉を言われている気がしてならない。

 茜からしたら、普段学力マウントしてくる私の無能っぷりが明るみになったのだ。その鬱憤うっぷんを何倍にもして返せるチャンスなのだから利用しない手はない。今顔を上げれば、茜はきっと嘲笑を浮かべている。

 

 私ってダッサ……。

 

「まりー」

 

 肩に手の重みを感じる。

「やめてよ」と振り払う私。

 

「別にあんたのしたり顔なんて見たくない。どうせなにもできなかった私でニヤついてるんでしょ」

 

 その顔を想像してまた苦しくなった。今日何度目になるか分からない、帰ってやるという意思がいよいよ現実味を帯びてきて、脚を持ち上げようとしている。

 このまま逃げ帰ってなにもなかったように明日の日光を受け入れる。

 それもいい、と私が思いかけたとき。

 

「まりー」

 

 頭部を挟まれ、強引に上を向かせられた。

 耳が熱い温度に包まれる。

 茜の手だった。

 

「私は馬鹿にしたような顔してる?」

「…………してない」

 

 笑っていた。

 しかしその笑顔は人を解きほぐして心の平和を呼ぶ、私の被害妄想を文字通り一笑に付す笑顔だ。

 身体が抱き寄せられ、メガネのパッドが少し痛い。鼻が衣服に当たり、茜の香りがふわりとなぞった。

 それを最後に私は肩の力を抜いたのだった。

 身を委ねるように。

 

「人には得意と不得意があるんだからしょうがないよ」

 

 されるがままだった。

 無防備だな、とぼんやり思う。外界から胸の真ん中へと通じる道は、全ての門が閂を外して開放されていた。

 

「実行するのは私、考えるのはまりー。今までとおんなじように協力すればいいんだよ」

「……」

「さっきみたいなときはまりーは後ろから教えてくれればいい。ね、簡単でしょ?」

「……」

 

 私達は幼い頃からそうやって分担して補い合ってきて、今に至る。

 それと同じようにすればいい。

 耳から入った言葉は容易く正常に処理される。

 しかし理解はできても、納得は別物だった。

 

 茜の背に回した手はシワが残ってしまう程、コートをきつく握っていた。いつも完全であろうとする私は、今や知らないうちに弱くなっている。

 

 さっきの失敗にやられたんだな。

 

 人の流れの岸部で抱き合う私達を客観視して、無防備になった理由をそう結論づけた。

 そうすることで危うく喉から漏れ出そうになっていた言葉、紫水茉莉花には相応しくないそれに待ったをかける。

 

 絶対言えるわけない。だって言っちゃったら、まるで私が……。

 

「どうしたの?」

「……なんでもない」

「そう、じゃあ行こっか」

「うん」

 

 次なる場を目指して道端を出発する。

 

『でも茜はもういなくなるでしょ』という秘めた言葉は捨てられた空き缶の隣に置き去って行った。

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