アルバイトを始めたらモテ出した件〜元天才キックボクサーにラブコメは不要です〜

無糖のアールグレイ

第1話 ノワールキックボクシングジム

◆スマッシュブラザーズ


​「お前等っ!もうすぐ若い女性が体験でやって来る。絶対に入会してもらうぞおおお!!」

「うおおおおおおおおおっ!!!」


​男達はホワイトボードの前に立つと、大地を揺らしそうな熱量で雄叫びを上げた。


​「書記は新田!司会はこの俺、三田が務める!意見のある奴は挙手してガンガン発言してくれ」

「はい!」

「はい!福井くん、言ってみろ!」

「清潔感が第一だと思います。つまり、今から皆で清掃活動を行うのはどうでしょうか?」


​皆が、フルフルと首を横に振った。


​「うちのジムは、清掃がいき届いている。これ以上は難しいだろうな」

「確かに。コーチ陣が清掃に力を入れているしなあ……」

「うむ」


微妙にしんみりとした空気が流れた後、三田さんは再びそれを切り裂くように声を張り上げた。


「さあ!他にはないか?」

「はい!清潔感のない男。つまりブサイクをジムから追い出すのはどうでしょう!?」

「いい案だ!イケメンだけの方が、テンション上がるだろうし!」


​三田さんは、周りを見渡してから大きなため息を吐くと、その長めの前髪をかき上げる。


​「何だ……俺以外は失格アウトか」

「「「テメエが真っ先に表出ろやあ!!」」」


​そうして始まる場外乱闘スマッシュブラザーズ


​男達は立ち上がると、罵り合いながら取っ組み合いをはじめた。

​何故、彼等はこんなにも醜い争いをしているのか?

​それを説明するためには、話を数十分だけ遡る必要がある。



​◆無料体験


「アイッ!!」

「シッ!シッ!」


​ジムを回りながら、会員さんたちの練習を見守る俺。そんな時、一人の会員さんが、サンドバッグを前にして、首を傾けながらミドルキックの練習に励んでいた。


​「村瀬コーチ。どうしたら、ムエタイ選手みたいに強く蹴れますかね?」

「そうですね」


​そんな彼に近付くと、簡単な指導をさせて貰うことに。


​「蹴り足は鞭のようにしならせて、当たる瞬間にだけ力を入れるイメージです。軸足は、強く返す意識を持ちましょうか。そして、最短距離で蹴ります。見ていてください……シッ!!」


​会員さん達に見られながら、俺はサンドバッグを強く蹴り上げた。その瞬間──バジジンッ!!──そんな、破裂音がジムの中に響いた。


​サンドバッグは縦方向に大きく跳ね上がり、勢い良く落下してくる。支えている鎖が揺れ、ジャラ!!ジャガン!と、けたたましい音をたてた。


​「うおっ……!すっげぇ……!!」

「サンドバッグって、あんな風に持ち上がるものなのか……?」

「いや、村瀬アイツが異常なだけだよ」


​その光景に、目を見開く会員さん達。そんな彼等は、一呼吸を置くと再びサンドバッグを蹴りはじめた。


​(うん!……意識が大分良くなってきた)


​「おおい!村瀬。ちょっと来てくれ!」


​その時、会長からお呼びが掛かり、俺は小走りでそちらへと向かった。


​「会長、どうしました?」

「いや、急で悪いんだけどよ。この後の無料体験、お前が担当してくれんか?」

「それは構いませんが……」


​いつもなら会長が自ら担当しているはず。体験者としても、その方が安心だろうに。

​「これを見ろ」


​会長がスッと差し出したタブレットには、お問い合わせフォームが表示されていた。


​「……25歳、女性?マジっすか」

​「そうなんだよ!若い女を前にすると極度に緊張するのは、お前も知っているだろう?」


​客商売をやっていながら、いまだに若い女性とまともに話せないらしい。いや、無理もないか。会長が現役の頃は女性会員など皆無だっただろうし、現在このジムにいるのは会長と同い年くらいの婦人だけだ。


​「しっかし、この雪谷椿姫さん?……よく来る気になりましたね」


​ジムを見渡す。汗と熱気のミルフィーユ。普通の女性が足を踏み入れる空間ではない。


​「以前ホームページをリニューアルしてくれた担当が、『女性にも検索してもらいやすいようにしましょう!』って言ってたんだ。その成果かもしれない」

「なるほど」


​そう言って頷く俺だったが、気懸かりが一つ生まれた。


​今しがた、会員の新田さんが邪悪な笑みを浮かべながら、俺達の会話を盗み聞きしていたような?


​(……皆でホワイトボードの前に集まっているし)


​疑問に思った俺は、テクテクと彼らの方へと歩みを寄せた。



​◆雪谷椿姫の来店


​そして現在に至るわけだ。


​「「オオオオオオッッ!!」」


​男達の不毛な争いは激化の一途を辿っていた。互いが互いの容姿を余りにも的確にこき下ろしあったことにより、皆のライフは限りなくゼロである。


​それでも男達は口を止めない。泣きそうになりながらも、互いの悪口を言い合っては傷つけ合う。その光景は普通に見苦しかった。


​そんな時、チリン!と扉を開ける鈴の音が響き渡り、ふと視線をそちらへと向ける。


​「こんにちは。体験をお願いしていた雪谷です」


​透き通った美しい声。​その声に、ジムの男たちが一斉に動きを止めた。誰もがその女性に釘付けになる。


​雪のように白い肌。美しく長い黒髪に、彫刻のように通った鼻筋。そして、深く、底の見えない黒い瞳。

​『綺麗』という言葉を体現したような女性が、そこに立っていた。


​ピシッ!と、固まる男たち。口を開けたまま目をパチパチさせる会長。さながら、太陽を見てしまったモグラだ。


​(クッ!目をやられたか……!)


​会長は使い物にならないと判断し、俺は一人で最後までやり遂げる決意を固めると、彼女の方へと歩みを寄せた。


​「はじめまして。本日担当させていただきます、トレーナーの村瀬蓮司むらせれんじです」

「雪谷です。本日は宜しくお願いします」


​彼女は凛とした瞳で真っ直ぐに俺を見つめてくる。​気恥ずかしさを感じ、足早に話を続けた。


​「あちらが女性用更衣室です。お着替えが終わったら、こちらまで来ていただけますか?」

「はい、分かりました」


​彼女が更衣室に入っていく。その瞬間、男たちが一斉に俺の元へと詰め寄ってきた。


​【ダダダダダダダダッ!!!】


​「おい、あの別嬪さんは誰だ!?女優か!」

「普通に無料体験の方ですよ……いいですか!?くれぐれも変なちょっかいは出さないように」


​男たちは無言で、深くコクリと頷くと、プシュー、と互いの身体にファブリーズをかけ合い始めた。


​「うおおお!口に入ったあ!?」

「何度も股間にかけてくんな!……えっ、臭くないよな?」

「色んな匂いを混ぜれば効果が上がっか?」


​そんな中、ガチャリと更衣室のドアが開かれた。


​その音に、再び動きを止めて固唾を呑む男達。彼らの視線が一斉に更衣室の入り口に集中する。

​そして、その奥から雪谷さんが姿を現した。両手で髪を結いながら、スタスタとこちらへと向かってくる。


​周囲を見ると、会長は相変わらず口を開けて固まっている。会員さん達は、彼女のポニーテールをガンギマった目で追っていた。それはさながら、目の前にニンジンをぶら下げられた馬のようだ。


​「あの、着替え終わりました」


​しかし、俺はプロだ。相手がどれだけ美人でも関係ない。そう自分に言い聞かせながら、彼女の前に立つ。


​「雪谷さん。それでは体験を始めましょうか」


​俺がそう言った瞬間。

彼女の目が、僅かに見開かれた気がした。


​「村瀬さん……私達、以前お会いしたことありませんでしたか?」

「えっ……?」

会ったことは……ないよな?……なのに何故だろう。


​彼女の顔をよく見ると、嬉しいような、悲しいような……ひどく懐かしい感覚が、全身を包みだしたのは──


​「いえ、初対面だと思いますが……」


​俺達は少しの間、時が止まったようにお互いの顔を見つめ合っていた。

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