供養箱

@kyu_su

お題【キスの間接表現】

染まり始めたそれを隠したくて本を広げる。

文字に目を向けようとするも、視線は行間を彷徨い続ける。

気付かれないように浅く呼吸をする。

気付かれたくて少しだけ視線を外に向ける。

夕立が去り涼んだ教室。

西日も傾き茈に塗られた雲に、少しの風が髪を揺らす。

眩しくて逸らした視線に映り込む影。

私と、彼との間に隙間はない。

喉を動かそうとして──完全下校の鐘が鳴る。

開いたままに動かない口と動き出して止まらない体。

掛けたい言葉とは裏腹に。

『鍵、閉めるよ』と少しばかり高い声で告げる口。

『おう、』と小さく呟いて動き出す背中を見つめることしか出来ない。

ふと、【初めてはレモン味】だなんて大嘘だと思う。

少なくともレモンではない、何かもっと苦味の強いモノだと例を探すが、良い例えが浮かばない。

何も無かったように歩く彼を眺めて、幻だったのかもしれないと寂しくなる。

鍵を返して下駄箱に降り、口元に残る苦味に気付く。

結局何かを思い出せないまま靴を替えようとして、小さな包みを見付ける。

目立つ文字で《82%》と書かれたパッケージに合点が行く。

普段苦いものは食べないが、今日だけは口にしたくて袋を開ける。

少し齧って、苦さに噎(む)せて、同じ味だったことが少し嬉しくて。

「きっともう食べることは無いけど、この味はずっと忘れないんだろうな」なんて口に出してみる。

空ももう黒に染まり始めて、白い月の光が中庭にポツリと浮かんでいる。

先生の足音で現実に戻り、急いで校門を出る。

きっと明日は昨日と同じ。それでも味は忘れられない。

玄関に手を掛けて深呼吸をする。

『何もなかった。明日も同じ。』

言い聞かせてから扉を開ける。

「ただいま」の声にすぐ返ってくる『おかえり』を噛み締めて、ここから先はいつも通りと、もう一度だけ言い聞かせる。

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