第24話 兆しの裂け目
### 第24話「兆しの裂け目」
翌朝の〈レグナス〉は、いつもと変わらぬ賑わいを装っていた。市場には果物の香りが漂い、子どもたちが追いかけっこをしていた。だが篠森蓮の目には、その光景が薄い膜に覆われた幻のように映った。笑顔の裏で、どこかぎこちない沈黙が揺れていたからだ。
空を仰ぐと、青空の一角が僅かに歪んでいる。赤黒い亀裂が糸のように走り、すぐに消えた。周囲の人々は気づかず、ただ日常を続けている。蓮だけが息を呑んだ。
「……裂け目が広がってる」
呟きは風に紛れたが、隣にいたユリスには届いていた。彼女は視線を空に走らせ、眉を寄せる。
「もう隠せないかもしれないね」
二人の間に沈黙が落ちる。だがその沈黙は、市民が強いられた沈黙とは違っていた。確かに、共に立つ者の沈黙だった。
*
一方、境界守の会議室では緊迫した議論が続いていた。アルマが机に地図を広げ、指で円を描く。その円は首都を中心に赤く染まっていた。
「崩壊の浸蝕は進行している。今や街全体が裂け目の周辺にあると考えてよい」
ガランが低く唸る。「防衛線を広げろ。城壁の外に拠点を置き、裂け目を封じ込めるべきだ」
「無意味だ」イオが冷静に返す。「裂け目は場所を選ばない。修復も追いつかなくなっている。問題は“誰が呼び水になっているか”だ」
室内の視線が一斉に蓮へと向かう。彼は何も言えず、拳を握りしめた。ユリスが即座に口を開く。
「蓮を疑う前に、裂け目の主を探すべきだわ」
その声は鋭く、室内の空気を切り裂いた。アルマは短く目を閉じ、思案の表情を浮かべる。
「……真実は時間が暴く。我々に残された時間は、そう長くはない」
*
夜。街の外れ、崩れた古塔の影で、セラはひとり術を唱えていた。掌に灯る光は微かに震え、塔の壁に赤黒い紋が浮かび上がる。修復が追いつかない傷跡が、確かにそこにあった。
「こんなに早く……」
声が震える。寿命を削る術を使わなければ、裂け目はすぐに街へ流れ込む。彼女は躊躇しつつも光を強めた。頬が蒼白に染まり、膝が震える。それでも手を止めることはできなかった。
*
その頃、蓮は夢を見ていた。赤黒い大地に立ち、裂け目の向こうから影が這い出す。巨きな瞳がこちらを見つめ、声が響く。
――近い。選択の時は近い。境界は裂け、均衡は崩れる。
蓮は目を覚ました。汗が背を濡らし、心臓が暴れるように打っていた。窓の外には星が瞬いている。だがその奥に、亀裂の光が確かに揺れていた。
「……もう逃げられないんだな」
呟きは夜に吸い込まれ、裂け目の先から再び囁きが返ってきた。
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