第17話 修復の代償

### 第17話「修復の代償」


 戦いの後、首都北門の広場には沈黙が落ちていた。巨屍の群れは撃退されたが、石畳の割れ目や焼け焦げた建物の影が、確かに死闘の痕跡を刻んでいる。だが、それらはすぐに修復の光で覆い隠され、やがて何事もなかったかのような街並みに戻っていく。市民たちは朝の市場の準備を始め、笑い声さえ広がりつつあった。


 篠森蓮はその光景を見つめ、胸の奥で冷たい重石を感じていた。つい先ほどまで血が飛び散り、仲間の死体が転がっていたはずの場所に、今はパンを焼く香りが漂っている。矛盾は視覚よりも心を侵食し、現実感を奪っていった。


「……見えなくなるんだな。全部」


 小さな呟きは誰に届くこともなく、修復の光に飲み込まれた。



 宿営地の医療棟では、セラが簡素な寝台に横たわっていた。顔は蒼白で、呼吸は浅い。修復術を繰り返した代償で、彼女の命の糸は確かに削られていた。傍らにはユリスが椅子に座り、必死に手を握っている。


「セラ、ねえ……聞こえる?」


 返事はなかった。だがセラの唇が微かに動き、言葉にならない声が漏れる。ユリスは涙を堪え、笑顔を作ろうとした。


「大丈夫だよ。あなたが救った人たち、みんな元気に歩いてる。だから、だから……」


 その声は途中で震えた。蓮は扉口からその光景を見つめ、背筋に冷たい感覚を覚える。修復で救われた命。その代わりに削られたセラの時間。その均衡が、どれだけ多くの犠牲に支えられているのか。



 夜、蓮は宿営地を抜け出した。広場にはもう血の跡はなく、整然とした石畳が月明かりを反射していた。静寂の中で、彼は両手を見下ろす。指先にはまだ、戦いの熱が残っている気がした。


 瞼を閉じれば、倒れた巨屍の瞳が浮かぶ。かつての仲間の顔が虚ろに笑い、砂鉄へと崩れる光景。胸が軋み、呼吸が荒くなる。耳の奥に声が忍び込んだ。


 ――差し出せ。代償を、こちらに。


「やめろ……俺は……!」


 蓮は頭を抱え、膝をついた。夜風が冷たく、しかし赤黒い波は熱を帯びて体を焼く。どちらが現実なのか分からなくなる。足元の石畳が脈打つように見え、視界の端で影が揺れた。


「蓮!」


 駆け寄ったのはユリスだった。彼女の声に意識が引き戻され、波の熱がわずかに収まる。ユリスは肩で息をしながら蓮を抱きとめた。


「一人で抱え込まないで……私がいるんだから」


 その言葉は不器用で、けれど確かな温もりを持っていた。蓮は額を押さえ、苦笑にも似た吐息を漏らす。赤黒い残響はまだ胸の奥でざわめいていたが、ユリスの手の感触がかろうじて現実に繋ぎ止めていた。



 翌朝、境界守の会議室。イオが記録結晶を掲げ、冷静に報告を続けていた。


「今回の戦闘による齟齬は小。だが犠牲の数は十二。修復により街は完全に復元された。……しかし記録が示す通り、代償として残された者の寿命は確実に削られている」


 その言葉に室内が重く沈んだ。アルマは黙って結晶を受け取り、目を閉じる。ガランは拳を握り、机を揺らした。


「いつまで続ける……こんなやり方を」


 誰も答えなかった。だが蓮の耳には、まだ昨夜の囁きが残っていた。


 ――おまえが差し出せば、もっと救える。


 その誘惑は、どんな言葉よりも鋭く、甘かった。蓮は視線を伏せ、唇を噛み切った。鉄の味が舌に広がる。だが、それでも自分を繋ぎ止める鎖でありたかった。


 広間の窓から朝の光が差し込む。市民は笑顔で市場に向かい、修復された街は今日も平穏に見えた。だが蓮の目には、その光景が屍の上に積み上がった幻のように見えてならなかった。



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