第11話 主の囁き

### 第11話「主の囁き」


 夜の帳が下りた首都〈レグナス〉。表向きは修復によって平穏を取り戻した街も、篠森蓮にとっては息苦しいほどの沈黙に包まれていた。街路に灯る明かりも、人々の笑顔も、すべてが仮初めに見える。


 蓮は境界守の宿営地の片隅で、一人膝を抱えていた。目を閉じると、昼間に消えた人々の姿が脳裏に蘇る。修復で戻ったはずの笑顔。しかし確かに、あの瞬間に“死んだ”のだ。その記憶は、彼だけに残されている。


 ――その時、耳の奥で声がした。


 低く、ざらついた響き。夢と現実の境を侵食するように。


「……おまえは、我が子」


 心臓が跳ね、胸が焼ける。蓮は思わず辺りを見回した。だが誰もいない。仲間の境界守たちの寝息が遠くに聞こえるだけだ。


「こちらへ来い。おまえの居場所はここではない」


 声ははっきりとした意味を持ち、蓮の頭蓋を震わせる。体の芯が熱を帯び、赤黒い波が指先まで流れ出す。抑え込もうとするほど、強く脈打つ。


「やめろ……俺は……」


 額に汗が滲む。自分が人間なのか、崩壊の子なのか、境界が溶けていく。目の奥に赤黒い映像が浮かんだ。竜の眼、影獣の穴、虚淵界の暗闇。それらが自分の中にある。


 ――ふと、声が途切れた。代わりに微かな気配が背後に立った。


「蓮、大丈夫?」


 振り返ると、そこにはユリスが立っていた。薄い上着を羽織り、眠れぬ顔でこちらを見ている。彼女の瞳は不安に揺れていた。


「……声が、聞こえるんだ。俺にしか聞こえない。『我が子』だって……」


 蓮の震える言葉に、ユリスは唇を噛んだ。しばしの沈黙のあと、小さな手を彼の手に重ねる。


「怖くても、ここにいるんだよ。あなたは私と同じ、人間だから」


 その温もりが、熱を鎮める錨となった。赤黒い波がわずかに静まる。蓮は息を吐き、額を押さえた。


 夜風が通り抜け、遠くで鐘が鳴る。だが耳の奥には、まだ残響が潜んでいた。


「……おまえは、我が子」


 その囁きは消えず、蓮の心臓の奥底で脈打ち続けていた。

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