バカにつける薬

蔦永良

バカにつける薬

 博士は、バカに飲ませる薬を開発した。

「ははあ、バカにつける薬はないが、飲ませる薬はあるというわけですね。この薬は、バカにどんな作用をもたらすんです」

 錠剤が入った試験管をしげしげと眺めながら助手が言った。

「この薬は、脳の動いていない部分を活性化させるものだ。副作用として、脳の活発に動いている部分を沈静化させてしまうが……問題ないだろう。バカが脳を活発に動かしているはずなどないからな」

 博士は、テーブルの上の小さなケージを示した。

「実験用のラットだ。錠剤を細かく砕いて与えた」

 ケージの中には、簡単な迷路が作ってあった。ラットは入り口を通り、行き止まりに突き当たる。引き返したかと思うと、また行き止まりに突き当たり、また引き返して……という行動を繰り返した。

「バカになったということですか」

「そうだ。ラットは見た目の小ささに反し、迷路を覚えることができるなど、とても賢い生き物だ。それが、この有様になる」

 ラットは、また行き止まりに進んだ。

「反対に、脳の機能が低下した生物に投薬した結果が、これだ。生まれつきのバカではないのだが……」

 研究所の小部屋から、年老いた小型犬が博士に駆け寄る。研究所で飼っているが、加齢による認知機能の低下が見られている犬だ。犬は、丸めた紙を咥えて持ってきた。

 筒状の紙を受け取った博士は、それを床に広げる。白衣の胸元にさしていたボールペンを抜き取ると、犬の口元へ差し出した。犬は、心得たとばかりにボールペンを口に咥え、ペン先を紙に滑らせた。

「何事か、書いていますね。これはもしかして……」

「薬に含まれる成分について、化学式を書いているのだ。バカのお前には理解できないだろうが……」

 助手は化学式を見て、そっと目をそむけた。

「そうですね、さっぱりです」

「ははは、そうだろう。喜べ、バカのお前を人間の被検体第一号にしてやる」

 少しの間を置いてから、助手は「本当ですか」と返す。

「なんだ、嬉しくないのか。あの犬が、犬という枠組みを超えて賢くなったのを見ただろう」

「バカの自分が博士の研究に貢献できることに、感極まってしまっただけです」

「そうか、そうか。ではさっそく……」

 助手は、試験管を開けて錠剤を一粒出した。一息に飲んでしまうと、助手の体が痙攣を始める。薬が脳に作用している証拠だ。博士はその様子を、興味津々で観察した。

「ラットや犬の時よりも、痙攣の時間が長いな。脳の大きさに比例しているのか?」

 博士がぶつぶつ言っているうちに、助手の痙攣は止まった。博士は、天才になった助手に、質問を投げかけた。

「今お前が飲んだ薬、その調合の方法を示してみなさい」

 助手は、何も言わない。ただただ博士を純粋な目で見つめて、首を傾げているだけだ――

「まさか」

「くすり? くすり、チョーゴー……」

 。世間一般的には「天才」と呼ばれる助手が、薬を飲めば……どうなるかは想像にかたくない。

「これは大変だ。もう一粒飲ませよう」

 バカになったのであれば、もう一粒飲ませれば元の天才に戻るはずだ。焦った博士は、助手の口に錠剤を押し込もうとした。しかし、助手はイヤイヤと首を振って受け入れない。

「口を開けろ」

「や」

「や、じゃない。あ」

「あ」

 真似をして「あ」の形に開いた口に、博士は錠剤をほうった。

「ふう、これで一安心だ。それにしても、こいつはわしよりもバカだっただけで、賢い部類なんだな。わし天才を基準にして物事を考えてはいかんな」

 助手の体は再び痙攣する。博士は、その様子をほっとした心持ちで見つめた。

「二粒飲んだ場合でも、効果があるらしい。一度下がった知能を、元に戻すことができるようだぞ」

 痙攣が終わると、助手が床に倒れた。口からよだれが垂れて、床を汚した。

「おい、大丈夫か」

「は、か、せ」

 助手が顔を上げると、前髪の間から濁った瞳が覗いた。先ほどの純粋な光さえも失われている――

 助手はよだれと一緒に、一文字ずつ音をこぼした。

「じっ、け、ん。せ、い、こー、お、め、で、ま、す」

 それだけ伝えると、あ、とか、う、とか、意味のない音を繰り返すだけになった。意味を持った言葉は、二度と言わなくなった。

「なんてことだ。二度の服薬で、脳に負荷がかかって壊れてしまったのか――」

 博士の中で絶望と狂喜が渦を巻いた。

 博士は試験管から薬をつまみ出し、そして――

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バカにつける薬 蔦永良 @r_tsutanaga

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