いつも通り壁の修理に出かけたら大変なことに巻き込まれたんだが Gelwall Tales Vol.1

深澤惟住

第1話

「あの感じ、いまだに好きになれないんだよな」

 ダンジョンに足を踏み入れるときの、あのゼリーに顔を突っ込むような感覚。ぬめるような肌触りを想像すると、思わずうなじの毛が逆立ってしまう。

 ダンスがこう言うと、仲が良かった冒険者たちは、

「お前、この商売向いてないんだよ」

と笑ったものだ。

 だが、その時笑っていた仲間のなかで、今もダンジョンに潜っているのはダンスただ一人。ジョーグはゴブリンの集団に待ち伏せされ、ハリネズミのように矢を撃ち込まれて死んだ。ライズは『壁』の向こうに取り残され、今でも行方知れずのままだ。だいたい、無事引退できた運のいい冒険者なんか聞いたこともない。

「お前は向いてないから臆病で、だから生き残ったってことかもしれん」と言ったのはギルド酒場の店主ボガードだ。ボガードも元冒険者だが、ダンジョンで左脚の膝から先を失くしてしまい、カウンターの向こう側におさまる身分になった。

「腕は悪くない、運だっていい。経験も豊富で適当に臆病だから、死にもしない。冒険者の資質としては立派なもんだが、何しろ目立たないんだよな。パッとしない」

 パッとしないかわりに長生きできるんなら願ったりかなったりだよ、とニヤニヤ顔のボガードに捨て台詞を吐いてギルドを後にしたのが2日前のことだ。ダンスは月イチ定例の任務、ダンジョン巡回のために街を離れ、郊外の前哨地アウトポストに腰を据えていた。ここから目的のダンジョンまでは歩いて半日ほどだが、まずは今回の同行者と合流しなければならない。ダンスはボガードから仕入れた干し肉をナイフで削いでは口に含み、ゆっくりと噛みしめながら炉に火を起こしていた。

 薪の上を火の舌が踊り、本格的に炎が熾ったのを見計らったように入ってきたのは盗賊レンジャーの若者、パイパーだ。ダンスと組むのは3回目、もうすっかり顔なじみの間柄になっている。

「ようおっさん、今回もよろしく頼むよ」

「お前ね、おれが火を起こすまで外で待ってただろ? 若いんだから、こういう細かいことをめんどくさがるの、やめろよな。おれだからいいけど、そういうことで怒るやつだっているんだからな」

 おっさんは怒らないでしょ、わかってるんだよという顔でニヤニヤしているパイパー。こんなやつだが、偵察にせよ追跡にせよ、腕は確かだ。手癖が悪いなんてこともないし、信頼できる相棒だと言っていい。

「おっさんのこと、信頼してるんだからね。剣の腕も確かだけど、何より撤退の判断がいい。尻尾巻いて逃げるの、大得意だもんね」

 ダンスが怒らないのを確信しているとはいえ、いくらなんでも言い過ぎじゃないのか。つい真顔になったダンスが顔を上げると、パイパーも珍しく真顔を作っていた。

「だから、感謝してるんだよ。前回はあそこで退却してなければ全滅してた。そうならなかったのは運だけじゃない、おっさんの判断があってこそだって」

 あの時、無理していたら本当に全滅していたかどうか、それはわからない。だが前回、同じダンジョンに別の入り口から侵入したパーティは帰ってこなかった。剣士ファイター3人に盗賊レンジャー弓手アーチャー治療師ヒーラーまで連れた大所帯の彼らが、虎の子の魔術師メイジごと未帰還、つまり全滅となったのに対して、早々に撤退を決めたダンスのパーティはひとりの犠牲者もなく任務を終えたのだった。

「おれたちの仕事は、モンスターをたくさん倒すことでもダンジョンの奥深くまで侵入することでもない。求められた任務を果たすこと、それが可能なら無理する必要なんてないからな」

「そう、そういうドライなところがいいんだよ。生きて帰らなきゃ意味ないもんな、よろしくねおっさん……っと、そろそろいい匂いがしてきたじゃない?」

 井戸から汲んできた清水を張った鍋に削ったヒツジの干し肉、前哨地アウトポストに貯蔵されていたイモと香草を放り込み、塩をひとつまみ入れて根気よく煮立てると、保存食メインで仕立てたにしては十分な食事になる。

「腹が減ってるんだろうけど、あと一人来るんだからな。もうちょっと我慢してくれよ」

 いそいそと食器を取り出すパイパーに、ダンスは改めて注意を促す。そう、今回のダンジョン巡回は3人パーティ。絶対に欠かせない魔術師メイジがまだ合流していない。

「飯はおあずけかあ。ま、しょうがないかな」

 と気落ちしたパイパーに応えるように、前哨地アウトポストの古びたドアがゆっくりと開いた。


 前哨地アウトポストのドアを押し開けて入ってきたのは、魔術師メイジの証であるフード付きのローブを身にまとった人影だった。濃い紫色のローブの縁には金糸で刺繡が施され、ゆったりとしたシルエットと顔を覆うフードが、それをまとう人物の素性を隠している。

「ダンス、そしてパイパーだな。魔術師メイジのキティアラだ」

 キティアラと名乗った魔術師メイジは、ゆっくりとフードを外して顔を露わにした。ダンスとパイパーは、思わず息を吞む。

 肩まで達する髪が白いのはいい。長生きすれば誰でも白髪になる。だが、キティアラの肌は銀色、瞳は金色の輝きをたたえていた。ダンスは褐色の肌に青い瞳、砂色の短髪というよくある組み合わせ。パイパーご自慢の黒檀のような肌と髪に漆黒の瞳というタイプも、別に珍しくはない。だがキティアラのような銀の肌と金の瞳を持つ人間が存在するとは、ダンスもパイパーも想像したことすらなかった。

 口を開こうとしたパイパーを片手で制したキティアラは、

「これまでもさんざん質問されてきたから、まとめて答えておこう。『そうだ』『違う』『私だけだ』」

 すっかり毒気を抜かれて黙ってしまったパイパーに代わって、ダンスが口を開く。

「察するに、その質問は『その肌の色は生まれつきか』『魔術師メイジなら誰でもそうなのか』『親兄弟もそうなのか』かな」

「話が早くて助かる。要は気にするなということだ。ついでに言っておくが、流行り病でもない」

 キティアラはわずかな荷物を壁の棚に置くと、炉のそばに腰を下ろした。

「食事の準備をしてくれていたのだな、助かる」

 そのキティアラに対して、やっと形勢を立て直したパイパーが、軽口担当の威厳を取り戻すべく質問を投げかけた。

「か……彼女はいますか!」

 あまりのことに、ダンスとキティアラは期せずしてズッコケてしまう。

「キティアラ申し訳ない、こんなバカな話に付き合わせて。パイパー、お前ほんといい加減にしろよ。何でも口に出せばいいってもんじゃないだろ」

 なんとか立ち直ったダンスがパイパーを𠮟りつけると、パイパーは口をとがらせる。

「だってさ、気になるじゃん? どうしたって。おれ魔術師メイジときちんと話すのって初めてだし、何でも知りたいんだよ」

 そうか。前回もその前も、パイパーと組んだのは陽動が任務の小規模な別動隊だった。魔術師メイジが同行する、いわゆる本隊としての仕事は、パイパーにとっては初めてだったのだ。

 丁寧に詫びたダンスに、キティアラは苦笑いしながら応じた。

「どうも誤解があるようだが、私は女だ。別に女であることを宣伝して歩いているわけではないが」

 キティアラがローブの前を軽くくつろげると、彼女の身体を縁取るやわらかな曲線が浮かび上がった。

「で、魔術師メイジの交際事情というやつか? これは秘密が多いことなんだが、ひとつ言えるのは『自分で交際相手を選ぶことはできない』ということだ。答えになっているかな、もしパイパーが本当にこんなことを知りたいと思っていたなら、だが」

 魔術師メイジは自分たちとは違う。いや、魔術師メイジだけは特別な存在だ。それはわかっていたつもりのダンスだったが、改めてこう聞かされると思わず「ふうむ」と声に出してしまう。

「じゃあ、魔術師メイジは木の股から生まれるっていうのは……」

「さすがにこの年齢までそんなおとぎ話を信じているとは言わせないぞ、パイパー」

 たしなめるダンスだが、キティアラの切り返しはちょっと意表を突くものだった。

「木の股ではないだろうが、私だけじゃなくて魔術師メイジは自分の親が誰なのかは知らないんだ。なにしろ魔術師メイジの素質がある赤ん坊は生まれて一年で親から引き離されて、魔術院の魔術師メイジたちに育てられるからな」 

 そうなのだ。魔術師メイジはほかの人々とは育ちからして違う。すべての赤ん坊は一歳の誕生日を迎えると魔術院の検査を受ける義務があり、ここで魔術師メイジの素質ありと認められると魔術院がその養育に当たる。それから一人前と認められる十五歳まで、魔術院での厳しい修行に耐えなければならない。

 『壁』に守られたこの世界を維持していくために欠かせない魔術師メイジとは、そんな特別な人生を歩む特別な存在なのだ。


――とはいえ、キティアラだって飯は食うし、食ったら眠くなる。そこは普通の人間なんだよな。

 ダンスは前哨地アウトポストの壁に寄りかかり、見るともなく火を見つめていた。食事を終えたキティアラは、暖かく燃える炉の炎の前でゆっくりと舟を漕ぎ、居眠りを始めていた。砂利を踏みしめるパイパーの足音が、前哨地アウトポストの外から聞こえてくる。パイパーの次は、ダンスが見張りを務める順番だ。

――見張りを交代して、夜明けには出発。ようやくダンジョン巡回任務の本番開始だ。ボガードが言っていた通り、臆病さを発揮して、今回も無事帰って見せるさ。

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