21話 凪の風来坊

「搦ぇっ!!」


 蓮子の絶叫が轟くと同時に、オレ達が宿にしていたビルの廃墟が音を立てて傾き始めた。つーのも、あの蛇野郎が際限なくでかくなりやがってやがんだ。首が八つになったかと思えば肉体が膨張して四つ足になり、漆と紅を混ぜたみてェな毒々しい紫の鱗を纏う。一番最初に相手にした牛の悪魔も小さく見える程だ。それだけの巨体を朽ちた建物が支えられるはずもねェ。


 だが、そんなバケモンに目もくれず、蓮子は石像みたいになった搦を見て取り乱してやがる。

 次の瞬間、搦の石像が崩落に伴って傾き、蓮子がそれを受け止めようと、罅割れ始めた床の上に身を投げる。


 仕方がねェ。

 右腕を大きく振るってやると、放たれた包帯の束が二人にそれぞれ巻き付いて持ち上げる。


「ガキのお守りは御免だっつったろうが、馬鹿が」


 二人を引き寄せて抱え上げると同時に、利口そうな目をしたクークゥが頭を下げて一本角を包帯に引っかけると、そのままオレ達を引っ張って外へと飛び出した。意思のある境界器ってのは便利なもんだ。主人が呆けてても働く。


「搦、生きてるわよね? 嫌だ、死んじゃ嫌だ。搦っ!」


 泣き叫ぶ姿は、まるで親を見失った赤ん坊の様。両脇に二人を抱えてクークゥに飛び乗りながら、耳元でそうやって喚く甲高い声に唇を噛む。ガキの鳴き声は頭の奥に響くから嫌なんだ。


「喚くなッ! ンな暇あったら手綱握って頭回せ! てめェにできることなんもやらねェで泣いてンな!」


 落ちて来るビルの瓦礫をクークゥが飛ぶ様な足取りで避けていく。だが走りが荒ェ。オレじゃしがみつくだけで精一杯だ。それにクークゥ自身も、走っちゃいるものの何処を目指せばいいかが分からねェみてェで、踏み込みに力がねェ。


「守られてばっかじゃなくて、てめェでも助けられる様に強くなったんだろッ!」


 すると蓮子は唇を引き結んで、ぎゅっと力を込めて目を瞑る。それは滲んだ涙を断ち切るみたいで、次にその碧い瞳が見えた時には、一層強い理力と清らかさを滲ませて言う。


「うん、そうだ。ごめん! ありがと!」


 そうして蓮子は俺の前に飛び移ってクークゥに跨ると、手綱替わりの包帯を両手で握り、巧みに手繰った。するとその途端にクークゥは嘶き、鬣の青い炎を薪をくべたみたく盛らせる。同時にこれまでが歩いていたんじゃないかと思う程切れよく走り出し、風すらも追い越して倒壊するビルの下から抜け出すと、錆びた信号機の十字路で踵を返した。


 すると、真っすぐに伸びた荒れ果てたビル街の先で、もうもうと立ち上がる土煙の中に巨大な影が揺らぐ。


 いや、蠢くと言った方が正しい。陽炎みたく揺れる八つの首の影はそれぞれが意志を持っていて、あの真っ赤な目を八対十六輝かせてる。土煙が晴れていく毎にその首長竜めいたシルエットが露わになり、奴が身辺に振りまく悪魔特有の黒い瘴気が陽の光りすら遮り始める。


「オイ、これまでの雑魚共たァ格が違ェぞあいつ」

「ええ、多分悪魔共の元締めよ。八つの首を持つ蛇の悪魔。昔お兄ちゃん達が戦ったって言ってたわ。でもあれほどなんて……」


 そうして蓮子は、オレが左脇に抱える搦を振り返った。包帯を伝ってくる青い炎が石化した肌を包んで焼いている。よく見ると首筋の所の石の肌に亀裂が走り、地肌が覗いていた。


「良かった、再生の炎はちゃんと通じるみたい。となれば、まずは搦が起きるまで耐えるわよ。流石にあれには、三人じゃなきゃ勝てないわ」

「同感だ。だが……そもそも、こいつは戦えんのか? あのグラサン野郎と顔見知りだったみてェだが」


 いつもの搦なら、オレよりも早く蓮子の指示に反応出来ていたはずだ。だがコイツはあのグラサン野郎を見た驚きの余り固まっちまって、そのまま石にされやがった。

 だが蓮子は、今度はちゃんと前を睨み、戦うべき相手から目を逸らさずに言った。


「戦えるわよ。搦は私の護衛なんだから。さっきのはちょっとびっくりしちゃっただけよ」

「ハッ、ならいい」


 頷くと同時に、アスファルトの表面を激震が走り抜ける。たまらずクークゥが足をもたつかせ、蓮子が手綱を引いて落ち着かせようとした。


「いきなり何なの……て、はぁ!?」


 顔を上げた蓮子が、薄まり始めた土煙から飛び出してきた巨体を見上げた。まるでイソギンチャクか、はたまたツボから足を出している蛸の様な八首のシルエットが〝跳躍〟し、空を覆い隠して降りかかってくる。


「と、跳んだ!?」


 そうして空から八対十六の赤い視線の雨が、降り注ぐ。


「狩りは、〝頭〟使わねえとなぁ!」


 直後、まるで大槌の様に八つの頭が振り回されて叩きつけられる。蓮子がクークゥを駆って辛うじてその頭突きの雨を掻い潜ろうとするが、ただ振り下ろされるんじゃなく、全部の頭が目ん玉かっぴろげて追ってきやがるんだ。いくらなんでも避け続けるのは不可能だ。

 おまけに。


「クソッ! 頭使うって、そのまんまじゃないばか!」


 着地をした後も、俺たちを追って頭を振り下ろし続ける蛇の悪魔を振り返り、攻撃を避けようとした蓮子が反射的に叫ぶ。するとブラウスの首元でちらつく白い肌の一部が石化していた。その程度ならクークゥが鬣から噴き出す炎ですぐに剥がせたが、問題はそこじゃねェ。


「避けなきゃいけないのに、こっちは向こうを見ちゃ駄目で、向こうは八つの首が全部目見開いて追ってくる……どうしろってのよ、もう!」

「とりあえず防御はオレがする、お前は前向いて走れ! 速度落としたら終わりだぞ!」

「わかってるわよ! 任せた!」


 包帯を大きく空に向けて展開すると、集中して一本一本を操作し、左右から振り下ろされた奴の二つの首に輪をかける。直後、思い切り包帯を収縮させてやると引き寄せられた二つの額がぶつかって、二つの口が悲鳴を上げた。だが次の瞬間にはぶちぶちと引き千切られちまう。神秘を吸い取ろうにも、あんまり長い間結んでると力を吸い取る前に引っ張られてこっちが力負けするし、そもそも急造の包帯じゃ縛り続けるには強度が足りねェ。おまけに、防御の為に見上げると体の節々が固まりやがる。クークゥの背から離れたら一瞬で石像だ。


「でも耐えるだけじゃジリ貧だわ。せめて弱点を見つけられないと、搦が起きたってこのままじゃどうしようもない!」

「弱点ったって、じゃあどうする!」


 再び降り注いできた蛇の悪魔の首を包帯の伸縮機能を使って弾きつつ言うと、蓮子が叫んだ。


「こうすんのよっ!!」


 吼えると、蓮子は決断的に強く手綱代わりの包帯を握った。するとその包帯へと青い炎が流れ込み、凝縮されて輝き始める。異乗の気配。

 蓮子が唱えた。


「〝飛んで〟っ、クークゥ!」


 直後、蓮子の手元の包帯から逆流した炎がクークゥの身体を包み、オレ達を乗せる背の隙間から巨大な炎の翼が噴き出した。そうして竜巻でも起こす様に力強く羽ばたくと、地面を蹴り放って空へと駆けだす。すると火の粉を宙に振りまきながら勇ましく旋回し、額の一本角を怯んだ首の一つに向けた。


「目には目を、歯には歯を、頭には頭をよっ!」


 翼だけではなく蹄にも蒼炎を灯したクークゥは天馬となって空を駆け抜け、一本の炎の槍の如く蛇の悪魔のどたまを一つぶち抜いた。焼け焦げて飛び散る奴の肉片は黒い霧となり、残った七つの首から一斉に悲鳴が上がる。


「ぐっ、やるねぇ!!!」


 風を頬で感じつつ、蛇の悪魔の周囲を飛び回るクークゥの足取りは軽やかだ。ただオレの包帯を使っている以上、どうしても力を〝溜める〟隙が出来る。その際には廃墟の屋上に着地をするなり、または地面に降りたりして走り回り、蓮子とクークゥは縦横無尽に空を駆け回った。


 ただ、これならクークゥの背中に乗ったまま反撃が出来る。

 となりゃ、今度はその隙をオレが埋める番だ。


「蓮子、てめェとクークゥの炎もオレとリコリスに寄越せッ!」

「何か思いついたの!?」


 風に負けないように、クークゥの背で密着していても叫び合う。


「目には目を、歯には歯を、頭には頭を、だろ? 任せろ!」


 そうしてクークゥの胴回りに包帯を巻きつけると、逆流してきた蒼炎が身体に流れ込んでくる。清らかに燃え盛り、熱いというよりも暖かく、力が漲る様だ。まるで重厚な鎧を纏っているみてェな安心感があって、視界が広がり、頭が冴えてくる。


 その全能感は、まるで自分の身体の上にもう一人の自分が居る様な、世界を俯瞰的に見下ろして認識する感覚だ。蓮子の戦いにおける強靭な精神性と理性、クークゥの〝意志を持った〟境界器という特性と再生の青い炎。素材は十分だ。なら何を選択して、何を想像する。


 異乗で重要なのは明確なイメージだ。相手の神秘を構成する要素をどう解釈し、それをどうやって自分のものにするのか。

 その相手の力、武器、刃というものを心の底から信頼して、抜身のまま丸呑みし、血肉にできるのか。


「オイ、コイツ置いてくぞ」

「ちょ、置いてく? 降りる気なの? クークゥから離れたらあんたまで石になるわよ!」


 困惑する蓮子に搦を押し付け、片側二車線の道路を跨ぐ歩道橋を潜り抜けた直後、空高く右手を掲げた。

右腕に巻かれた包帯が分裂し、渦巻きながら頭上に解き放たれる。見る見るうちに増殖して枝分かれしていくと、次の瞬間には数十本ずつに束ねられていった。

 それはまるで、最初あの蛇の悪魔が人の姿から今の姿に変貌する時、赤い髪の毛が複数の蛇の頭に変じていった様に。


 頭には頭を。そう聞いた時、一番に思い出したのはあの黒マントの腐徒、陽葵のことだ。


 搦が石化された時の蓮子の泣き顔が、オレの中に僅かに残る過去の記憶の中で、ベッドの上で病の苦しみに泣き叫ぶ陽葵と重なっていた。

 だからきっと、あいつのことを思い出したんだ。

 模倣。

 目を瞑ると、クークゥの背から飛び降りた。


「風来坊っ!? 何してるの!?」


 瞼の裏の暗闇の中で、後ろから蓮子の声が聞こえる。落ちていく身体、殴りつけるように襲い掛かる風、崩れる建物と地面が揺れて軋む音。

 前方から迫る、巨大な多頭蛇。

 不思議と心が凪いだ様になって、世界の音や気配の一つ一つの輪郭が感じられる。


「自棄になったかぁ!」


 蛇の悪魔が叫んだ直後、両目をかっぴろげて唱える。


「〝真似ろ〟ッ!」


 見つめる先は蛇の悪魔じゃねェ。あいつの目を見たら石にされちまうからな。

 だから頭上、オレの右手から伸びた包帯が絡み合って出来た八つの黄金の蛇の首。それらの目元で、意志を灯す様に青い炎が爆ぜる。


 オレの代わりに、迫りくる蛇の悪魔を睨む包帯製の八ツ首蛇。青い炎を異乗し、〝意志を持った〟リコリス。

 それらが一斉に大口を開けると、蛇の悪魔の残った七つの首に噛みつきかかった。奴の方に目を向けれねェってのは戦い難いことこの上ねェが、そもそもの話だ。あいつは最初、外で見張り番をしてたクークゥに「気付かれねえ様に這って来た」と言っていた。だが石化の力が使えるなら、わざわざそんなことしなくても石にさせりゃいい。


 それが出来ないってンなら、人じゃなくて境界器は石にできねェってことだろ。


「こいつぁ、中々……!」


 飛びついてきた包帯の大蛇頭達に、頭一つ分の差で圧されつつも、蛇の悪魔は七つの首で嬉々と笑っていた。戦ってりゃ分かる。狡猾そうな奴だが、肝っ玉は随分からりとしてやがるんだ。


「なるほど、あいつが石にできるのは生き物だけってことかしら。少なくとも境界器、意志を持ったリコリスやクークゥは大丈夫そうね」


 着地したオレの横に、蓮子を乗せたクークゥがやって来る。


「ああ、とりあえずオレはこのままあいつを抑えとくぜ。お前達の炎が切れるまでは持つだろうし、そんだけ長いこと縛り付けられたら神秘もがっつり吸い取れる」

「無理はしないようにね。それじゃあ私とクークゥは、もう一つ頭を潰せないかやってみるわ。搦の石化ももうすぐ解けそうだし。そうしたら三人で一気に叩き潰すわよ」

「応ッ!」


 そうして右腕に意識を集中すると、蛇の悪魔と噛みつき合う包帯蛇達を通じて黄金色の輝きが体内に流れ込んでくる。神秘の吸収だ。それが始まったのを見て、蓮子も手綱を引いてクークゥに合図をする。


 ただその時だ。


「嗚呼、良い仲間を持ったな、搦。なら、〝俺も本気を出すとしようか〟」


 蛇の悪魔が嗤った刹那、奴は七つの首で空が割れんばかりの咆哮を放った。

 すると突如として、その〝何かの合図らしき〟咆哮の後、爆轟のような衝撃が駆ける。


「な、何っ?」


 蓮子と二人して振り返る。近くから聞こえたものじゃないのは、音の反響具合や地面の揺れを経てすぐに理解できた。だが逆に言えば、近場ではなくても伝わる程の衝撃があったんだ。


 見つめた先の道路の向こうには、聖濫を囲む壁がうっすらと見える。そしてその更に向こう、恐らく街の中から何やら黒々とした竜巻の様な瘴気が噴き出して空を突き刺している。すると大海に鯨の血が滲むみてェに青空が黒く染まっていった。眩しかった朝が、地獄の様な闇空に変わっていく。


「な、なんだありゃ……」


 風に乗って運ばれてくる甘ったるい邪悪な空気が気持ち悪ィ。明らかに世界が、風景が、塗り替えられていく。

 すると蓮子が、目を見開いて言葉を漏らした。


「まさか……クソ、そういうことね」

「あァ!? 説明しろ蓮子!」

「単純な話よ。悪魔にとって、下界は行動しづらい〝神秘が霧散してしまう〟場所。だからあいつらは通鬼孔をあけて神秘を下界に流し込み、災害を発生させて大地を乗っ取ろうとしている。でもそれって厳密には、〝通鬼孔の周りが一番災害の進行が早い〟ということでもある」

「あ? じゃあ、つまり……」

「ええ、〝聖濫の周りには既に上位三界と同じ神秘濃度が形成されている〟。そしてそれが示す所は……〝悪魔が下界での行動制限を失い、全力を出せるようになる〟。そして今のは多分、そんな聖濫周辺の高濃度の神秘を、〝ここまで押し出す為の〟、」

「よぉくわかってるじゃねぇかぁ」


 声がして二人で蛇の悪魔を見ると、いつの間にか包帯蛇達が無惨に引き千切られていた。それどころか更に奴の身体が二回りほど大きくなり、潰したはずの首も復活している。

 そうして、八対十六の赤い目が煌めく。


「しまった、クークゥ!」


 蓮子が叫ぶと、クークゥは素早く回頭して巨大な蒼炎をオレ達に吐きつけた。ただその炎の壁を撃ち抜いた一本の赤い〝光線〟が迫る。


「チッ!」


 思わず、身体が動く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る