第16話 接近~緊迫する仮想とゆるゆるの現実

 行き止まりの試し読みコーナーを眺めていた二人は、そこでUターンした。離れたところで窺っていた一ノ瀬は、彼らの後をつけることにした。

 外のどこかに待機場所でも用意しているのかな。

 だが予想に反し、彼らの足は出口に向きはしなかった。もう一周でもするかのように、出入口とは対岸の壁沿いに反対側の奥を目指して進んでいる。ただ、さっきまでのようにひとつひとつの席を注視したりはしていない。明らかに、目的を持った足取り。

 まさか出店者?

 一ノ瀬は戸惑っていた。

 闇の組織じゃなかったの? それともそんなにも手回しのいい組織だったりして。もしそうならば、はじめから私を狙い撃ち?

 ほどなく二人はひとつのブース席に入っていった。「こ列」の端から二番め。

 一ノ瀬は入り口で受け取っていたパンフレットで場所を確かめた。「こ-42」。サークル名は『星屑城』。なんの変哲もない普通の文芸サークルだった。

 二列あいだを開けた通路に身を隠し、一ノ瀬は彼らを観察する。そこにいるメンバーはを含めて全部で四人。他に仲間がいるかもしれないが、少なくとも見た感じでは怪しいところはない。テーブルの上にも他と同じように薄い本が平積みされているし、サークル名を書いたスタンドポップも立てかけてある。どこからどう見ても出店参加者だ。ある意味、今の自分の姿と同様に没個性の。

 内側に座ってペットボトルを飲んでいたが、さほど休むでもなく立ち上がり、通路側に出てきた。もう一度探索をはじめるのだろうか。さっき一緒にいた人とは別の、売り子席にいた大柄な男性が彼女のあとに付き添った。眼鏡を掛けた、公務員みたいな人。一ノ瀬は目を凝らしてみる。焦点が合ったその顔に、唐突に思いあたった。

 あの人、少し前にブースに来ていた私の読者ファンだよ。名前はたしか、いんかむげいんさん!?

 一ノ瀬の混乱は最高潮に達した。


 といんかむげいんは一ノ瀬のブースの方に向かっている。後を追う一ノ瀬はぐちゃぐちゃにされた頭で考えた。

 彼女たちは会場をブロックに分けて虱潰しをしている? 随行者が変わったのは店番との兼ね合い? 彼女だけが替わらないのは、入れ替わる前の顔を知っているのが彼女だけだから? それってもしかして、めちゃくちゃ小規模なの?

 一ノ瀬の頭の中で悪の組織の楼閣にひびが入り、端から崩れ始めていた。

 待って。ちょっと待って。それじゃああの人たちの目的は何なの? さっき追っかけてきた感じからして、私を探してるのはたぶん間違いない。そこに悪意や害意があるかどうかは、ちょっとわからなくなってきたよ。だって、あの人たちの感じじゃ、とてもじゃないけど身体交換なんてトンデモ技術が開発できるようには見えないんだもん。


 一ノ瀬のブースまであと数列のところでスマートフォンが震えた。パスワードを入れて開くと、ⅩのDMが届いていた。桃山夕顔から。


――――

完売しました。

このあと片づけを始めますので、そろそろ戻って来ていただけると助かります。

――――


 今の状況で戻ると彼らと鉢合わせしてしまうが、やり過ごした後であれば大丈夫だろう。そう見当をつけた一ノ瀬は立ち止まり、「少ししたら戻ります」と返信を打つ。

 視線を戻して追跡を再開すると、それまで黙って周囲を窺っていたいんかむげいんがに話しはじめていた。彼の声は大きいので、人混みを介してでも切れ切れの単語が漏れ聞こえたりする。そばだてる一ノ瀬の耳に飛び込んできたのは「純文」やら「公募」やら。スペースあたりでよく交わされる物書き談義の断片だった。

「みう先生、なんで来なかったんだろう」

 ブースにほど近いあたりでいきなり話題にされた自分の名前に、一ノ瀬は身体を強張らせた。気取られないよう意識しながら差を詰めて、彼らの声に感度を合わせる。

「あわよくば合同で打ち上げやってじっくりお話でも聞ければ……」

 そこだけ切り取られたように、いんかむげいんの台詞が耳に飛び込んできた。

 打ち上げ? フリマが終わった後に集まりがある……てこと?

 頭の中で台詞を反芻する一ノ瀬の視線の先で、いんかむげいんが声を上げながら走り出した。虚を突かれたのか、隣のは立ち竦んでいる。

 あの先には。

 一ノ瀬の予想通り、いんかむげいんはテーブルクロスを畳む桃山の前で足を止めた。なにかを言いながら紙袋を押し付けている。

 周囲を窺い始めたに見つからないように、一ノ瀬は身体を反転させて離れていった。


「そういえばお父さま。お父さまが戻ってこられる直前にみう先生、娘さん宛の差し入れを持って来られた方がいたんです。一応お預りしたんですが、その方と一緒にいた女の子の話し声がみう先生のとそっくりで。わざわざ自分宛てのお土産を届けに来るのも変だから別人だとは思うんですけど、もしかして妹さんとかってことは……」

 段ボールの空箱をつぶす一ノ瀬に、桃山夕顔は横から話しかけてきた。二人が完全に立ち去るのを見届けて、一ノ瀬はブースに戻ったのだ。

「いや、みうは一人っ子だから、姉も妹もいない。たぶん他人の空似、でしょう」

「そっかあ」

 納得しきれない表情のまま桃山は売り上げの紙幣を数えている。「めっちゃ似てたんだけどなあ」とつぶやきながら。


 最後にテーブルに折り畳み椅子を乗せて、原状復帰の作業は終わった。周りの店がまだ開いている中、一ノ瀬は桃山に謝礼の封筒を手渡しながら切り出した。

「桃山さん、最後にひとつお願いがあるんですが」

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