第6話 律華の入学

 去年の4月、椿秋高校の入学式の日。私は体育館の端の吹奏楽部席で『祝典行進曲』を演奏していた。

 新入生が入場してくる。普通科の深緑、理数科のダークグレー、美術デザイン科の赤茶と、科ごとに制服の色が違うから、見ていて飽きない。


 新入生の入場が終わり、新入生の席には3色のブレザーがきれいに並んだ。


「えー、これより、第〇〇回椿秋高等学校入学式を開会いたします。」


 入学式が始まった。吹奏楽部は新入生退場の演奏までずっと暇だ。何の考え事をして時間を潰そうか、ぼーっと考えていたその時だった。


「新入生代表宣誓。新入生代表、理数科1年7組、五十嵐律華。」


「はい。」


 聞き覚えのある名前と声。思わず声が出そうになった。


 起立した生徒を見ると、それは確かに『北中の全能女神』、五十嵐律華であった。


 理数科のダークグレーの制服に身を包んだ律華はステージに上り、新入生代表の宣誓を読み始めた。


「え、あれ『北中の女神』じゃね? うちの高校は入ったんだ。やっば、美少女味増してんじゃん。主席入学かあ、やっぱさすがだな。」


 隣の席からバリトンサックス奏者の川谷かわたにりょうが話しかけてくる。


「吹部入るのかな。待てよ?あの子ってバスクラ奏者だよな?ってことは俺と隣で演奏するってこと!?やべえラッキーすぎる。神さまありがとー!」


 1人で想像を膨らませてべらべらと小声で話しているこの男子に、当時の私はひそかに恋心を寄せていた。


「律華ちゃんが吹部に入ったらお前バスクラ降りてベークラ※に戻れな?俺が律華ちゃんの隣になるから。」


「あぁ、そうだね。」


 私は元々普通のクラリネット奏者なのだが、このときは卒業した先輩に代わってバスクラリネットを一時的に担当していた。バスクラリネットはクラリネット属の低音楽器で、同じく低音のバリトンサックスとは隣の席で演奏することが多い。

 バスクラリネットはいわゆる裏方楽器ではあるから、普段メロディーラインをよく担当するクラリネット奏者はバスクラリネットを吹くのを嫌厭しがちだ。でも好きな人の隣で演奏できる時間が幸せで、私はバスクラリネット担当になってから毎日の部活が楽しかった。地味な私が釣り合う人ではない。そう分かっていたから、積極的にアタックはせず隣にいる幸せをかみしめていた。

 しかし、律華が入部してきたら彼女がバスクラ奏者になるのは確実だろう。彼女の演奏技術は皆知っている。この幸せな時間も終わりか。と、私は内心がっかりした。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


※ベークラ:クラリネットのこと。






 

 

 



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旧校舎、机に刻まれた名前は 八雲あめ @yakumo_ame

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