第1章:防衛装備戦術評価部隊
21世紀末、戦争は国家の独占物ではなくなっていた。
PMC(Private Military Company:民間軍事企業)――戦争の代行者として生まれた彼らは、各国が軍縮とコスト削減を進める中で急速に勢力を拡大し、やがて世界の軍事力のおよそ三分の一を握るまでに至った。
2097年――コーポレート・ウォーシンジケートと呼ばれる主要PMC連合は、突如として全世界に牙を剥いた。宣戦布告もなく、ただ冷徹に、正確に。
その日、地球規模で主要軍事拠点が一斉に炎に包まれた。アメリカ本土の空軍基地が、欧州のNATO司令部が、アジアの海軍拠点が――数分のうちに炎上し、通信網は寸断され、正規軍は対応する間もなく後手に回った。
戦争の代行者であったはずのPMCは、この瞬間から世界の征服者へと変貌したのである。
日本も例外ではなかった。沿岸部の基地群は相次いで攻撃を受け、浜松、小牧、呉――そのいずれもが数時間のうちに壊滅的打撃を受けた。
しかし、岐阜基地だけは生き残った。内陸に位置し、かつ航空実験施設を兼ねていたこの基地が、かろうじて日本に残された唯一の戦力再建の拠点となったのである。
やがて、ここからX-00計画が始まることになる。
それと時を同じく、俺は防衛装備戦術評価部隊に編入されることになった。
岐阜基地の朝は、浜松よりも乾いている気がした。山裾を流れる風が、滑走路を越えて格納庫へ走る。運搬車が忙しなく行き交い、白い箱に「X-00」と赤字で記されたステンシルが目につく。
入門ゲートの手続きを済ませると、警備隊員は一言、「こちらへ」とだけ言って前を歩いた。
ブリーフィングルームの扉が開く。
その中央に立っていたのは、黒髪を後ろで束ねた女性士官。背筋の通り方で、誰だかすぐわかった。
「来たな、長瀬二尉」
神谷静香 三等空佐。岐阜基地・防衛装備戦術評価部隊、隊長。
あの朝の声が、今度は近くで落ち着いて響く。
「神谷三佐……」
上手く声が出なかった。浜松の焦げた臭いと、崩れる機体の破片と、誰かの短い断末魔が喉にからむ。
彼女は一拍だけ間を置いて、顎を引いた。
「形式は後回しでもいい。まず座れ。――紹介を手短に済ませる」
彼女の左にいた長身の男が、静かに会釈する。
「桐生剛 二等空尉。副官を務めている。現場の段取りは俺に」
低い声。無駄のない言葉。目の奥に測量器みたいな冷静さがある。
反対側、背の高くない女性が明るく手を上げた。
「水島莉奈 三等空尉。偵察と狙撃が持ち場。新人くん、よろしく」
明るい口調なのに、視線は油断なく俺の動きを計っていた。
名前が耳を通り抜ける。頭に入らない。浜松がまだ終わっていないからだ。
最後に、白衣の男が書類を小脇に抱えて一歩出た。
「三星重工より出向、篠原貴彦です。AI部門の現場責任者。以後お見知り置きを」
細縁の眼鏡の奥の目は、眠そうで、それでいて異様に鮮やかだった。
神谷三佐がホワイトボードに手を置く。
「――では、ブリーフィングを始める。要点だけだ」
「世界同時攻撃からの数週間で、PMC連合は主要拠点を絞って制圧を進めている。日本国内では沿岸の基地が重点的に叩かれたが、内陸の本拠機能は辛うじて生きている。小牧のラインは壊滅、データと一部の人員は岐阜に移した。ここが当面の開発・実験・暫定生産の拠点だ」
彼女はスライドを送り、赤でマークされた地図を示した。
「敵は依然として正体不明。空から降下したストライダー部隊、常識外れの機動。浜松の戦闘記録は――」
桐生二尉が指先で画面を切り替える。俺の視界に、山城と古賀のコールサインが淡く浮かんで消えた。
喉の奥が熱くなる。視界のすみが滲む。水島の視線が一瞬だけこちらに来て、すぐ離れた。
「この部隊の任務は二つ」
彼女の声は低く、均一だ。
「X-00計画の評価運用。そして、次の襲撃に間に合わせること。猶予はない」
篠原が咳払いして、前へ出る。
「AIの話をしましょう。X-00の中枢には、新規格の戦術支援AIを搭載します。人格化ではない、対話最適化です。名は――SAYAKA」
S.A.Y.A.K.A. = Systematic Advanced Yard-Attack Kinetic Assistant
白衣の男の目線の先にあったモニターにはこう表示されていた。
「まずは長瀬二尉にX-00の基本運用を覚えてもらう。桐生、手順を」
「了解」桐生が淡々と告げる。「今日のうちに初期同期、明日から基礎機動訓練。三日目に制御限界テスト、一週間で模擬交戦へ入る」
水島三尉が肩をすくめる。「急ぎだね」
「急ぐしかない」桐生二尉の返しは乾いていた。
神谷三佐が俺を見た。真正面から、避け場のない眼差しで。
「長瀬二尉。あなたにX-00《HAYATE》のテストパイロットを任せる。理由は一つ――貴様が生き残ったからだ」
心臓が跳ねる。彼女は続ける。
「生き残った者には、次を繋ぐ責任がある。いいな」
返事は自然に出た。「了解」
彼女は小さく頷き、会議を閉じた。
「解散。篠原、案内を。――長瀬、行くぞ」
X-00の格納区画は、他の区画と匂いが違った。焼けた金属の匂いではなく、冷えた樹脂と新しい油の匂い。緑色の簡易シートの向こう、艶のない灰色の機体が膝を折って座っている。量産機より軽い、けれど骨格が太い。試作機の顔だ。
側腹に白い字で X-00 HAYATE。
脚の間に小さなタラップが下り、篠原が手招きした。
「乗ってください。まずは初期同期。心拍・脳波のベースラインを取ります」
コクピットは狭く、妙に静かだった。座席に沈む。ハーネスが肩を固める。周囲の黒が、ゆっくり薄い青に変わった。
無音――に見えた空間に、淡い文字が浮かぶ。
《搭乗者、生体信号確認》
《初期同期を開始します》
女の声だった。機械にありがちな平坦さなのに、どこか水面みたいな柔らかさがある。
篠原の声が外から届く。「呼吸は自然に。何も考えず、思考を流してください」
《心拍同期率 92%……95%……安定》
《脳波相関値 0.63……0.71……0.76》
《同期完了。初期挨拶プロトコルを開始します》
淡い光が一瞬だけ明滅し、声が少しだけ近づいた。
《おはようございます、長瀬海斗二尉。SAYAKAです。以後、任務中の戦術支援を担当します》
名前を呼ばれた瞬間、浜松の朝が脳裏に割り込んだ。炎、破片、呼ぶ声、切れる無線。
返事が遅れる。SAYAKAは間を測り、同じ調子で続けた。
《本日は初期同期後、基礎機動訓練を実施予定です。負荷は低めに設定されています。身体反応に異常があれば即時申告を》
無機質。なのに、拒絶ではない。
「……了解」
《了解、長瀬二尉》
名前を繰り返す時、ほんの僅かに抑揚が乗った気がした。気のせいだろう。
タラップの外で、篠原がヘッドセットを外す音がした。
「初期同期は良好。――静香三佐、いつでもいけます」
振り返ると、通路の奥に静香がいた。腕を組み、こちらを見ている。眼差しは冷静で、その奥に熱がある。
「出るぞ、長瀬二尉。訓練だ」
屋内試験走路。柱の並ぶ廊下みたいな長い空間に、白いラインと番号が刻まれている。壁面には無数のセンサー。天井のクレーンがゆっくりと動き、ガラス越しに観測室の影が揺れる。
X-00が立ち上がる。骨が軋むような低音。脚部シリンダが呼吸する。
SAYAKAが、淡々と手順を読む。
《歩行モード。出力20%。ステップA-1》
右、左。床を踏むたび、機体の内側で俺の身体がわずかに遅れて揺れる。
《姿勢制御良好。出力30%。旋回モーションB-3》
腰部が滑り、視界の柱が水平に流れる。
やがて、観測室から桐生の声が降りた。
「次。制動→反転→加速の連続。浜松で見た動きに対する追従テストだ。怖じるな。落ち着け」
《了解。カウント3から開始》
《3……2……1》
床が遠ざかり、次の瞬間、近づいた。制動、反転、加速。内臓が一歩遅れてついてくる。額に汗が滲む。
浜松の朝が、勝手に蘇る。
あのGに耐えられるのか――
山城の声。古賀の破片。大森の背中。
「……っく」
手が震えた。SAYAKAが即座に割り込む。
《心拍上昇。呼吸ガイドを開始》
《吸って――4、止めて――2、吐いて――6》
《もう一度》
リズムに合わせて肺を動かす。胸のざわめきが、少しずつ引いていく。
観測窓の向こう、神谷三佐が腕を組んだままわずかに顎を引いた。
桐生二尉の声が、湿り気のない調子で落ちる。
「続行。これは過去の戦闘ではない。今の任務だ」
水島三尉の声も入る。「視線、上げて。柱じゃなくて、出口を見て」
出口。視線を少し高く置いた。
《再開。制動→反転→加速》
今度は遅れない。内臓が機体に寄り添う。
《反応遅延 0.18→0.11秒。改善》
「いいぞ」桐生が短く言う。
神谷三佐は何も言わない。ただ、こちらを見ている。
終盤、篠原の声が少しだけ明るくなった。
「最後に模擬回避。安全限界内での二段加速を試す。SAYAKA、誘導を」
《了解。長瀬二尉、タイミングは私が出します。私の「今」でスロットルを踏み切ってください》
「今」。
《――今》
踏む。視界が伸び、柱が飛ぶ。遅れない。
《良好。もう一度――今》
踏む。床が遠ざかる。
やがて、訓練終了のベルが鳴った。X-00が膝を折り、息のような排気が漏れる。
ハーネスが外れ、コクピットの光が落ちる。外の空気が予想以上に冷たかった。
通路に出ると、神谷三佐が立っていた。間近で見ると、目は思ったより柔らかい色をしている。
「初日としては十分だ、長瀬二尉」
彼女は短く告げ、それから声の色をほんの僅かに変えた。
「――焦るな。仇を討つために急ぐのではなく、生きて勝つために急げ。いいな」
言葉が胸に刺さる。返事は自然に出た。「了解」
彼女は満足そうでも嬉しそうでもない、ただ仕事が一つ片付いたという顔で頷いた。
「今日はここまで。明日は外の走路だ。SAYAKAとの会話ログは後で渡す」
去っていく足音。
篠原が白衣の袖を捲りながら近づいてきて、気のない笑みを浮かべた。
「悪くない。君は機械に好かれるタイプかもしれない」
「機械に?」
「AIは統計の塊だ。でも、統計は誰かを好きになることがある」
冗談か本気かわからない声色でそう言って、彼は書類を抱え直した。
格納庫を出ると、山の影が長く伸びていた。
風が乾いている。浜松の潮の匂いは、もうどこにもない。
機体の骨に残った微かな振動が、まだ体の内側で続いている。
次は負けない。
それが復讐の言葉なのか、生存の誓いなのか、まだ自分でも判然としなかった。
肩越しに振り返る。灰色の巨体が、こちらを見ている気がした。
耳の奥で、淡い声が一度だけ波紋のように広がる。
《お疲れさまでした、長瀬二尉》
俺は短く答えた。
「……ああ」
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