第10話 碧は……男の人が好きなの?
間近に迫る彼の吐息に、心臓が破裂しそうなほど暴れ出す。
「杏……」
震える声で「好き……好き……」と言いながら、唇を重ねてきた。
熱に浮かされたみたいに、何度も求めてくるキス。
いつもなら余裕たっぷりで甘やかしてくるのに、今は衝動的で少し荒っぽい。
びっくりして思考が追いつかない。
「待って」と言おうとしても、すぐに口を塞がれる。
抗おうとしても
切なそうに眉を寄せたまま、必死に唇を重ねてくる碧の顔が目の前に迫る。
切実さがそのままぶつかってきて、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
息が苦しくなるほど、どうしようもなく真剣で。
このままとろけて身を任せてしまおうか……。
でも、待って。まだ肝心なことを話せてない!
首筋に熱い吐息と荒いキスが落ちたとき、ようやく声が出た。
「……碧……待って!」
それでも止まらない。
――うそ、止まらない!?
「碧!! 待ちなさいっ!!」
強い声に、ようやく碧が止まった。
はっと我に返ったように体を起こし、重みがふっと消える。
そして、怒られた子犬みたいに肩を落として、しゅーんと小さくなってしまった。
「ごめ……なさ……」
「おねーさんが、あまりにも可愛くて止められなくて……」
本当に垂れた子犬の耳が見えた気がして、よしよししたくなる。
けれどぐっとこらえて、私も身を起こし、服を整えた。
「うん。じゃあ話のつづき、ね」
「……うん」
念のため、隣ではなく対面に座り直して、私は再び口を開いた。
「それでね。わたし……碧のことが大好きなの」
勇気を振り絞って口にした言葉に、碧は小さくコクリとうなずいた。
その仕草ひとつで胸が熱くなり、喉が詰まりそうになる。
「他の誰にも渡したくない……」
今度は真剣にこちらを見てくれる。その瞳の奥に、揺れる想いが見えた気がした。
膝の上で握られた拳が小さく震えているのが見えて、胸がぎゅっと締めつけられる。
「わたしだけを見てほしい。だから、確かめたいの。
この間のスーツの男の人は……彼氏なの?」
言い終えると同時に、心臓がドクンと跳ねた。怖い。でも聞かずにはいられない。
「違……う」
碧は目を逸らし、短く答えた。
けれど、あのとき耳にしてしまった声が頭をよぎる。
――『俺にはお前しかいない』『戻ってきてくれ……!』
あれは一体なんだったのか。胸の奥に澱のような疑念が残る。
「じゃあ、元カレ?」
問いかけると、碧はまた小さくうなずいた。
「碧は……男の人が好きなの?」
先ほど襲いかかってきた碧の熱を思い出す限り、そうとは思えない。
それでも、どうしても確かめずにはいられなかった。
「えっと……」
碧は唇を噛み、言いにくそうに口を開いた。
その仕草さえも真剣で、胸がざわつく。
「僕、女の人が好きで。でもグイグイ来るタイプは苦手で。
僕が好きなのは……大人でしっかりしてるのに、どこか抜けてるところがあって。
甘えさせてくれるけど、からかったらピュアな反応を返してくれる。
そういう可愛い人が、大好きで……」
一気にまくしたてて、カーーッと顔を真っ赤に染める碧。
……思った反応と違う。ずいぶん具体的に語ってくるんだ。
「そっか……碧が好きなのは女の子? 天然で可愛いタイプ、かな……」
その瞬間、碧が「はあっ!?」とでも言いたげに目を丸くした。
呆れ半分、ツッコミたいのを必死にこらえているような顔。
けれど、耐えきれなくなったのか、深く息を吐いて口を開いた。
「……おねーさんの事ですよ?」
「えっ!?」
思いがけない言葉に、声が裏返ってしまった。
「いやいやいや!! わたしのどこが天然なのよ!」
言い返した瞬間、碧がもじもじと視線を泳がせた。
「……言いにくいんですけど」
「なに?」
碧がテーブルの上を指差す。
「これ……」
「普通のゴマだけど?」
良かれと思って出していたそうめんの薬味だった。
首をかしげながら手に取った容器を何気なく見る。
――賞味期限 25.3.29。
「……えっ!! うそ、半年も過ぎてる!?」
顔から血の気が引く。
「早く言ってよおおおおお!!」
「そーいうとこですよ?」
碧は呆れたように、でもどこか楽しそうに笑った。
「……ッ!」
い、言われてみれば――!
友人には「どこか抜けてる」と言われ、職場では「詰めが甘い」と言われ……、
碧がシャワーを浴びてる時には肝心のバスタオルを出し忘れたし、
お釣りはいらないよ。と気取って五千円札のつもりで千円札を差し出した……。
(わ、わたしって……天然だったの!?)
衝撃の事実に頭を抱えながらも、胸の奥では、また別の不安が顔を出す。
「わ、わたし10歳も年上だし、碧は結婚願望1ミリもないだろうけど、わたしは――」
「おねーさんは、あるんですか? 結婚願望」
真顔で碧が問い返してきた。
「……いやあ……あんまり……」
思わず視線を逸らす。
「じゃあ、何も問題なくないです?」
あっさり言い切る碧に、言葉を詰まらせた。
「たし……かに」
気づけば納得しかけている自分がいた。
「えーーーっと。じゃあ、わたしと碧って両想いって事で……」
慌ててとりつくろうようにまとめにかかるが、まだまだ引っかかっていることはある。
「いやいやいや! じゃあなんでっ! サンドイッチもぐもぐしながら、
息を吐くみたいに告白したのよ!? 全然心こもってなかったじゃない!」
「あれは、その……」
今度は碧が気まずそうに目を逸らす番だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます