第10話「君と紡ぐ、新しい物語」

 俺は、ゆっくりと原初の魔導書に歩み寄った。分厚い表紙に手を触れると、温かい光が俺を包み込む。

 魔導書が独りでに開き、そのページがパラパラと高速でめくれていく。そして、最後のページで止まった。

 そこには、こう書かれていた。


『――物語は、ここに終わる。読者よ、君はこの結末に満足しただろうか? YES / NO』


 まるで、ゲームのエンディング画面のようだ。

「これが……この世界の全て……」

 フィーネが呆然とつぶやく。

「俺たちは、この本に書かれた登場人物に過ぎなかった、ということですか……」

 リリアも、信じられないといった表情だ。

 俺たちの目の前に、半透明の選択肢が浮かび上がる。俺がどちらかを選べば、この世界の物語は本当に完結してしまうのだろう。

 俺は、ふと前世のことを思い出した。毎日、膨大な文章の誤りを正すだけの、地味な日々。誰にも注目されず、誰にも感謝されず、ただ黙々と仕事をこなす。

 でも、俺は知っていた。校正者という存在がいなければ、どんなに素晴らしい物語も、読者の元へは届かない。俺たちは、物語を支える、誇り高い仕事をしているのだ、と。

 この世界に来て、俺は初めて、誰かの役に立っていると実感できた。リリアを救い、フィーネを助け、ジンを導いた。俺の力が、誰かの笑顔につながった。

 ここで物語を終わらせていいのか?

 俺の人生という物語は、まだ始まったばかりじゃないか。

 俺は、浮かび上がった選択肢を、手で払いのけた。

「俺は選ばない」

 俺の言葉に、みんなが驚いてこちらを見る。

「この物語を終わらせるかどうかは、作者でも読者でもなく、俺たちが決めることだ。そうだろ?」

 俺は原初の魔導書の最後のページに、ペンを走らせるように指で新しい文章を書き加えた。


『――物語に、終わりはない。彼らの冒険は、これからも続いていく』


 俺が最後の文字を書き終えた瞬間、魔導書から、今までで最も強く、そして優しい光が放たれた。光が世界中に降り注ぎ、バグによって歪められた全てが、正しい姿へと修正されていくのが分かった。

 光が収まった時、原初の魔導書は、その役目を終えたように、静かに台座の上で輝きを失っていた。

 天の塔から出ると、空はどこまでも青く、世界は祝福の光に満ちているようだった。

「終わったんだな……」

 ジンが、感慨深げにつぶやく。

「いいえ、始まりですわ」

 フィーネが、俺の腕に絡みつきながら言った。

「これから、私たちの本当の物語が始まるのですね!」

 リリアも、希望に満ちた笑顔で頷く。


 王都に戻った俺たちは、国民から盛大な歓迎を受けた。俺は「世界を救った校正者」として、歴史にその名を刻むことになった。

 ジンは、これまでの行いを反省し、真の勇者として人々を守るために、再び旅に出た。彼の隣には、彼を支える仲間たちの姿があった。

 ルクスは、時々ふらっと俺たちの前に現れては、新しい物語の種を教えてくれるようになった。

 そして俺は――。

「新設! カナデ校正ギルド! あなたの周りの誤字、脱字、世界のバグまで、なんでも修正します!」

 王都の一角に、小さな事務所を構えていた。

「カナデさん! また新しい依頼が来ていますよ! 『うちの畑の野菜(ベジタブル)が、なぜか全部肉(ミート)になる』そうです!」

 リリアが、困ったような、でも楽しそうな顔で依頼書を読み上げる。

「また変なバグね! よーし、私の魔法でちゃちゃっと解決してあげるわ!」

 フィーネは、すっかりやる気だ。

 平和になった世界でも、神様のうっかりミスは、まだまだたくさん残っているらしい。

 でも、それも悪くない。

 直すべき誤字がある限り、俺の物語は終わらないのだから。

「よし、みんな! 仕事の時間だ!」

 俺は愛用のペン(の形をした杖)を片手に、頼れる仲間たちと共に、今日も新しい物語を紡ぎにいく。

 この、最高に愛おしいバグだらけの世界で。

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