第5話「世界の“ノイズ”と原初の魔導書」

「きゃあ!」

「体が……体が消える!」

 街はパニックに陥っていた。人々が次々と、その姿を保てなくなっている。まるで、出来の悪いCG映像のように、体のあちこちがノイズ混じりになっているのだ。

『この世界は、失敗作だ。矛盾と誤字に満ちた、不完全な物語。だから、我が終わらせてやる。全てを無に返すのだ』

 頭に響く声の主、ノイズはそう言った。

「そんなこと、させるもんですか!」

 リリアが剣を構えるが、敵の姿は見えない。空に浮かぶ黒い亀裂と、そこからあふれる文字化けしたテキストがあるだけだ。

「フィーネ、何か方法はないの!?」

「わ、分からないわよ! こんな現象、どんな魔導書にも載ってない!」

 フィーネも杖を構えるが、攻撃対象が定まらない。

 俺はスキルに意識を集中し、人々の状態を分析した。彼らのステータスウィンドウは、軒並み文字化けを起こし、判読不能になっている。存在を定義するデータそのものが、破損しているのだ。

(これを直すには……大元を叩くしかない!)

 俺は空の亀裂をにらんだ。あれがノイズの本体、あるいは、この現象の発生源に違いない。

「フィーネさん、あの亀裂まで俺を運んでくれ!」

「えっ!? む、無茶よ!」

「やるしかないんだ! このままじゃ、街が消滅する!」

 俺の必死の形相に、フィーネは覚悟を決めたようだ。

「……分かったわ! しっかり掴まってなさいよ! 【フロート】!」

 フィーネの魔法で、俺たちの体がふわりと浮き上がる。リリアは地上に残り、暴徒化した人々から避難民を守っている。

「行くわよ、カナデ!」

 俺たちは、空の亀裂へと急上昇した。近づくにつれて、不協和音のようなノイズが激しくなる。亀裂の向こう側には、無数の文章が渦を巻いているのが見えた。あれが、フィーネの言っていた「原初の魔導書」のデータなのだろうか。

『来たか、イレギュラー』

 亀裂の中心から、黒い靄のようなものが集まり、人の形を成していく。黒いローブをまとった、のっぺらぼうのような姿。あれがノイズか。

『お前のスキルは厄介だ。だが、この世界の根幹を成す『原初のテキスト』に干渉することはできまい』

 ノイズが腕を振るうと、文字化けしたテキストの一部が、黒い槍となって俺たちに襲い掛かってきた。

「きゃっ!」

 フィーネが咄嗟に障壁を張るが、数発の攻撃でひびが入る。

「くっ……キリがないわ!」

 俺は攻撃の合間を縫って、ノイズの正体を探ろうとスキルを発動する。しかし、彼のステータスは、ほとんどがノイズで塗りつぶされていて読み取れない。ただ一つ、職業欄だけがかろうじて見えた。


【職業】????(?ル?)?バ?り??


 文字化けしていて読めない。だが、俺はこの文字の並びに、見覚えがあった。

(これは……校正用語の『ルビ』に似ている……?)

 いや、それだけじゃない。このノイズの靄、文字化けしたテキスト……。これは、俺が前世で使っていたパソコンがフリーズした時の画面によく似ている。

「お前……まさか、この世界の登場人物じゃないのか?」

 俺の言葉に、ノイズの動きがピタリと止まった。

『……何を、言っている』

「お前は、この物語に登場するはずだったキャラクター。でも、何かのバグで設定データが破損して、存在が不安定になった。だから、自分という存在を世界に書き込むこともできず、ノイズとしてしか認識されなくなった……違うか?」

 ノイズは何も答えない。だが、それが肯定を意味しているように思えた。

 彼は、いわば「設定ミスで没になったキャラクター」なのだ。誰からも認識されず、物語に参加することもできず、ただ世界のバグとして存在し続けるだけの、悲しい存在。

『黙れ……黙れェェェ!』

 ノイズが絶叫する。黒い亀裂がさらに広がり、世界そのものが悲鳴を上げているようだった。

「このままじゃ、世界が崩壊する!」

 フィーネの悲痛な声が響く。

 どうすればいい? 彼の存在そのものがバグなのだとしたら、俺の【文章校正】スキルで直せるのか?

 いや、諦めるのはまだ早い。どんなに複雑なバグでも、根気よく原因を探れば、必ず修正できる。それが校正者の仕事だ。

「フィーネさん、俺をあの亀裂の中心まで連れて行ってくれ! リリアさん、聞こえるか! 俺が合図をするまで、街の人々を守ってくれ!」

 俺は通信機の魔道具に向かって叫んだ。

『了解しました! カナデさんを、信じています!』

 リリアの力強い声が返ってくる。

「カナデ、あなた正気なの!? あんなものの中心に行ったら、あなたまで消えちゃうわ!」

「大丈夫だ。俺は、校正者だからな」

 俺はフィーネに笑いかけた。俺の覚悟を悟ったのか、彼女は涙をこらえ、力強く頷いた。

「絶対、死なないでよ!」

 俺たちを乗せた光の足場は、世界のバグの中心へと、真っ直ぐに突っ込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る