第4話「炎と氷のタイポグラフィ」

 北の賢者の塔は、その名の通り、天を突くようにそびえ立っていた。俺とリリアが塔の入り口に近づくと、突然、巨大な氷の塊が空から降ってきた。

「危ない!」

 リリアが俺を突き飛ばし、すんでのところで直撃を免れる。数秒後、今度は燃えさかる火の玉が飛んできた。

「いったい何が起こってるんだ……」

「塔の主、フィーネ様の仕業でしょう。噂は本当だったのですね」

 塔の中から、少女の悲鳴が聞こえる。

「きゃあ! また魔法が言うことを聞かない! もういやー!」

 どうやら、わざと攻撃しているわけではなさそうだ。俺たちは警戒しつつ、塔の中へと足を踏み入れた。

 塔の最上階、そこは本で埋め尽くされた書庫だった。そして、その中央で、派手なローブをまとったツインテールの少女が、杖を振り回しながら泣きじゃくっていた。彼女が噂の魔導師、フィーネだろう。

「お願い、言うことを聞いて! 【フレイムランス】!」

 彼女が呪文を唱えると、杖の先から放たれたのは炎の槍ではなく、氷の矢だった。氷の矢は壁に突き刺さり、周囲を凍てつかせる。

「なんでなのよー!」

 その場で頭を抱えてしゃがみこんでしまうフィーネ。俺は彼女の姿に、ある可能性を見出していた。

「フィーネさん、ですね。少し、あなたの魔法を見せてもらってもいいですか?」

「だ、誰よあなたたち! 不法侵入よ!」

「俺はカナデ。こっちはリリア。あなたのその魔法、俺が直せるかもしれません」

 半信半疑といった顔のフィーネだったが、他に頼るあてもないのだろう。おそるおそる、一冊の魔導書を俺に差し出した。

 それは、彼女が使っていた【フレイムランス】の魔法が書かれたページだった。俺はスキルで、その文章を解析する。


【魔法名】フレイムランス

【詠唱】いでよ、紅蓮の炎(こおり)、敵を貫け


「……やっぱりか」

 リリアの時と同じだ。ルビの指定ミス。それも、とんでもない間違い方をしている。「炎」に「こおり」、「氷」に「ほのお」というルビが振られていたら、まともに魔法が発動するはずもない。

「この魔導書、誤植だらけです。これじゃあ、まともな魔法は使えませんよ」

「ご、誤植!? そんなはずないわ! これは、我が家に代々伝わる秘伝の魔導書なのよ!」

「ですが、事実は事実です」

 俺はスキルを発動し、魔導書に書かれた魔法のルビを、片っ端から修正していく。

「いでよ、紅蓮の炎(ほのお)」

「いでよ、絶対零度の氷(こおり)」

 俺が修正を終えたページをフィーネに渡す。彼女は恐る恐る、もう一度呪文を唱えた。

「【フレイムランス】!」

 今度こそ、彼女の杖の先から、燃え盛る炎の槍が放たれた。炎の槍は、見事に的へ命中し、壁の一部を黒く焦がした。

「で、できた……! 私の魔法が、初めてちゃんと発動した……!」

 フィーネは、自分の手のひらを見つめ、わなわなと震えている。その瞳には、みるみるうちに大粒の涙が浮かび上がった。

「うわああああん! よかったあああ!」

 彼女は子供のように大声で泣き出した。今までずっと、自分の才能がないせいだと思い込み、どれだけ辛い思いをしてきたのだろう。

「ありがとう……! あなた、名前はなんて言うの!?」

「カナデです」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、フィーネは俺の手を握った。

「カナデ! あなたは私の恩人よ! 私、決めた! あなたについていく!」

「ええっ!?」

 こうして、リリアに続き、天才(?)魔導師のフィーネも俺たちの仲間に加わることになった。ますます騒がしくなりそうだ。

 フィーネの誤植だらけの魔導書を全て修正した後、俺たちは塔を後にした。

「それにしても、どうしてこんなにひどい誤植が?」

 俺の疑問に、フィーネが答える。

「この世界のあらゆる書物は、世界の理を記述した『原初の魔導書』の写しなの。もしかしたら、その大元がバグっているのかも……」

 原初の魔導書。その存在が、この世界の歪みの根源なのかもしれない。

「ねえ、見て見て!」

 フィーネが屋台のクレープを指さす。どうやら腹が減ったらしい。俺たちは、美味しいと評判の店の前に並んだ。

 その時、街の広場がにわかに騒がしくなった。人々が、空を指さして叫んでいる。

 見上げると、空に黒い亀裂が走り、そこから不気味な文字の羅列が、まるでノイズのようにあふれ出していた。

「なんだ、あれは……」

 それは、俺のスキルでも修正できない、意味をなさない文字の奔流。その奔流の中から、一つの声が響き渡った。

『見つけたぞ、世界のバグを修正する者よ』

 俺の脳内に直接語り掛けてくるような、冷たい声。

『我はノイズ。この物語を、終わらせる者だ』

 その声と共に、街中にいた人々が、突然苦しみ始めた。まるで、存在そのものが不安定になっているかのように、体が透けたり、点滅したりしている。

 世界のバグは、俺が思っている以上に、深刻な事態を引き起こそうとしていた。

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