かのえアウトサイダーズ

永井こう

第1話「ベースボールに如くものはあらじ」

うわ、

駅の階段を上り終えると、中島さんがホームで電車を待っていた。

中島かのえ、クラスメイト。黒髪をショートボブで切りそろえていて、スカートの丈は校則通りで、通学鞄にはなにもつけていない。肌が白く、顔立ちも整ってはいるが、趣味とか性格とか、そういうものが外見に出ていなくて、なんとなく仲良くなるとっかかりが見つからない。クラスでもそう思っている人が多いようで、一人でいることをよく見かける。

 けれど、僕は中島さんのことが好きだ。四月に初めて見た時から、その雰囲気に憧れていている。そう思っている男子は意外と多いかもしれない。

 この前の席替えで座席が近くなったから、最近会話をすることは多いが、あまり長く続くことはないし、不思議な人という印象は変わらない。

「中島さん」と呼びかける。

彼女は読んでいた文庫本から顔を上げる。

「早田くん」と答える。

僕は彼女の近くまで歩いていく。

「部活?」と中島さんが尋ねる。

「いや、図書委員会」

「ふーん」

「中島さんは?」

「私は、野球部を見てた」

「へー」

野球部を見てた。どうしてだろう。もしかして、好きな人でもいるのだろうか。

どうして、と聞く勇気はない。

ふと、友達の言葉を思い出す。

『いい事教えてやる。相手に好きな人がいそうだったらとりあえず告白しろ』

なんで?

『好きな人がいるやつなんて、その人以外眼中にない。だったら、とりあえず告白して、こっちにもいますよってアピールするしかないだろ? どうだ』

確かに。そう思って中島さんを見る。

彼女は何かを考えるようにまっすぐ向かいのホームを眺めている。

部活が終わるには少し早いし、部活がない生徒はもう帰っている。この駅は僕たちが通っている学校の生徒以外ほとんど使う人はいないから、他に人はいない。

チャンスか。

中島さんは会話が途切れると、白い左腕を持ち上げて、また文庫本を読み始める。

タイミングを逃した、いや、まだ間に合う、たぶん。

「あの、中島さん」

中島さんは目線を上げて、まっすぐ僕の顔を見る。

く、やっぱり、やめておこうか。

いや、言わないと

「中島さん、好きな人いる?」

「いない」

じゃあ、

「もしよかったら、僕と付き合ってくれませんか?」

その時、僕の背中側から嫌な音がする。

電車がホームに入って来る。

薄暗くなってきた構内をやや暖色のライトが照らす。

中島さんも、そして僕も乗るつもりだった電車だ。

ここで返事をあやふやにされたらどうしよう、と思う。

とりあえず、中島さんが乗ったら、僕も乗ろう。

しかし、中島さんは一切動きそうにない。

「あの、電車」と僕は言う。

「いい。電車の中だと答えにくいから」

電車内の明かりで、駅の壁に僕と中島さん二人の影ができている。

なかなかドアが閉まらない。

心臓がトクトクと鳴っている。

中島さんは手持無沙汰に電車の方を眺めている。

もう初夏に入っているから、風が吹かないと少し暑い。

ようやくドアが閉まって、電車が駅から出ていく。

「……」僕は黙って返事を待つ。

「ごめん」

「……」

「私の心の中に、一ミリも早田くんを好きって気持ちはない」

「うん」

「でも、これから気持ちが変わる可能性はゼロじゃない」

「え?」

「今からの君の選択次第で、早田くんはそのゼロじゃない状態を維持できる、かも」

「それって、どういう」

中島さんは軽く息を吸う。

「若人のすなる遊びはさはにあれど——」

なんだ、ぜんぜん追いつかない。急に何をいいだした?

中島さんは首を傾ける。

「——ベースボールに如くものはあらじ」

ベースボール、野球?

「バイ、正岡子規」

そして、ニヤリと笑う。

中島さんのそんな表情を初めて見た。

「早田くん、ベースボールやってたって本当?」

「うん、まあ、小学校のころだけど」

「私のチームに入らない?」

「入ったら?」

中島さんは、僕のすぐ前まで歩いてくる。

「入ったら、可能性は残るよ」

色々と聞きたいことはあるけれど、質問の答えは間違いない。

「じゃあ、入る」

「うん、よし。じゃあ、可能性は残しておいてあげる」

ああ、こんな感じの人だったんだな、と思う。

やっぱり、好きだ。

「ようこそ、『かのえアウトサイダーズ』へ」

「ありがとう」

中島さんはまたニヤリと笑う。

「やろうぜ、ベースボール」

ああ、これがこの人の嬉しいことがあった時の表情なんだな、と思う。


つづく

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