箱庭を覗き込む。

野村絽麻子

文化祭前

 あ、と思った時にはすでにプリントは私の手から離れていて、マンガみたいにひらりひらりと右に左に揺れながら落ちていく。あぁ、来月の私の輝かしい未来の素が。

 幸運なことにプリントの行方には誰もいない。そりゃそうだ。北校舎の外階段なんて校内でもかなりマイナー。


「良かった……!」


 誰にも見られないうちに回収しよ。決まるが早いか、私の足は古びたバルコニーの床を蹴り、埃のたまった階段を駆け降りる。

 なのに。


「……だれ?」


 たった一階分の距離を移動している間に、外階段の踊り場スペースには人影が出現しているのだった。おにーさん、どこから現れた?

 ヒョロヒョロした猫背の影は、振り返ると眼鏡の男子だった。それもセルフレームとかじゃなくて、ガチの視力悪そうなやつ。

 眼鏡くんは、肩で息したままの私と、拾い上げたプリントを何度か交互に眺めてから口を開いた。


「これ、アンタの?」


 アンタとか呼ばれる筋合い無いんだけど。とは思うものの、でもそれは間違いなく私のなので「そうだよ」と答える。事件はそこで起きた。

 私が「返して」と言うより前に、眼鏡がニヤリと口角を引き上げたのだ。


「ひでぇレシピ」

「はぁ!?」


 待て待て待て待て。

 このプリントには私の考えたベリーベリーミルクプリンアラモードのレシピが書いてあるんですけど。


「聞き捨てならないわね……」

「悪ぃな、純粋で素直な性格なんだわ」


 突っ込みどころ多いんだけどひとまず置いて。


「聞かせてもらおうか、このベリーベリーミルクプリンアラモードは二週間後の文化祭メインイベント『頂上決戦!ザ・スウィーツラヴァー・コレクション♡』で優勝するレシピに他ならないが?」


 ヒョロヒョロ猫背眼鏡は再び口の端を歪めると私を、正確には私の手の中に取り返したばかりのレシピを指差した。


「つまりは牛乳プリンだろ、それ。そんなベリー塗れにされたら牛乳プリンの繊細な味が死ぬ」

「ぐぬぬ……」

「盛り付けが雑」

「こっ、これはラフ段階ですー」

「これがラフ? 子供の落書きレベル見せられた所で仕上がり期待出来ねぇな」


 う、うるせー! これはまだラフったらラフなんだし、だいたい完成品のスイーツも見てない癖にツベコベと……!


「つーか、そんだけ言うならあなたも作るんでしょうね?」


 言いながら、そう言えばコイツは誰なのかという疑問が頭をもたげる。と同時に思い出した。大変素晴らしいスイーツを作る転校生が、よりによって『頂上決戦!ザ・スウィーツラヴァー・コレクション♡』直前にやって来るという噂を耳にしたことを。


「ま……まさか……ッ!」


 ヒョロヒョロ猫背眼鏡の口元から笑いが引っ込み、ふと、真剣な顔になる。それから彼は口を開く。


「バウムクーヘン」

「……は?」

「俺はバウムクーヘンを作る」


 …………バウムクーヘンを? 制限時間内にあの会場で?

 それだけ言うと満足したのか、彼はくるりと踵を返して校舎へと姿を消す。後にはたくさんの疑問と、再考すべきレシピを抱えた私だけが残るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る