隣のクラスの岡村さん

卜森昭弥

第1話

 僕の通う学校は、今のご時世にしては珍しく、やたらと校則がうるさい。

 スマホの持ち込み禁止にはじまり、指定外のコートやマフラー着用は不可で、染髪なんてもっての他だし、眉毛を整えただけで先生たちが嫌な顔をして、くどくどと長いお説教をくらうことになる。


 生徒はみんな校則の厳しさに辟易していて、来る学校を間違えたなんて言っている。

 だけど隣町の進学校に通う僕の幼馴染は、県南部にある高校の中で偏差値が群を抜いて低い私立だから仕方ないと、辛辣な言葉を吐いていた。


 僕自身は厳しすぎると言われている校則に、現状これといった不満は無いし、中学時代と違い綺麗な茶色に染められた幼馴染の髪を、羨ましいとも思わない。

 底辺高校だと自分の学力を馬鹿にされていることについても、断固抗議するような気概は持ち合わせていないから、僕の通う学校を延々と批難する幼馴染に適当な相槌を打ちつつ、分け合っているコンソメ味のポテトチップスを半分以上、自分の胃に納めて溜飲を下げた。


 どうしてあるのかよく分からない理不尽な校則を全て守り、僕は地味な優等生として、毎日の学生生活を送っている。

 そんな、幼馴染いわく「つまらない奴」らしい僕には、最近1つだけ、これまでの日常には無かった現象が起きている。


 気付くと目で追ってしまっている同級生が、一人いるのだ。


 隣の一年C組に所属している、図書委員の岡村さん。

 背格好は女子の平均真ん中より少し小柄で、ショートボブの黒髪の中に、クリクリと円いパーツをした顔が収まっている。

 アイドルや女優さんとは違う素朴さもある童顔の丸顔で、幼稚園児が好みそうな赤いピカピカ艶めく素材で出来たポシェットを、いつも右肩から斜めに掛けて過ごしている同級生だ。


 彼女は僕の住む町とは高校を挟んで反対側に位置する中学の出身で、入学から一学期の半分を過ぎるまで、彼女との関わりは一切なかった。

 苗字を知ったのだって、クラスのヤンチャそうな男子グループが、同級生女子のランキング付けなんて、悪趣味なことを教室の隅でやっていた時だった。


「C組の岡村は、学年でいったら6番目くらい?」

「あーなんか分かる。凄い可愛いわけでもないけど、雰囲気が目を引く感じ」

「その言い方めっちゃ失礼」


 あの日、数人のうち誰かがそんなことを言った直後、そのグループからドッと笑いが起こって、僕は自分の胃がきゅうと数センチくらい小さくなった感覚を覚えた。

 大きな悪意だと思わずに発せられる悪意というものが、僕はこの世で最も苦手だ。それがどれほど相手を傷つけるのか、言った本人はまったく気付きもしないものだから。


 もし今この教室で繰り広げられている会話を、岡村さん本人が聞いたらどう思うだろう。

 お節介とも言える心配と同時に、僕は当の岡村さんがどんな人なのかということに、何故か強烈な興味がわいていた。


 女子に興味を持つなんて、人生で初めての経験だった。

 教室の隅で盛りあがる男子グループと、同類になってしまった気がしたのは間違いなくて、途端にめまいに襲われる感覚がした。


 まだ、同級生の品評をする会話は止まない。それを聞いていると、どうしてか岡村さんのことが気になって仕方ない。


「ちがう」


 呟いた声は小さすぎて、誰にも聞こえていなかったと思う。


 岡村さんという女子に抱いた興味は、まやかしか何かだと頭の中で繰り返す。自分でも何をそんなにムキになって否定しているのか分からなくなりながら、僕は逃げ出すように教室を早足で出た。


 そして愚かな僕はまんまと、昇降口へ向かうつもりで何も考えずに、隣のクラスの前を通過しようと走り出した。


 何かが起こる時というのは、だいたいが刹那のきっかけで、たまたまその時の僕にも、きっかけが生まれてしまったのだろう。

 俯いたままだった僕の視界に、突然鮮やかな赤色が入り込んで、走り出していた足に急ブレーキをかけた。

 衝突事故を避けた僕の眼前にあったのは、口の開いた、ころりと丸いフォルムのポシェット。


 あ、と思う間もなく、その中でウヨウヨと蠢くものが見えた。眼鏡の内側からまじまじとそれを眺めようとしたところで、パチンと小気味よい音を立てて、赤色のポシェットは閉じられてしまった。


「気付かなかったことにしてね」


 鈴を転がしたような声に顔を上げると、大人しそうで色の白い、なんだか全部のパーツが丸っこくて幼く見える、黒髪ボブの女子生徒が、僕に微笑みを向けていた。


「おーい岡村、はやく帰ろう」

「わかった」


 友人らしき女子に廊下の向こうからかけられた声に、愛想良く返事をして、岡村さんはスカートをふわりと翻しながら向こうに走って行ってしまった。


 あの子が、岡村さんというんだ。

 そんな感想が、頭のどこか遠い所でぼんやりと浮かぶ。

 その姿が完全に見えなくなってから、僕は一目散にトイレへ走った。胃の内容物を全部便器の中にぶちまけ終わった頃にやっと、冷静に自分の見た物を思い出すことが出来て、もう一度大量の胃液を吐いた。


 初めて目にした岡村さんが、左肩から斜めにかけていた赤いポシェット。


 その中に詰め込まれた、無数の指が蠢く様を見たあの日から、僕は岡村さんのことが気になって仕方ない。

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