母子の毛糸

くまたに

母子の毛糸

 朝、太陽が昇る前に目が覚めると枕元にを見つけた。


 一本の毛糸──白がベースで、一部水色の混じった至って普通の。


 僕はモコモコとした素材を好まないため、着るのは決まって学校のジャージ。だからそこに毛糸が落ちているのはおかしい。


 この家に出入りする人は僕以外血の繋がったお母さんだけ。

 しかしお母さんは、知らない女と出ていったお父さんの代わりに、一日中働いている。

 最後に顔を合わせて食事を摂ったのはかれこれ数ヶ月前。どうせ忙しくて僕のことなんて気にかけてないだろう。

 記憶の中にあるお母さんの顔は朧気で、ハッキリとは覚えていない。


「はあ…………」


 大きなため息が静寂に包まれた部屋に流れる。


 これから朝食と昼の弁当を作らないといけないと言うのに、気が重く、地面ばかり見てしまう。


 僕が産まれる前に建ったこの一軒家は、中学校に入学したての僕には広すぎる。

 リビングに向かう途中、空っぽの部屋を見る度に嫌気がさす。

 怠い、いつも通りの今日がまた始まる。そう身構えた時だった。僕の鼻が味噌汁の香りを嗅ぎとったのは──


 まさか、と思い、リビングまでの階段を駆け下りる。


 扉を開くと味噌汁の香りだけではなく、ソーセージや焼鮭の食欲をそそる香りがそこら中を漂っている。

 食卓にはラップにくるまれた料理と、一枚の置き手紙。


『いつもお母さんっぽいことをしてあげられなくてごめんなさい。あなたの誕生日くらいは一緒に居てあげたかった。でも急な仕事が入っちゃったの。せめて朝食とお昼の弁当は作らせて。口で言いたいけれど言えないから文字で伝えるね。16歳の誕生日おめでとう!』


「そっか……今日は僕の誕生日、か……」


 キラキラと光を反射する料理を前にそんな言葉が零れ落ちる。涙の雫は頬を垂れ、肩は小刻みに震える。


 寂しい、寂しい。でも──


 手のひらの中にある一本の毛糸を感じると、自然と胸が熱い何かで満たされる。


『どうせ忙しくて僕のことなんて気にかけてないだろう』


 ベッドの上でふと思ったこと。出来るならなかったことにしたい。

 僕は胸の内でお母さんに謝ってから、食卓に着く。


 数ヶ月前に食べたお母さんの手料理は、少し味が薄く感じたけれど、それが無性に嬉しかった。

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