夏目 海斗は加減を知らない

神田川 秋人

プロローグ

第1話 黒田 正義の回想/相澤 大吾の受難






黒田くろださん!これまでの刑事人生で、一番記憶に残っている事件って何ですか?」

「どうしたんだ?突然に。」


黒田と呼ばれた年配の男が、質問した若い男に聞き返す。


「だって、刑事課では知らぬ人のいない伝説的な刑事、“鬼黒おにくろ”こと黒田さんが、一番記憶に残っている事件ですよ!定年退職前に聞いておきたいじゃないですかー!」


若い男の周りにいる男女も頷きながら黒田の方を見る。

その全員が黒田の部下や後輩であり、今日は黒田の定年祝いのために、新宿の居酒屋に集まっていた。


黒田は全員の視線を受けて、「そうだな…」とつぶやくと、すぐに思い当たる事件があったのか、ゆっくりと話し始めた。




「もう10年ほど前になるか。俺が担当したある悲惨な事件の話だ。」


全員が黒田の話に集中する。


「その事件は、当時5〜6歳くらいだったか、幼い双子の兄弟2人を庭の倉庫に閉じ込めた上に、までして、母親と交際相手の男が一緒に遊びに出かけたところから始まる。」

「それって…」


若い男がつぶやく


「ああ。母親か、あるいは交際相手の男に虐待されていたんだろうな。それだけでも不幸なのに、そのまま母親と男は飲酒運転で交通事故を起こした。母親は即死で、男の方は現場から逃走し、その後行方不明となった。今も警察では捜査を続けている。全く、ろくでもない野郎だが、生きているんだか、死んでいるんだか…。」


黒田はそう嘆きながら続けた。


「そしてここからが本題なんだが、幼い兄弟2人は交通事故の後、誰にも知られず、倉庫に閉じ込められたままとなっていた。」

「…それはまた、悲惨ですね。」


若い男が神妙しんみょうな顔で返事をする。


「ああ、その通りだ。そして幼い兄弟2人はまともな水も食料もない中、倉庫に閉じ込められ続けた。俺たちは事故後、2人の兄弟の存在を把握してから、すぐさまその家の倉庫に急行した――と言っても、2人が閉じ込められてから2週間は経過していたがな。」

「…どうなっていたんですか?」


若い男は気になって、続きを促した。


「ああ、俺たちが倉庫の扉の鍵を破壊して中に踏み入った時、そこには――」


黒田は一拍置いてから






「――息絶えたを胸に抱きながら、扉を開けた俺たちをじっと見つめている、やせ細った子供がいた。」


そう、答えた。


「俺は――」


黒田はその時の様子を思い出したかのようにつぶやいた。






「――あの、暗闇の中で爛々らんらん輝いていた子供の目を、未だに忘れられずにいる。」






************






――俺には、気に入らないやつがいる。


同じ児童劇団に通う、夏目なつめ 海斗かいとというやつだ。


俺は小学校に入学した頃から児童劇団に所属しており、今年で4年目になる。

自分で言うのも何だが、俺には演劇の才能があったようで、今までに何度も主役に選ばれてきた。


周りのやつらは俺のことをすごいと褒めて来るが、俺に言わせるとお前らのレベルが低すぎると言いたい。


なぜ、台本を覚えるのに時間がかかるのか。

なぜ、即興でアドリブが入れられないのか。

なぜ、感情を身体全体で表現できないのか。


そんなことばかり考えてしまう。


だから、次の劇においても、俺が主役をやることに疑いなど微塵みじんもなかった。




そう、やつが――夏目なつめ 海斗かいとが入団してくるまでは。




夏目の演技は、はっきり言って異常だった。

まるで、自分ではない誰かを体に宿しているかのように、劇の人物になり切っていた。

おまけに台本を覚えるスピードも尋常ではなく、運動神経が良いのか、身体を使った表現も得意だった。


さらに、どこかミステリアスな雰囲気をまとった顔も、よく整っていて見栄えがよかった。


だからだろう。入団したばかりにも関わらず、児童劇団内のオーディションを通過し、次の劇の主役に抜擢ばってきされた。


俺は悔しかった。


初めて感じた挫折。


そんな俺が、夏目を憎むのは必然だった。






「―――おい」


稽古が終わり、密かに後をつけていた、帰宅途中の夏目に声をかける。

ちょうど、人気ひとけのない狭い路地に差しかかった時を狙った。


「―――俺になにか用か?」


夏目はゆっくりと振り返って、そう言った。


俺は強い口調で要件を伝える。


「お前、次の劇の主役は辞退しろ。」

「―――俺が辞退する理由が見当たらないな。」


夏目はすかさず、そう返してきた。


まあ、そうだろうな。

だから俺は次の行動に出る。


「お前、いきなり入ってきて調子乗ってんじゃねえぞ!!」


夏目の胸を押して突き飛ばした。

俺は成長期が早く来たのか、同年代の子供と比べて体格が大きい。

力は俺の方が上だ。


不意をついたこともあり、夏目はそのまま後ろに倒れた。

やつの服とランドセルに地面の泥がこびりつく。


倒れた際に服かランドセルから飛び出して来たのか、丸みを帯びたが地面に転がったのが見えた。


「いきなり何をする?」


そう言って、夏目はすぐに起き上がる。

その目は、汚れた自分の服やランドセルではなく、地面に落ちたガラスのようなものに注がれていた。


「いいか、今のは忠告だ。これ以上調子に乗るようなら、次はもっと痛い思いをさせてやる。」


あまり長居をして人が通るのもまずい。

俺は、夏目にそう忠告して、足早に路地から立ち去った。


「――――――――」


後ろから、夏目の視線を感じながら。






演劇の稽古けいこは夜遅くまでかかることも多い。

俺の場合、稽古が夜遅くまである時は父親と母親が交代で迎えに来てくれている。


今日は母親の番だ。


稽古が終わり、俺が母親と一緒に駐車場に停めてある車に向かっていると、横から視線を感じた。


夏目だ。


やつは何をするでもなく、俺とをじっと見ていた。


――気持ちの悪いやつめ。


さすがに母親の見ている前で突っかかる訳にもいかず、俺はそのまま車に乗り込んだ。






俺が夏目に主役を辞退するよう脅してから、今日で2週間になる。

夏目はまだ主役を続けている。


そろそろ配役の交代も効かなくなる。

今日は遅くまで稽古があるから父親が迎えに来るが、明日あたりにもっと強く脅さないと。


そう考えながら、稽古終了後に劇団の待合室で待っている父親の元に向かうと――


「――――――――」


なんと、夏目とうちの父親が楽しそうに会話をしていた。


思わず小走りになって2人の元に駆け寄る。


「おい!」


俺が声をかけると、2人が同時に振り返る。


「おお!大吾だいごか!待っていたぞ。」


そう、父親が声をかけてくる。

俺としてはそれどころではない。


親父おやじ、なんで夏目と話していたんだよ。」

「いや、それがな。夏目くんの演劇に関する知識がすごくてな。思わず聞き入ってしまっていたんだ。まだお前と同じ小学4年生なのに大したものだ。」


親父は笑いながらそう返す。


――親父まで夏目のことを良く言いやがって。


俺は思わず反射的に親父の手を取って、劇団の出口の方へと引っ張った。


「お、おい!大吾!どうしたんだ――夏目くん、話を聞かせてくれてありがとう。」

「いえ、こちらこそ、子供の話に耳を傾けていただきありがとうございます。」


夏目は、そう丁寧に返事を返した。


そして別れ際――


「あ、大吾くんのお父さん。スーツにゴミが。」


そう言って夏目は親父のスーツに触った。


「――ああ、ありがとう。では大吾、帰ろうか。」


もうこんな場所には1秒たりともいたくない。

俺はそのまま親父を引っ張って、駐車場の車へと急いだ。






帰宅後、俺はリビングで動画配信サイトを視ていた。

演劇とは関係のない、とあるお笑い芸人が作っている動画である。


夏目のことを頭から追い出すためにも、今は演劇のことを考えたくなかった。


俺がしばらく動画に集中していると――




「おい!!なんだこの写真は!!」


そんな親父の激怒した声が、廊下から聞こえてきた。


俺が慌ててリビングから顔を出すと、そこでは親父と母親が何やら口論をしていた。


「し、知らないわよ!何かの間違いじゃないの!?」

「間違いな訳があるか!この写真に、君と劇団の講師がキスをしているところがはっきりと写っているじゃないか!」

「ちょっと!まだ大吾が起きているでしょ!大きな声を出さないで――」


そのまま2人は、俺を置いて寝室へと入っていった。




俺は、自分の日常が崩れていく音が、はっきりと聞こえた気がした。






結論から言うと、母親は劇団講師との不倫を認めた。

親父と母親の間でどのような話し合いがされたか分からないが、幸か不幸か離婚にまでは至らず、いまも俺の日常はかろうじて続いている。


だが、俺が母親の不倫の原因となった劇団に通い続けることは当然できず、事件発生から1週間後に退団することになった。


俺は訳が分からなかった。

なぜ、こんな突然の展開を迎えたのか――


俺がその答えを知る日は、きっとやって来ないのだろう。


だが、失意に落ち込む俺だったが、唯一、もう夏目に会わなくて済むことだけは救いだった。






************






は、全ての結末を見届けた後、手元のスマホを操作した。


写真を保存してあるフォルダを開き、証拠として撮影した画像データを削除する。


は、そのままスマホの画面を見つめ続ける。


やがて、スマホが待機モードになり、画面が真っ暗になった。






――そこには、目を爛々らんらん輝かせた、の顔が映っていた。






【プロローグ 完】





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