死者の赤い靴 不破人&真麻のデジタルフィールドノート
外神田あづち
死者の赤い靴
梅田X番出口
第1話 地下街の二人
[SYS] time=18:42 | area=umeda_underground_shopping_mall
大阪・梅田。駅と直結した地下街の一角に「それ」はあった。
構内図にない出口、X番に向かう通路。週末を控えた夕方、行き交う人の中でそれに目を向ける者は、二人だけ。一人はポニーテールの女子高生。もう一人は、黒髪を撫でつけた男子で、大ぶりなバイザー型のスマートグラスをかけている。
「このあたりは何度も通っているのに、この通路には見覚えがない……」
「ゲームでもあるまいしと思っていたけど、本当にあるとはね」
通路の少し先にある案内板には「X番出口」の文字。HUDの地図では壁の向こう。
「水に映る月、ってやつ? あると思えばある。ないと思えばない」
「……なんか、違くない?」
不破人は眉をひそめ、バイザーを操作して通路の写真を撮る。小さな電子音が鳴った。
「入り口発見で五千円。割のいいアルバイトではある。さて」
「中に入ったら一万円、不思議を見つけたら二万円だよ! 地元じゃでっかい毒蛇でも、一匹二千円。都会のバイトは割がいいね!」
真麻が指を折りながら笑顔で数える。
「もちろん、ここで降りるとか言わないよね、不破人くんは」
「……こういうときの金に目が眩むアピールは、死亡フラグだぞ」
バイト代で何を買おうかと皮算用を始めた真麻を横目に、不破人は呆れ顔でぼやく。
「しかし『読書灯』のデータ取りの、滅多にない機会でもある。行くか」
「そう来なくっちゃ。待っててね、諭吉くん。栄一くんも」
[HUD] rec=start
データ取得を開始して通路の奥に進んでいく不破人に、真麻が並ぶ。茶色の髪が、通路の照明の光を跳ね返し、赤銅色にひらめいた。
[LOG] type=visual | pattern=small_red_glare | source=?
大通りから見えるところまで、通路は何の変哲もなかった。しかし角を曲がり、大通りからの死角に入ると、まるで偽装をやめたかのように、雰囲気が一変する。
「うわぁ、いかにもだね」
通ってきた地下街と繋がっているとは思えないほど薄暗く、空気も淀んでいる。天井にはいつの時代のものかというような蛍光灯が、ぱちぱちと音を立てている。突き当たりには、閂の掛かった薄汚れた扉。上部には、X番出口、という小さなパネルがあった。
[HUD] alert=sensor_threshold_exceeded | temp.anomaly=-7.1c@spot
扉の手前に、赤いヒールが落ちている。奇妙に印象に残る、鮮血のような赤色。HUDが異常を警告する。頬の産毛が、冷房の風とも違う向きに逆立った。
「赤い靴、落とし物として届けとく?」
「触るな!」
鋭い声に、真麻の伸ばした手が止まる。靴を見る不破人の表情がいつになく険しい。
[HUD] alert=offline | gps=lost | net.5g=lost | net.wlan=lost
「今は、やめておこう。ほんの十数メートル進んだだけなのに、GPSの現在位置が拾えなくなっている。地下街のWi-Fiも5Gの電波も圏外。何が起きるかわからない。不用意な行動は避けたい。それに……いや、今はいい」
鞄から古いスマートフォンを出した真麻が呟く。
「いちいちスマホを出さなくていいの、便利だよね、その『読書灯』」
「貸さないぞ」
頬を膨らませる真麻をスルーして、不破人は扉の周りを記録していく。赤いヒールの周りは、特に念入りに。真麻も周囲の写真を何枚か撮った。
「うんうん、ちゃんと撮れてる。『読書灯』は写真以外のデータも取れるんだっけ?」
「ああ、いくつかセンサーを積んでいる。帰ってから分析にかけないと、内容はわからないけどね。……この閂、ぼろぼろだな」
閂にはまっている鉄の棒はかなり錆び付いている。不破人は使い捨ての手袋を取り出すと、真麻に放り投げた。
「え、あたしが開けるの? まあ、手袋あるならいいけどさ……」
閂を動かすと、軋んだ音がして周囲に錆の粉が落ちる。それまで周囲にそのようなものは落ちていなかった。
「ずいぶん長い間、開けられていない感じだね……っと」
閂を外して扉に手をかけた瞬間、手袋をした指先に静電気のような刺激が走った気がして、真麻はぴくりと動きを止める。同時に感じたのは、鼻の奥にまとわりつくような、甘い腐敗臭。
「……嫌な感じがするね。かなり」
呟いて扉から一度手を離すと、肩から鞄を下ろす。袋に入った荷物が、ごとんと床を叩く。
「『灰色角』出しておこう。備えあれば憂いなし、獣は先手。人も先手」
鞄から飛び出していた長物の覆いを取る。取り出されたものは、一振りの古い鹿の角。
「先手必勝ってやつ? 最近のJKは、ずいぶん好戦的だね」
「出くわしてから得物を準備してるようじゃ、遅いんだよ」
「大都会のど真ん中で鹿の角を振るう女子高生……どっちが現実離れしてるんだか」
「木刀とか持ち歩いてると補導されちゃうからね。これだとお土産とか言えるでしょ。かっこいいし」
真麻は鹿の角を無造作にぶら下げると、扉を一気に開いた。
扉の向こうは、現代の大阪駅の地下とは思えない通路だった。
蛍光灯の色は妙に青白く、貼られたポスターは年代ごとにバラバラ。アイドルのデビュー告知があると思えば、横にはもう廃刊になった雑誌の広告がある。まるで時代ごとの断片をつなぎ合わせたパッチワークのようだ。
「おー、雰囲気出てきたねえ。これで一万円! ぼろい! 好き!」
真麻はわくわくしたように声を上げる。
「展示の寄せ集め…いや、時代がバラバラだ」
相変わらずGPSは現在地をロストしている。電波もない。『読書灯』と不破人が呼ぶHUDの地図表示は真っ白だ。通路は単調な一本道であるため、道に迷う心配だけはない。
「ここは大阪駅の地下じゃないのかもしれない。……明らかに不自然な状況、だな」
不破人が慎重な口調で言った途端、通路の奥から、ひたひたと音が響いた。濡れ雑巾で床を引きずるみたいな、潰れた足音。
「何だろうね、この音」
「扉で感じた嫌な感じは?」
「どんどん強くなるね」
真麻は目を細めると、『灰色角』を握る手に力を込める。通路は数十メートル先で折れ曲がっている。その曲がり角から——影のようなものが、ふわりと現れたように見えた。
「待って」
一歩踏み出して様子を見ようとした不破人を、今度は真麻が止める。
「様子が変だよ、注意した方がいい」
いつになく真剣な口調。影は曲がり角から出てきた体勢で、不自然に止まっている。シルエットは巨大な四足歩行の獣。
しかし何かがおかしい。リアルな獣というよりも、そのイメージが立ち上った陽炎、幽霊のように、ゆらゆらと揺れている。まるでノイズのように、ピントを合わせづらい。
[LOG] type=visual | lux=low | edge.pattern=canis? | conf=0.41
『読書灯』がその姿を記録する。撮られた画像のなかには、ブロックノイズのような輪郭だけが写っている。気づいた不破人が息を呑む。
そのとき、獣の顔のあたりがこちらに向いた。狼を思わせるような、巨大な犬のシルエット。ノイズのせいでわかりにくいが、その中に先ほど落ちていた靴と同じ赤色が、ちらりと見えた気がした。一瞬の間のあと、輪郭がぐにゃりと歪む。
――笑った?
[SYS] time=desync
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