最終話 僕と、蒼のこれから

「そっか。俺は決まったよ」



 あの日、蒼が放った一言は僕の心に重くそして深く突き刺さっていた。


 僕だけがこの夏に取り残されてしまったような焦燥感。

 それなのに答えなんてどこにも見つからないまま、運命の日がやってきてしまった。


 八月の終わり。


 残暑どころか、夏がまだまだ続いている。

 暑さに翳りはなく、公園の木々からはセミの声が聞こえ続けている。


 この日、日本中の小学校三年生の男子と女子が性択の儀式に参加するのだ。

 当然日本のどこか一ヶ所になんか集まれるわけがない。


 神様が神域に直接僕たちをお召しになるのだ。




「──あ?」


 気が付いたら僕は草原にいた。

 さっきまで僕は家にいて、父さんがいて母さんも側にいた。


 周りを見るとすごくたくさんの子どもたちが白装束を着て慌てていた。

 見下ろすと僕も白装束を着ていた。


「……いつの間に」


 これが神威か。

 神様の意。もしくは奇跡。


 空には夏の太陽があり、僕たちを明るく照らしている。

 気温は涼しい。

 夏の日差しと秋の気配が同居していた。



 ふと気が付いたら、少し離れた場所に神社が建っていた。

 まっすぐに参道が伸びてその先に鳥居まである。


「さっきまで無かったのに……」

「まるで最初からあったみたいだよね」


 後ろから声をかけられた。

 振り向くと白装束を着た蒼がいた。


 やはり九歳になる僕たち全員がここにばれたんだ。


「陽太」


 隣に並んだ蒼が静かに僕の名前を呼んだ。

 儀式のために用意された真っ白な着物を着た蒼はまるで人形のように綺麗で、どこかこの世のものじゃないみたいに見えた。


「もう決まった?」


 蒼の問いに僕は首を横に振った。


「蒼、僕……まだ、決まってない。どうしよう」


 情けなく震える僕の声に蒼は怒りも呆れもせず、ただ静かに微笑んだ。


「それでいいんだよ。決める、なんておこがましいことなのかもしれない。ただ、正直になればいいんだ。陽太が、心の底から一番望んでいることを、そのまま神様にお伝えすればいい」

「僕の一番……」

「うん。きっと、それが陽太の答えだよ」


 その言葉に僕は少しだけ勇気づけられた。




 ◇◇◇◇◇◇




 神社の手前にいた狛犬の石像が立ち上がると姿がパンダに変わった。

 パンダというより着ぐるみだ。

 ただ、顔は隠れててどこまでも黒い影ができていて顔は見えない。

 学校の授業で習ったけど、あれがTSの神様の補助をする神官なのだそうだ。


 噂通り、TSの神様はパンダの着ぐるみを着ているのかもしれない。


「蒼」


 神官がいきなり蒼の名前を呼んだ。


「どうやら一番は俺みたいだ。先に行ってくるよ、陽太」

「うん……」


 もうすでに決めてしまってる蒼は迷いはないみたいだった。

 未だに考えがブレ続けてる僕とは全然違う。



 …………ふっという感じで周りにいたはずの男子や女子が姿を消していく。


 名前を呼ばれている声もあったのかなかったのか、僕には分からない。





「──陽太」


 名前が呼ばれた。

 僕の順番が来たらしい。


 神官に案内されて僕は拝殿の中へと足を踏み入れた。


 薄暗い拝殿の奥。

 その中央に彼女はいた。


 TSの神様、別名なぞパンダさん。


 祭壇にちょこんと腰掛け、退屈そうに足をぷらぷらさせている。

 その姿は僕が想像していた神々しい存在とは、少し、いや、かなり違っていた。


 服装は、パンダを模したフード付きのパーカーだ。少しオーバーサイズ気味のそれをラフに着こなし、フードからぴょこんと飛び出た丸い耳が可愛らしい。そして、パーカーの胸元には、黒いフェルトペンで書いたような、少し味のある平仮名で「なぞ」と一文字。


 フードをすっぽり被っているけれど顔は全部見えている。切りそろえられた明るいブロンドの前髪の下で、猫のように少しつり上がった大きな瞳がこちらを面白そうに観察していた。

 人形のように整った美少女なのは間違いないが、血の気がないわけではなく、生き生きとした生命感にあふれている。


 神々しいというよりはこれから始まる面白い芝居を最前列で待つ、悪戯好きな観客といった風情だった。


 僕は恐る恐る進み出て神様の前に正座した。

 神様は品定めするように僕の頭のてっぺんから足の先までじろりと見ると、含みのある笑みをにやりと浮かべた。その瞳に見つめられると、心の奥まで全て見透かされているようで、僕は身動きが取れなくなる。



 僕は神様の前に正座したまま、ぎゅっと目を閉じた。


 僕はどうしたい? 

 僕の一番の望みって、なんだ? 


 美少女になってみんなにチヤホヤされたい。

 男の子のままで友達とバカなことをして笑っていたい。

 父さんみたいに強く格好いい男になりたい。

 拓美姉ちゃんみたいに本当の自分を見つけて幸せになりたい。


 たくさんの願いが、頭の中で浮かんでは消えていく。

 どれも本当の気持ちで、どれも僕の願いだ。


 選べない。

 一つなんて選べるわけがない。


 僕はきっと選ばなかった未来を思って後悔する。




 後悔……したくない。

 どっちの僕も失いたくない。


 その時、蒼の顔が浮かんだ。

 いつも隣にいて、僕の話を聞いてくれている。


 僕以上に僕のことで悩んで必死になってくれた。

 あいつのいない未来なんて考えられない。


 そうだ、僕の一番はいつだって……。




 それが、僕が九歳の夏に見つけ出した、たった一つの答えだった。





「……次の方」


 神官の声で僕ははっと我に返った。


 儀式は終わったのだ。

 僕はふらつきながら立ち上がり、深々と一礼して拝殿を後にした。


 入れ違いに誰かが入ってきた。

 知らない男子だ。僕の学校の生徒じゃない。


 彼はどっちを選ぶんだろうか。

 僕はどっちの性になるんだろうか? 


 儀式が終わったのに、僕は自分が男子のままでいるのか女子になるのか分からなかった。


「はは……こんなことってあるんだな」


 でも僕は間違えなかった。それだけは確かだ。

 後悔は多分しない。




 ◇◇◇◇◇◇




 春。


 九歳の夏から三年半の月日が流れた。

 僕たちは中学生になった。


 僕の体は男の子のまま成長を続けた。

 声が低くなり、身長も伸びた。

 今から女の子になることは流石にないと思う。


 TSの神様は僕の本当の願いを叶えてくれたんだと思う。


 そして蒼は誰もが息をのむような美少女になっていた。

 TSすることを選択すると男子なら美少女に、女子なら美少年になる。


 TSの常識だ。


 だけど美少年が女の子にTSしたらどうなるのか? 



 ──その答えが蒼だ。


 誰もが振り返る……レベルでは済まなかった。

 文字通り人集りができるレベルだ。


 実際中学校に入学した僕たちの周りには学校の生徒の半分くらいが集まってきている。

 男子はきっと全員集まってる。なんなら男の先生だって集まってきてる。


「すっげーーーーー!!」


 誰かが叫んだ。


「そうだろう、そうだろう」


 僕は肯定した。


「やめろよ陽太」


 蒼が僕を窘める。


 いや、でもこれお前のせいだぞ? 


 小学校の時はゆっくりと女の子に変わっていく蒼に慣れてしまったのか、こんな騒ぎにはならなかったけど。


「初見だとこうなるのか……」

「早く教室に行った方が良さそうだね」


 つないでいた手を蒼が引っ張った。


「……そうだね」


 僕は蒼の手を握り返した。




 ◇◇◇◇◇◇




 蒼の変化はすごくゆっくりだった。

 元々すごい美少年だったのだ。


 第二次性徴期に合わせて成長していっても、明確に女の子だと周囲に思われ始めたのは1年が過ぎてからだった。僕との関係の変化も静かでゆっくりだった。そもそも蒼は一度も自分の選んだ性を公言しなかった。


 だからなのか。


 正直言うと九歳になる前から蒼にドキドキすることがあったから、自分でも気づくのがかなり遅れた。

 ゆっくりと着実に綺麗になっていく蒼から目が離せなくなったのはいつだったか。


 僕は親友である蒼に恋をした。




 春の訪れを感じさせる川の土手。

 小学校6年生の三月の初め、卒業を間近に控えた放課後に僕は蒼をあの河川敷の秘密基地に呼び出した。


「なあ、蒼……お前すごく綺麗になったな。お前のこと、友達としてじゃなくて……その、なんだ、好き、なんだと思う」


 告白した。


 小説でもドラマでも映画でも親友のはずだった連れに告白する物語は山ほどある。

 九歳になったらTSするかしないか選べるんだ。


 多分物語じゃなくても元親友に恋をしてしまうのは実際にかなり多いんだと思う


 ただ……まさか自分の身にそれが起こるとは思っていなかった。

 ずっと一緒にいたいとは思ってたよ、それは嘘じゃない。


 そうやって僕が震える声で情けなく告白したら蒼はなんて言ったと思う? 


「知ってた」


 ひどくね? 


「知らなかったのか? 俺は陽太のこと、陽太以上に理解してるぞ?」

「返答に困るんだけど……というか返事聞かせてくれよ」


 僕がそう言うと蒼ががっくりと項垂れた。


「なんだよ?」

「ガッカリしたんだよ。答えなんか聞かなくても知ってるだろ」


 聞かないで分かるわけない。

 蒼はいつも僕も買いかぶる。


「俺は最初からそのつもりだったからな」


 蒼は未だに自分のことを『俺』という。

 僕は慣れてるけど、違和感がないではない。


 というか、最初からってどういうことだ? 


 僕の怪訝そうな顔に蒼が失望したようだ。




 しばらくして……蒼は僕にしか聞こえないような小さな声で、あの日彼が神様に人生を賭けた祈りの秘密を静かに打ち明けてくれた。


「俺はね、陽太と結ばれたかったんだ。ずっと前から、君のことが好きだった」

「……えっ」

「でも、陽太がどっちを願うか分からなかった。だから、俺は思ったんだ。『神様、どうか僕を、陽太がどちらの未来に進んでも、彼に愛される存在にしてください』って」


 でもそんなの無理なはずだ。

 一番最初に蒼が呼ばれて、その時僕はまだどちらの性を選ぶか決めてなかったのだ。


 僕が混乱していると蒼は悪戯っぽく笑った。


「神様は、すごく欲張りな俺の願いを完璧な形で叶えてくれたんだよ」

「……どういう、意味だよ」


 蒼の……絶世の美少女の顔を見つめる。

 最近、胸も膨らみ始めたのか蒼はスポーツブラをつけている。


 蒼は女の子だ。


 そんな僕の思いを見透かしたように蒼が説明を続けている。


「男の子を選んだ陽太がちゃんと好きになってくれる『女の子』に。そして陽太が女の子になっても最高の伴侶でいられる『男の子』の部分も残してくれた」

「は?」


 パチパチと何度か瞬きして蒼を見つめなおした。


「……だからさ? 今の俺は両方だよ」


 ……両方? 


 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

 そして数秒遅れてその衝撃が僕の全身を貫いた。


「む、無茶苦茶だ」


 僕が選んだ未来も、僕が選ばなかった未来も、そのどちらの僕の隣にも立てるように。

 そんな無茶苦茶で自分勝手で、そして、どうしようもなく僕を想ってくれている願い。


「お前……そんなことのために……」


 蒼の下半身に視線を向けた。

 スカートを穿いているけど、アレがあるのか。


 驚きと、感動とどうしようもない愛しさがごちゃ混ぜになって声が震えた。

 あの日見せた蒼の決意の理由も全てが一つに繋がった。


「だから、陽太。君が俺を好きになってくれて、本当に嬉しい」


 そう言って微笑む蒼は、僕が知っている誰よりも美しくて、そして僕がずっと大好きだった親友の顔をしていた。





 僕の迷ってばかりだった九歳の夏はとっくに終わっていた。

 僕と、蒼のこれからは。


 これから始まって、きっとずっと続くのだ。


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