この道
増田朋美
この道
雨が降って、みんな濡れてしまったなぁとブツブツ愚痴を漏らしている日であった。よく降るなあと思われていたが、他の県では、大雨どころか、旱魃が起こりそうなくらいのあつさであるという。いつから日本の夏は、こんなにひどい物になってしまったのだろうか?
その日、野田あかりの所属しているタクシー会社では、会社の解体が行われていた。会社の建物に、ショベルカーが入ったときは、あかりは悲しみというか、怒りというか、そんな気持ちになってしまった。なんで私が、と思う。だけど、事実は事実として受け止めなければならない。
あかりは、あの日、同僚と一緒に車に乗っていた。あのときはたしか、忘年会の会場にいくときだった。あまりにも疲れてしまい、うとうとしてしたら、急に同僚が運転していたタクシーがスピードをあげて、高速道路を走り出した。なんだと思ったら、後ろのくるまにあおり運転されて急にスピードを上げたのだ。なんだなんだとあかりが考えている間に、ガシャーンとすごい音がして、フロントガラスが自分の目の前に、滝のように刺さってきた。あかりはそれ以降は知らない。気がついたときは、病院にいた。あかりは助かったのだ。だけど、同僚は、もうあの世の人だった。
この事故をうけて、あかりの所属しているタクシー会社は破産してしまい、今日、解体されることになったのだ。事故の理由だってあかりは詳しく知らない。だけど、事実として、東名高速道路でこんな大事故を起こしたので、責任をとり破産、ということになったのである。
結局、会社も潰れちゃったか、とあかりは思うのであった。せっかく、気合を込めて入社したのに、3年も持たないで破産とは。あたしの人生、本当についてないなと思う。
とりあえず、会社が潰れたのを見届けて、あかりは自宅へ戻ったが、これから先どうすればいいのか、よくわからなかった。
「ただいま。」
とりあえず、あかりは夕食の席についた。なんでみんな、夕食まで待っているのかなと思うけれど。野田家では、そういうしきたりになっているらしいのだ。家族が全員かえってくるまで、みんな待っている。
「今日、会社がだめになって、これからあたしはどうすればいいんだろ。」
思わず、ご飯を食べながら、あかりは呟いた。まあ確かに、野田家では、父も母も、働いているから、別に経済的にこまるということはないが、あかりはそれが、嫌であった。なんでもいいから、父や母に頼りっぱなしであるという、自分の弱いところを指摘されないようにするため、できるだけ早く、仕事に付きたかったという思いがある。
「まあ、しょうがないじゃないか。仕事なんていつでもできるさ。今度こそ、ちゃんと居場所として働ける職場を見つけることだな。」
と、のんびりした性格の父が、そういったのであった。
「あかりはまだ若いんだし、きっとそのうち、楽しい職場が見つかるよ。」
母がそういうのであるが、
「もう、この気持ちどうしたらいいのよ。あたしは、行くところもないし、家の中でいつまで経っても、ふらふらしてるって、近所の人にも笑われるのよ!」
と、あかりは言ってしまった。
「そんな若いからどうのなんて、無責任な言い方しないでよ。親だったら、教えてくれたっていいでしょう。こういうときは、どうしたらいいのかくらい知ってるでしょ!」
父も母も、こんな剣幕で娘が怒るのは、見たことのないという顔をしていた。
「本当に無責任よね。そうやって、いつでも自分でやれ自分でやれって言ってさ、いざとなると、そうやって逃げちゃうんだから。それがおとなになるっていうことなの?まあ、ありえないわ。」
「まああかり、怒るな怒るな。」
父は、そうあかりに言った。
「お前が仕事にこだわりたくなる気持ちはわかる。だけど、どうしようもないときだってあるんだよ。そういうときは、ただひたすら黙って、時がすぎるのを待つ。それしかできないこともあるんだ。」
「そうよ。忍耐を持って待つことも大事なのよ。しょうがないことでもあるってことも、わかっておかないと。」
母がそう優しく言ってくれたのであるが、あかりはどうしても我慢ができなかった。
「これ以上、あたしをここに閉じ込めて置かないでよ。あたしは、外で働きたいんだし、お父さんや、お母さんの世話にもなりたくないの。」
「じゃあ具体的にあかりはしたいことがあるのか?」
父は、疑い深く聞いた。
「もし、必要なことがあれば、なにか資格を取るために勉強するってのはどう?それなら、なにか始める気持ちになって、変わってくるんじゃないの?」
母がそう提案してくれても、あかりは受け入れる気がなかった。
「そんなこと言わないでよ。あたしは今働きたいの!お父さんやお母さんの世話になって、いつまでも家にいるってのはどうしても避けたいの!」
「でもね、今はどうしようもないときだってあるのよ!」
あかりがそういうと、お母さんも同じくらいの声で反論した。お父さんが、
「二人とももうやめなさい!」
と言ったため、あかりは、それ以上何も言わなかったが、お父さんとお母さんとは、嫌悪な感じになってしまった。
その翌日。親戚のおじさんがあかりを訪ねてきた。お父さんのお兄さんにあたる人物で、仕事の都合で海外にもたくさん行っているせいか、おおらかで、穏やかな性格のおじさんを、あかりは子供の頃から好きだった。
「いやあ、あかりちゃん大変だったねえ。あの大事故。テレビで見たけどさあ。すごい映像だったぞ。まるでカーチェイスみたいだったでしょう。日本では珍しいよね。アメリカなんかではよくある事故なんだけどね。」
おじさんは、あかりにそういうのであった。そう言ってくれるおじさんは、なんだかあかりにとって、救いでもあった。
「まあ、仕事がないってのは確かに辛いところもあると思うが、あかりちゃん、辛抱するんだよ。」
家族に言われると、なにか怒りを感じるのに、おじさんに言われると、なんだか不思議なもので、受け入れられるのであった。
「ねえおじさん。」
あかりはおじさんに言った。
「今すぐに働きたいんだけど、なにか、運転免許さえあれば、必ずできるという仕事はないかしら?」
まあ、できるのはまたタクシーの運転手になるしかないと思われるが、思わずそう聞いてしまう。
「そうだねえ。あかりちゃん二種免許持ってるんだったら。」
と、おじさんは少し考えていった。
「それなら介護タクシー手伝ったらどう?お年寄りや障害のある人を乗せるタクシーのことだけど、健康な人を乗せていくよりずっとやりがいがあるって、俺の知り合いが言ってたぞ。」
「介護タクシー?障害のある人を乗せるの?」
「そうだよ。車椅子に乗っていたりする人は、運転できない人も多いから、結構需要はあるんじゃないのかな。この富士にも会社はあるからさ、調べて応募してみたら?」
おじさんは、そう言ってくれたのであった。あかりは、もうこうなっていれば、すぐに仕事をしたいと思ったので、おじさんが帰ったあと、パソコンで介護タクシー会社を調べてみた。確かに、介護タクシー業者はたくさんあった。その中で手伝い人を募集している会社もいくつかある。あかりは、富士市内にある介護タクシー会社に電話してみると、応対に出てくれた人は、
「いつから働けますか?」
と言ってくれた。
「明日からでも。」
あかりが言うと、
「じゃあ来てくれます?」
と、言われたので、あかりはそうすることにした。富士駅近くにある介護タクシー会社で、お年寄りや、障害のある人を、目的地まで送迎するだけではなく、多少病院内で階段の昇り降りの介助なども行うという。
翌日、電話の指示通りその会社に行って見ると、詳しい面接もされることなく、あかりはすぐに採用された。なんで面接しないのかと思ったが、それだけ人がいないのだという。
会社の名前は、介護タクシーマサルという会社で、社長とドライバーを兼ねている櫻井優という男性が、経営している会社というより、任意団体のような感じだった。あかりが、初めての外部からやってきた従業員だという。櫻井さん自身も、もうかなりのおじさんだったので、若い女性が来てくれるのは頼もしいなと言ってくれた。
あかりが与えられた机に、自分のものを整理していると、会社の固定電話が鳴った。
「はい。介護タクシーマサルです。ああ、はい。はい。わかりました。すぐお迎えに伺います。」
櫻井さんは、そう受話器をおいた。
「これから富士山エコトピア近くの製鉄所という福祉施設へ送迎に行くよ。野田さんも手伝って。」
「わかりました。でも、富士山エコトピアと言ったら、ゴミやきばですよね。」
記念すべき初仕事が、そんな汚いところの近くとは嫌だったが、あかりは、櫻井さんといっしょに、行くことにした。あかりとしては、早く仕事を覚えたかったので。
櫻井さんは、大きなワンボックスカーの運転席に乗った。あかりは助手席に乗って、製鉄所という施設へ向かった。製鉄所というからには鉄を作るところなのかなと思ったが、実はそうではなく、大きな日本旅館風の建物だった。
「どうもありがとうね。こいつがどうしても、展示会に行ってみたいって言うもんでね。」
二人を出迎えたのは、杉ちゃんであった。
「えーと、お電話をくださったのは、影山杉三様で間違いありませんね?」
と、櫻井さんは聞いた。
「うん。だって、僕が電話かけたから。」
と、杉ちゃんは答える。それと同時に、派手な青色のアオイの花がついた着物を着た水穂さんが姿を表した。あかりは、思わず息を飲んでしまうほど、美しい顔の男だった。
「えーと、影山様。今回は、清水のフェルケール博物館へ行きたいということですね?」
と櫻井さんが聞くと、
「おう頼むよ。よろしく頼むな。」
と杉ちゃんは答えた。そこで櫻井さんは、まず、車椅子の杉ちゃんをタクシーの中に乗せることにした。杉ちゃんの車椅子を動かして、あかりは櫻井さんが用意したスロープで、杉ちゃんを後部座席に乗せた。水穂さんがその隣の席に座った。なんだかもうかなり疲れているようで、痩せてやつれた水穂さんであったが、なんとか座ってくれた。
「じゃあ、行きますよ。気分が悪くなったりしたら、言ってくださいね。」
と、櫻井さんは、タクシーを動かし始めた。あかりも助手席に乗って、一緒について行った。
「彼女は、今日から家で働いてもらうことになっている、野田あかりちゃんです。まだ新人だから、色々不都合もあると思うけど、大目に見てやって。」
櫻井さんはそういうのであった。
「そうですか。ありがとうございます。このお仕事をされるのは初めてですか?」
水穂さんがそう聞いてきたので、あかりは思わず、
「はい。そうなんです。」
と真っ赤な顔で言ってしまった。
「そうなんだねえ。それでは、いろんなこと学べるといいね。」
杉ちゃんにそう言われるのは、あかりはちょっと嫌だったけど、
「ええ、まあ。」
とだけ言っておいた。
「それで、今日はなんの展示会を見に行くんですか?」
と、櫻井さんが聞くと、
「はい。女性の針仕事展を見たいと、こいつが言うもんだから。」
杉ちゃんは水穂さんを顎で示した。
「へえ、そうですか。それは珍しいですな。針仕事というのは、女性ばかりが見に行くのかなと思ったけれど、」
櫻井さんが言うと、
「馬鹿言っちゃいけないよ。僕は和裁屋だから、針は、ずっとお友達だよ。針は、女ばかりがするもんじゃないよ。」
と、杉ちゃんが言った。
「和裁屋?」
あかりが聞くと、
「ああ、着物を仕立てる職人や。着物だって、木の俣からできるわけじゃない。あくまでも着物は、人間の手で作るんだ。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑った。
「そうですか。着物を仕立てるんだ。着物なんて、私にしてみれば遠い礼装みたいなものだけど。」
あかりはそう言ってしまったが、
「そうかな?」
と、杉ちゃんは言った。
「そうとも言い切れないぜ。まだまだ、着物を着ているやつはいっぱいいる。だから和裁屋は亡くならないよ。」
「そうなんですね。」
あかりは小さな声で言う。
「まあ、そういうことだな。お前さんのご先祖だって、お前さんが生まれる前には、着物を着ていたかもしれないんだぞ。」
杉ちゃんに言われて、あかりはそれ以上いえなかった。それと同時に、櫻井さんが、
「さあ着きましたよ。お客さんどうします?博物館の中まで介助しましょうか?」
と言ったので杉ちゃんは、
「おう、頼むわ。料金かかっても、ちゃんと払うから。」
と言った。あかりは、杉ちゃんを車椅子ごと、外へ出すことを手伝った。車椅子は結構な重たいもので、出すのがけっこう大変だった。その後で、水穂さんが、タクシーを降りたのであるが、あかりは、みずほさんに肩を貸してあげた。杉ちゃんの方は櫻井さんが車椅子を押した。
博物館の入口は、段差があった。二段ほどだけど階段がある。櫻井さんは、用意していた板をその階段の上に置いて、杉ちゃんを上段へわたらせた。水穂さんの方は、あかりが、肩を貸して歩いた。そうして博物館の中へ入ると、所々に段差があるので、櫻井さんは、それを板で塞いで、杉ちゃんを渡らせることを手伝った。ときには、エレベーターのボタンを押してやったりもする。そんなふうに櫻井さんに手伝ってもらった杉ちゃんたちは、博物館のボランティアガイドに挨拶して、展示室に入った。
「わあ、見事なお着物ばかり。」
あかりはそう言ってしまう。
「へへへ。これはみんな昔の着物だ。ミシンなんてないんだから、当然手縫いで縫ってあるわな。」
杉ちゃんに言われて、あかりは驚いてしまった。眼の前にある豪華な着物が手縫いで仕立てられているとは思えなかった。
「すごくきれいですね。これは、みんな、普段着として着ていたんですか?」
あかりは思わず言ってしまうと、
「そうだよ。」
杉ちゃんは、あっさりと肯定した。
しばらく美しい着物に見とれながら、明かりは、杉ちゃんたちと一緒に、展示室を歩いたのであるが、一番はじに、ひときわ派手な着物があった。それは、水穂さんが着ている、葵の柄の着物に雰囲気がどこかにていた。
「へえ、今どきの博物館は銘仙まで展示するんだねえ。」
と、杉ちゃんが言った。
「これ、可愛いですね。なんか、このくらい可愛いのだったら、私でも着られるかな?」
あかりは、そう言ってしまったのであるが、
「いや、一般的には嫌われている着物ですよ。」
と水穂さんが言った。
「そうそう、貧しいものが着るとか、部屋着くらいしか価値はないとか、言うんだよな。銘仙の着物って。」
と、杉ちゃんが言う。
「まあきっと情で展示してくれたんでしょうね。普通、文献でも銘仙の着物については、詳しく掲載しないぜ。他の着物は、どこへ着るとか、いつ着るとか、うるさいくらい詳しく掲載してあるのにねえ。」
杉ちゃんは、でかい声で言った。
「でも、水穂さんが着ている着物とどこかにているわ。」
あかりは、そう言ってみると、
「いや、僕は銘仙の着物しか着られないから。」
水穂さんは小さい小さい声で言った。それがバレてしまったらたいへんとでもいいたそうな顔で。確かに、博物館の監視員たちも、いい顔をしていないのがあかりには見て取れた。そのまま、着物の展示会は、お開きとなり、杉ちゃんたちは、とりあえず帰ろうかということになった。あかりはまた杉ちゃんを車椅子ごと介護タクシー車両に乗せ、水穂さんを後部座席に座らせた。
「それでは、行きますよ。じゃあ、皆さんシートベルトを締めてね。」
と、櫻井さんが言ったので、介護タクシーは重いおしりを上げて、走り出した。あかりは、水穂さんに銘仙の着物を着ているのが何が悪いのか聞いてみたかったが、それは言えない雰囲気があった。櫻井さんは、杉ちゃんたちを、製鉄所まで乗せていき、杉ちゃんたちは、櫻井さんに、利用料金である3万円を手渡して、製鉄所へ戻っていった。
3万円。ふつうのタクシーでは絶対ありえない金額だった。だけど、介護タクシーでは、このくらいの値段がしてしまうのが当たり前だと櫻井さんが言う。ただのメーター制の運賃ばかりではなく、基本介助料や乗り降り介助料、そして、階段の昇り降り介助料などの料金が発生し、このくらいの値段になってしまうのだとあかりは初めて知った。そんなにお金がかかっても、出かけたいというのだから、杉ちゃんたちの気持ちはとても大きかったのだろう。
あかりは櫻井さんの運転に付き添いながら、銘仙の着物について調べてみた。銘仙にまつわる情報は少なかったが、同和地区と言われる区域にすみ、大変貧しい生活をしている人たちの着物であることはわかった。そうなると、あの水穂さんと言う人は、本当にすごい可哀想な人だったんだと、あかりは思ってしまうのであった。そんな人を自分は乗せたんだ。なんだか、すごい体験をしてしまった。こんなことをする企業で働くなんてこの先やっていけるのだろうかと思ったが、
「どうだい、明日も来てくれるかい?」
と、櫻井さんに言われて、あかりは、思わず、
「ええ。」
とだけ答えておいた。まだ、この道を歩んでみるのかわからなかったけれど、介護タクシーの運転手として、まだ、運転手の仕事というのはいろんな可能性があるなと思ってしまうのであった。
「じゃあ、明日も、ちゃんと来てくれよな。ただでさえ、人が足りなくて困ってるんだから。」
と櫻井さんは、にこやかに笑っていった。
「ほら、もうメールで依頼が入ってる。明日はえーと、ああ、広見というところに住んでいる、加藤さんだ。なんでも、月見をしたいから、月のきれいな、公園へ連れて行ってくれという依頼だ。加藤さんも車椅子に乗っているということなので、あかりちゃん、また一緒に来てくれよな。」
櫻井さんは、メモ用紙に、車椅子の加藤さんと書いた。あかりも自分の手帳に、車椅子の加藤さんと書く。
外は、暗くなるのが早くなっていた。もう夏は終わって、別の季節に変わっているという証拠だった。もう、前の職場に縛られることなく、新しい道を使うんだとあかりは思った。
この道 増田朋美 @masubuchi4996
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