第5話

 フィニスはファルシを抱え、空へと飛び立った。向かう先は、神殿の中央に聳え立つ巨大な塔だ。


 塔の入り口の扉は数えるのが億劫になるくらい鎖が絡められ、厳重に閉ざされている。あの先には何があるのかと問うた時、神官たちは口を揃えてこう言った。


 ──あの扉は、十五年に一度。儀式の日にだけ開かれる、と。


「その儀式とらが、この塔の中で行われるのか?」


 最上階から塔の中に侵入したファルシとフィニスは、長い螺旋階段を下りていた。明かりの代わりに、ファルシは自身の魔法で生み出した光の玉を手の上に浮かべながら歩いている。


「ああ。十五年に一度、この塔の最上階から生贄を捧げるんだ」


 生贄という単語にファルシは眉を顰める。


「……生贄? 先ほど私たちが降り立ったところか?」


「そうとも。あの場所から落とすんだ」


「そんなことをしたら……」


「だから生贄だと言っただろう」


 ふいに先を歩くフィニスが足を止める。その先に何かがあるのか、ファルシは光の玉を大きくさせた。

 すると、闇の中から何かがくっきりと浮かび上がる。


「──あれは、なんだ?」


 ファルシは目の先に現れたものをよく見るために、光を溢れさせた。


 そこには、巨大な水晶のようなものがあった。燦々と煌めく石の中では、巨躯の獣が固く目を閉ざしている。


「あれはイージスの神だ」


「神? 神に生贄を捧げているのか?」


「ああ。それも、そこらの人から選ばれるわけではない。捧げられるのは、聖女だ」


 ファルシは目を見張りながら、フィニスへ目を動かした。


 神と呼んだ獣を見上げるフィニスの瞳は、とても冷たい色をしている。この色こそ、大陸の外に広がる海と同じ色だと笑って聞かせてくれたのに、今のフィニスはまるで──。


(……かなしそう、だ)


 フィニスの横顔が、泣いていたフィオナと重なる。いやだ、帰りたい、母はどこだと、繰り返していたフィオナのあの表情と。


 それから二人の間は沈黙が続いていたが、先に破ったのはフィニスだった。


「……神は十五年起きに目醒め、人の血肉を求めて暴れ狂う。何百人、何千人を喰って満足すると、次には巨大な口から終焉の炎を吐き出す。その炎は、全てを焼き尽くすだろう」


 フィニスに神と呼ばれた目の前の獣は、人を喰らう化け物のようだ。その目醒めの日が、儀式を執り行う“来たる日”だが──正しくは、フィオナが捧げられる日だった。


「国が生き永らえる方法はひとつ。神が目醒めたその日に、聖女の血肉を喰らわせること。そうすることで、神はまた十五年の眠りにつくんだ」


「聖女は、生贄として死ぬために生まれてくるのか?」


「それが聖女の宿命だ」


 ファルシは口を閉ざし、まだまだ下へと続いている螺旋階段へ目を動かした。眠る神が塔の真ん中辺りにいるということは、恐らくこの下には──見てはいけないものが散らばっているような気がする。


 何百年、何千年と繰り返されている神聖な儀式の実態を知ったファルシは、気づけば顔を俯かせていた。


 “来たる日”は、とても神聖なものだと聞かされていた。ファルシとフィオナはそのために生まれ、その日のために生きていくのだと。それを果たすのが聖王と聖女の使命なのだと、毎日のように聞かされてきた。


 果たしてそれは、正しいことなのだろうか。


「……フィニス。ひとつだけ、教えてくれないか」


 ファルシはふらりと顔を上げた。そこにいるのに、そこにいないようなフィニスを真っ直ぐに見つめ、渇いた唇を開く。


「その儀式を行わなかった場合、私はどうなる?」


「君は何万人といるイージスの民ではなく、ひとりの女を選ぶのかい?」


「私の質問に答えてくれっ……!」


 声を張り上げ、力いっぱい手のひらを握りしめているファルシの目には、薄らと涙が滲んでいた。それを拭おうと、フィニスの指先が伸びてきたが──その手はファルシに触れることなく、ぶらりと下げられた。


「…………君は、僕のようになりたいのかい?」


 フィニスの口の端が不自然に吊り上がる。長いまつ毛に縁取られている瞳からは、はたはたと雫が散っては落ちていた。


 それがフィニスの涙だと知った時。

 ファルシの目を覆うように、フィニスの手が当てられていて。


 急激な眠気に襲われ、ずるりと身体から力が抜けていく。ぐにゃりと歪んだ視界が最後に映したのは、悲しんでいるのか笑っているのか分からない、変な顔をしているフィニスの姿だった。



「──僕は赦されたかったのかもしれない。君の傍に在ることで、君に真実を伝えることで──」

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