第3話
「──聖女を見つけました」
聖女とは、聖王と運命を共にする存在のことだ。聖王と聖女はふたつでひとつとされ、同じ日に生まれ、そして同じ日に死ぬと聞かされている。
だが、ファルシと同じ日に生まれたはずの聖女は、十年もの間行方知れずとなっていた。
「それで、聖女はどこに?」
「既に到着していますが、泣いていると」
ファルシは書物から顔を上げ、報告に来ている神官を見つめた。
「何故泣いている?」
聖女には聖女の使命がある。聖王と並び立つ者として、この場所で勤めを果たさなければならない。泣くことなど許されないというのに。
「十年もの間、人里に居たからでしょう」
「……人里か」
聖女は生まれたらすぐに神殿に引き渡される。それがこの国の掟だ。聖王は神殿で生を受けるが、聖女は外の世界で生まれる。歴代の聖女も外で生まれ、生まれたその日に神殿に引き渡されてきた。
だが、今代の聖女は生みの親に隠され、どこにいるのか分からなくなっていた。
「ならば私が迎えにいこう」
「優しいじゃないか。ファルシ」
フィニスの揶揄うような声に、ファルシは息を吐いた。
「優しさなどではない。私の聖女なのだから、私が連れ戻しにいくのは当然のことだ。聖女はこの国になくてはならない存在なのだから」
急ぎ足で部屋を出たファルシは、聖女が今どこにいるのか聞いていないというのに、何かに導かれるようにして歩みを進めていた。
その少女は、ファルシと同じ色の髪をしていた。長さは胸元まであるが、横髪が顔に掛からないようにと後ろへ向かって編み込まれている。
少女は泣き疲れてしまったのか、地べたに転がっていた。
ファルシは一度だけ大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと少女のもとへ近づいていく。
「──君が私の聖女かい?」
声を掛けると、少女は弾かれたように身体を起こした。
ファルシは少女の前方へ回り、その顔を覗き込む。
少女は菫の花の色をしている瞳を持った、うつくしい子だった。ファルシと目が合った瞬間、大きな菫色の瞳から色のない透明な雫が一滴、白い頬を転がり落ちた。
「あなたはだあれ?」
ファルシは驚いたように目を見張った。今初めて己の聖女と対面したファルシでさえ、目の前にいる少女が聖女という特別な存在であることが分かるというのに。
やはり人里で十年も暮らすと、違ったものになってしまうようだ。
ファルシは小さく笑ってから、少女に手を差し出した。
「おや、私が分からないかい?」
「ええ、ちっとも。それよりここはどこなの? 私は父さんと母さんと一緒に、森にいたはずなのに……」
少女はファルシの手を取らずに、辺りをきょろきょろと見回し始めた。
どうやら少女は、父と母とやらと森にいたところを捕獲され、ここに連れて来られたようだ。ようやく会えたというのに、聖王である自分に微塵も興味を示さないのは、人里による影響だろうか。
「聖王様。早く聖女様を神殿へ」
「分かっている。だが彼女は無理やり連れてこられ、困惑しているようだ。私が連れて行くから、君たちは先に戻っていてくれ」
「しかし、聖女様は……」
少女はファルシと神官の会話の意味が分からないのか、こてんと首を傾げていた。だが、ファルシの後ろにいる神官の人のひとりが縄を取り出したのを見ると、怯えたような顔をするなり、その場から足を剥がしていた。
「──!聖女様が!」
「誰か、捕まえなさい!」
逃げ出した少女を追って、神官たちが駆け出す。
ファルシは必死に走る少女の背中と、いつになく不気味に見える神官たちを交互に見てから、肺の中の空気を吐ききった。
どうして少女は逃げ出したのだろうか、と。
逃げ出して、それからどうしたらいいのか分からなかったのか、少女は無意識に使った力で結界を張っていた。突如現れた光の膜を前に、神官たちは狼狽えている。
半円形のドームのような光が、少女を守るように光り輝き続けている。その光に触れてみると、泣きたくなるくらいにあたたかくて、胸の辺りが詰まったように苦しくなった。
ここで立ち止まってはいけない。この壁を超えて、あの少女の手を取らなければならない。それが己の使命の一片だと、本能が告げている。
ファルシは光の壁に手を当てながら、背後の神官たちへ目を配った。
「……全員下がれ」
「しかし、聖女様が」
「下がれと言ったのが聞こえなかったのか?」
ファルシが地を這うような声を出したことに驚いたのか、神官たちがぞろぞろと下がっていく。最後の一人を見送った後、ファルシは少女へ視線を戻した。
顔は見えないが、泣いている──と思う。いやだ、こわい、かあさん、とファルシの知らない言葉が次々と頭に入り込んでくる。それが目の前の少女の声だと知った時には、光の壁が消えてなくなっていた。
「……ねぇ、フィオナ」
少女の肩がまた動く。どうして名前を知っているのかとでも言いたげな目をして、ファルシの顔を見上げている。
どうしてなのかはファルシにも分からなかった。目の前にいる少女が自分と運命を共にする存在である“聖女”であることと、フィオナという名前であることを、なぜか知っていたのだ。
「……傍に行ってもいいかい?」
少女──フィオナが小さく頷く。
ファルシはゆったりとした足取りで近づき、その隣に腰を下ろした。
「どうして泣いているんだい?」
「……怖くて、悲しいから」
「何が怖くて悲しいんだい?」
「起きたら知らないところにいて、父さんも母さんもいないのよ。あなたは怖くないの?」
真摯な菫色の瞳が、ファルシをじっと見つめる。心の奥深くまで覗き込まれていそうな、ふしぎな目だ。
「私は生まれた時からここにいるから。君の言うトウサンもカアサンもいないから、君の気持ちが分からない」
ファルシの答えに、フィオナの首が傾く。
「怖いというものも、よくわからない。そう感じるものが、私のまわりにはないから」
ファルシがフィオナの行動を理解できないように、フィオナもファルシの言葉の意味が理解できていないようだ。ただ「ふうん」と気のない返事をすると、赤くなった目元を拭っていた。
ファルシは一度空を仰いでから、フィオナと向き直った。
真っ赤に目を腫らしているこの少女と、来たる日まで共に在るのか、と。
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