第2話

 明くる日の早朝。

 本尊に御給仕と読経を努めたのち、三谷道啓は草鞋を履き、托鉢をしながら辻を歩いていた。

 往来には鰻屋、米問屋、天麩羅屋などなど朝から活気に満ちていた。

 お~いそこの坊様、豆腐を貰ってくれねぇかね?

「弥平よ、首尾はどうじゃ?」

 弥平と道啓に呼ばれた豆腐屋は突然声色を変え、ドスの利いたしかし三谷道啓しか聞こえぬよう不思議な音量で話しだした。

 道啓の子飼いの密偵、「弥平やへい」であった。

 ほっかむりをしていて人相は分かりにくいが、ふくらはぎが隆起していて健脚を彷彿とさせる青年であった。

「師匠、例の地上げ屋ですが奉行所の代官と繋がりがありそうです」

「なに、奉行所とな」

「へぃ、そこに出入りしてる幇間ほうかんらに銭を少しやって酒を酌み交わし聞き出したところ、与兵衛よへえという商人は奉行所の代官「加藤茂之かとうしげゆき」様と何度も船宿で酒食を交わしておりやす。

 正攻法で奉行所に願い出ても埒が明かぬか⋯⋯。

「師匠、もう少し探りを入れてみます」

 そう言うと、声色をまた変えて「豆腐〜豆腐はいらんかねぇ〜」と行商人に戻っていった。

 道啓はその背には視線をやらず、先程からこちらに強い視線を注ぐ侍に注視した。

 悟られる前に踵を変えてまた辻を歩く。

 侍も距離を取りながらついてきた。

 

 町から外れ、竹林にさしかかった所で突然、三谷道啓は振り返り、「何者じゃ」と誰何すいかした。

 チッと舌打ちの音がしてから影が伸びる。

 なりは浪人だが、二本差しの刀を愛でると御家人崩れかと直感で覚知する。

「拙僧に何用かな?」

「いやなに、たまたま道が同じでな⋯⋯」

「豆腐屋が供養をしてくれた時よりずっとかな」

「ん、貴僧こそ何奴」

「私が思うに、お宅は与兵衛の用心棒と観た」

「ふっ、ふはははははっ。いや参った参った」

 そう言うと一気に踏み込み道啓へ斬り結んできた。

 懐から短刀を逆手で出し金属と金属がぶつかる鈍い音がする。

わしの居合を受けるとは生意気な、この生臭坊主め。どこで習った」

「私の勘が当たったのか」

「ほざけっ」

 距離を少し取り、侍は上段に構えて名乗った。

「我が名は吉田新太郎景盛よしだしんたろうかげもりと申す。今は身をやつしておるが旗本御家人の末席よ」

「我が名は三谷道啓みたにどうけい。見た通りただの生臭坊主じゃよ」

 そう言った瞬間、吉田新太郎は後退あとずさる。

 今度は三谷道啓が距離を詰めていく。

 お互い汗が玉のように流れている。

「辞めじゃ⋯⋯辞めじゃ辞めじゃ降参はしとうないが、まだ儂は死にたくもないしの」

 吉田新太郎は刀を納めその場をとうとした。

「一つだけ聞こう、なにゆえあのような者の所従しょじゅうに?」

「詳しいわけは言えんが、したくてしておるわけではない。なにゆえ儂を殺さない?」

「生臭坊主とは言え、五戒の一つの殺生をする訳にはゆかぬゆえ。また」

「また?」

「武士のくせに死にとうないと正直に話したお主が気に入ったからよ」

「そうか」

「ああ」

 お互い目を見つめつつ後退りして発った。

 竹林の葉はゆっくりと風に揺られていた。

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