天国
宇宙(非公式)
ツヅリ
私は自信をなくし、ペンを折った。ペンは剣より強いから、私は剣より強い。それでもなお、執筆に対する自信は復活しなかった。
ふと喉の渇きを思い出し、手元のコップを取った。しかし結露が滴るばかりで、中には何も入っていない。仕方なく立ち上がる。
振り返るとそこにいたのは、幽霊だった。足がなく、浮遊している。
「おい」
その幽霊は動物が唸るみたいに低い声でそう言った。私は威嚇するように変な声をあげると、隣の部屋に駆け込み、扉を閉めた。何なんだあれは。私はひとまず椅子に座り、自らの精神安定を図った。私はそれなりの豪邸に住んでいる。セキュリティは完璧に近く、虫一匹も付け入る隙はないはずなのに、それがいる。幽霊がいる。
少しして、扉は開いた。ポルターガイストでも何でもなく、幽霊がドアノブを捻り、開けた。私は生粋の馬鹿だ。
「なぜ逃げる。俺は怖くない」
「あなたが怖くなくても私が怖いんです」
慣れない状況すぎて冷静になり始めた。
「だいたい何なんですか、人の家に土足で入り込んで」
「安心しろ、俺には足がない」
「それでも、不法侵入ですよ」
「安心しろ、俺には人権がない」
幽霊に論破された。悔しい。
「はい論破」
「いいえ論破」
「じゃあ違うのか」
危なかった。相手に論破されたのがバレるところだった。よく見ると不思議な感じだった。足から上は生身の人間のように普通なのに、足が魂の途切れめみたいにゆらゆらと揺蕩っている。キャンプ愛好家の小さな夜、揺れる焚き火を呆然と眺めるように、私はその切れ目を見ていた。
「というか、何でここにいるんですか。他にもっと居心地のいい場所があるでしょう」
「気がついたらここにいた。それに、ここはかなり有り心地がいい」
「自分を俯瞰で見てる?」
語気も強く、声が低いせいで威圧感もあるが、意外と冗談を言うみたいだ。
「あの、名前、なんて言うんですか?」
「俺か。俺は生前、親友にしんちゃんと呼ばれていた」
「わかりました、しんちゃん」
彼、しんちゃんは少しだけ口角を釣り上げ、愉快そうにする。彼も、私の名前を聞いてきた。時計の針が進む音がする。そういえば、この人は不審者だし、偽名を名乗ってやり過ごそう。本名を知られてしまうのは恐ろしい。
「ああ、私の名前は」
言いかけたところで、しんちゃんが遮った。
「嘘をつこうとしてるならやめた方がいい。天国は絶対に嘘を許さない。死んだ後、天国に行けなくなるぞ」
彼は真剣な眼差しで言った。目というにはあまりに黒く染まったそれが、私を深く突き刺してくる。なぜか不安な気持ちになった。
「何で偽名を名乗ろうとしてるってわかったんですか」
「幽霊だからだ」
幽霊は人の思考を読めるらしい。きも。とにかく、仕方がないので私は本名を名乗ることにした。
「私の名前は
「分かった」
しんちゃんは微笑んだ。その笑顔を見て私は記憶の端にある何かを思い出しそうになり、思わず彼に聞いた。
「私たち、どこかであったことがありますか?」
「いや、ない」
彼はまっすぐに言った。
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