エピローグ④

「飲み物なにがいい?」


 ぼくは冷蔵庫を開けて、ダイニングテーブルにいる優希に尋ねる。


「オレンジジュースで!」


 優希が元気に答えてくれた。


「了解」と応じて、ふたつの透明なコップを置く。

 それぞれに濃縮還元オレンジジュースをたっぷりと。

 オレンジジュースの紙パックの口を閉じて冷蔵庫に。

 扉をパタンと閉じて、コップをふたつ抱えて彼女のもとへ。

 コップをテーブルに置く。テーブルのうえには既に白いお皿が二枚。買ったパン――クリームパンとあんパンとチョココロネがそれぞれのお皿のうえに一個ずつ乗っている。

 イスに座って、さっそくいただきますをしようと思ったら、優希がなにやらスマホを触っていた。

 なにをしているのかなって思ったら、どうやらカメラでお皿に並んだパンを撮ろうとしているようだった。いろんな角度でカメラを向けては小首を傾げている。


「アウスタにあげるの」


 ぼくの視線を感じてか、優希が自発的に教えてくれた。

 アウスタとは、写真や動画を共有できるSNSのこと。

 優希はグループや個人の宣伝及び認知度向上のために、日々の写真や動画をたびたびアウスタにあげている。ほかにも各種SNSを駆使しているインフルエンサーとしての側面も備えている。

 カメラのシャッター音が、数回響く。

 ほどなくして撮影を終えたらしい優希が、しかしスマホを見つめながら「うーん」と悩まし気につぶやく。


「どうした?」


 訊くと、優希はスマホを印籠みたいに提示。

 お皿に乗ったパンの写真が映っている。写真を優希が指でスライドしたら、別の角度で撮られた同じ写真が。更にもう一度スライドしたら、また別の角度の同じ写真。

 パンの写真が、ぜんぶで三枚。

 それらの写真をぼくに見せながら、優希が微笑み顔で尋ねてくる。


「お兄ちゃんは、どれがいいと思う?」


 意見を求められたから答える。


「ぜんぶ上手に撮れてるじゃん」


「えー」


「えーってなんだよ」


「なんかテキトーな回答じゃん。もっとちゃんと確認してよ。真贋を見定めてよ」


 真贋て。そんな大袈裟な。

 実際問題ぶっちゃけどれも似たような構図だ。光の当たり加減とか微妙に違ってるけど素人目には大差ない。

 ぼくは優希のスマホにうつる写真を指でスライドさせながら吟味する。

 なんだか画商になった気分。

 三枚の写真のあいだを、反復横跳びするみたいにスライドさせていく。

 そうしているうちに、ふいに勢い余って、三枚目の写真の次に保存されている写真までスライドさせちゃって。

 そこに写っていたのは――ぼくの寝顔だった。

 日時を見るに、おそらくは昨晩、テレビを観ながらソファーで寝落ちしちゃったときのぼくの寝顔。


「……なぁ、優希」


「ん? どれがいいか決めてくれた?」


「いや、それどころじゃない」


「ほえ?」


「これは、なんだ?」


 優希の手首を握って動かして、スマホを優希本人に。


「……」


 動かぬ証拠を――ぼくの寝顔の盗撮写真を突きつけられて、優希は硬直。

 顔を紅潮させて、ほんのりと汗が滲む。

 あ、動揺してる。露骨に動揺してる。めずらし。


「……ごめんなさい」


 初手で素直に謝った。めずらし。


「どうしてこのような隠し撮りを?」


「お兄ちゃんの寝顔が素敵すぎて、これは永久保存版にしなきゃと思って、気づいたときにはスマホを取り出しカメラでパシャッと反省してます写真は消去はしませんが」


「あ、しないんだ」


「お仕事で疲れたときに、お兄ちゃんの寝顔を拝んで回復したいと思います」


「それ言われちゃうとなぁ」


「っていうかお兄ちゃんもお兄ちゃんで悪いところあるよね?」


「マジで?」


「そもそも問題の発端はお兄ちゃんの寝顔が素敵すぎることだし、優希の許可も無しに優希の写真フォルダを覗くなんて、お兄ちゃんもなかなかのワルなんじゃないかな?」


「こっから形勢逆転はさすがに無理だぞ」


「でも大谷翔平だって無理無理言われてるなかで二刀流成功させたよ?」


「誰の何と比べてんだよ」


「だってー、お兄ちゃんの寝顔の破壊力がスゴかったんだもーん! じゃあ今度お返しに優希の寝顔こっそり撮っちゃってもいいからーっ!」


「いやいや、なんでそうなるんだよ」


「優希、お兄ちゃんだったらー、お兄ちゃんにだったらー、寝顔とかー、寝顔以外の顔とかー、もう好きなだけ撮影会してくれちゃって構わないんだけどなー。なんならこっちから、優希のほうから盛れてる写真を勝手に送りつけてあげちゃうしー。優希、お兄ちゃんのためだったらレベルの高い合格点を越える写真オールウェイズ出してあげちゃう気概持ってるのになー」


「……なあ、優希」


「なあに?」


「そろそろ、パン食わねぇか?」


「だよねっ!」

 

 



 パンをありがたく食べ終わったところで、話題を先ほどの件に。

 どの写真が一番映えているかという件に。

 あらためて三枚の写真を見比べてみて、ぼくは決定する。


「三枚目がいいんじゃないかな」優希に伝える。


「三枚目っていうと――これのこと?」


「あぁ、それだな」うなずいてみせる。


「……へー、これなんだ」


 あっ。

 明らかに芳しくない反応。どうやら優希が後押ししてほしかった選択肢は三枚目じゃなかったらしい。

 よし、選択肢を選び直そう。


「――あ、でも、二枚目も甲乙つけがたい感じだったけどな」


「二枚目?」


「うん、二枚目」


「これのこと?」


「そう。それのこと」


「……ふーん」


 ニブイチを盛大に大外し。


「――いやー、実はさぁ、一枚目の写真も、ほかの二枚に負けず劣らず素晴らしいって思ってたんだよなぁマジで!」


「ホントに!? 最初の写真そんなに良かった!?」


 なんて分かり易い反応。

 間違いない。本命は一枚目。


「やっぱり一枚目だったかぁ。いやさ、実は最初から一枚目なんじゃないかって思ってたんだよなぁ」


「そうだったの?」


「そうともそうとも。だからあえて逆に? 逆に本命の一枚目を一番最後まで残しておいた感じでさ。ほら、ぼくってショートケーキのイチゴも一番最後に食べる派だろ?」


「たしかに! お兄ちゃんってそういう傾向あるかも!」


「だろ? だから要するにそういうことなんだよ! 要するにそういうことだってことを優希に分かってもらえて嬉しいってことで」


「もー、お兄ちゃんったらー。あまのじゃくなんだからー」


「さーせん! あまのじゃく発揮しちゃってさーせん!」


 って、取って付けたみたいに――みたいにと言うか実際取って付けたんだけど、優希に弁明していたらスマホがブルっと。

 見ると奏海からメッセが届いていた。

 なんだろうと思って確認する。


『アウスタにアップする写真、どっちがいいと思う?』


 そんな質問とともに、お皿に乗ったパンの写真が二枚。

 いや、そっちもかよ。

 今しがた三択を二回も外したばっかりのぼくによりにもよってそれを訊くかね。

 はぁ……。

 いったいどっちがいいんだろう……自信ないなぁ……。

 なんかもう本格的にどっちも同じ写真に見えてきたし。

 乱視の世界って、きっとこんな感じなんだろうなぁ……。

 いっそのことランダムに、どちらにしようかなテキな手法で決めちゃおうか。

 ……いやダメだ。それはさすがに失礼だ。

 意見が欲しいにせよ後押しが欲しいにせよわざわざぼくに訊いてくれてるわけだから、そんな投げやりな方法で応対するのは普通に失礼。親しき中にも礼儀あり。うん。間違いない。

 二枚の写真を比較。

 しっかりと見定める。

 ……うん。うん。うん。腹のうちが決まった。


『右のほうがおいしそうに見える気がする』


 率直な感想を伝えてみたら、数秒後、既読がついて、それからさらに数秒後。


『だよね! 私もそう思ってた!』


 返信があった。

 ……。

 やったああああああああああああ! 当たったあああああああああああああ!

 復活! 自信回復! っし!


「なにニコニコしてんのっ?」


 ぼくが内心で大歓喜してたら、優希にスマホをひょいと奪いとられた。


「あっ、ちょっ!」


 慌てて制止するも虚しく、スマホを覗き見られる。


「あ、お兄ちゃん! またこっそり奏海ちゃんとメッセして! しかもなんか同じこと訊かれてるし! どうして優希と同じ質問を奏海ちゃんからされてるの?」


「どうして優希と同じ質問を奏海ちゃんからされてるのってどうしてぼくに訊くの?」


「ごめん! それはたしかに!」


 優希からスマホを返してもらう。

 奏海に対して『ドヤ!』みたいなスタンプを送信する。

 なぜか奏海からも『ドヤ!』みたいなスタンプが返ってきた。

 スマホを机上に置いて、優希のほうに目を戻す。


「それにしても、同じタイミングで同じ質問を同じ相手にしてくるなんて、アイドル同士、気が合うんだな」


「それね。びっくりだね」


「この調子で、優希と奏海がもっともっと仲良くなってくれたらいいんだけど」


「ちょっと待って。どうやらお兄ちゃんは少し勘違いをしているみたいだけど」


「?」


「優希と奏海ちゃんは、ふつうに仲良しだよ。もちろんライバルグループ同士だから、バチバチなアレではあるけど、でも基本的には仲良しこよし。お仕事現場でもしょっちゅうしゃべったりくっ付いたりしてるし、このあいだもね、ふたりで楽屋で一緒にオーベルジーヌ食べたんだよ」


「へー、そうだったのか。意外なもんだな」


「まあ、仲良くなさそうに見えるんだとしたら、それは要するにアレだね。お兄ちゃんが絡んだときだね」


「ぼくが?」


「お兄ちゃんが絡んだときに限って、高確率で変な感じになるの。なんかこう、時空がグニャっとなる感じ。ムンクの叫びみたいな」


「ムンクの叫び……」


「こーゆーやちゅ」


 両手でほっぺを持ちあげて、ムンク叫びのマネをする優希。

 そのモノマネがおかしくて、可愛らしくて、ぼくは思わずプッと吹きだしてしまう。


「ちょっとお兄ちゃん」ムンクをやめた優希がいう。「優希の渾身のムンクを見て笑うなんて、ちょいと失礼じゃないかなっ」


「あはは、ごめんごめん。ムンクになってる優希が可愛くて、つい」


 伝えたら、優希の顔がほんのりと赤く。


「……まあ、可愛かったんなら、いいけどさっ」


 そういって、優希は穏やかに微笑んだ。

 陽だまりみたいなその微笑みに、つられてぼくも頬がゆるんだ。

 

 

                                    終

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ぼくと妹《アイドル》と幼馴染《アイドル》の日常生活 武井 叶汰 @takei_kanata

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