透明少女④
午前の授業が終わり、昼休みになる。
いつメンの友達と机を囲もうとしたら、スマホにメッセが。
差出人は奏海だった。
『別館 第三会議室 手弁当』
覚え書きみたいな内容だ。
おそらくは『校舎別館の第三会議室に弁当持参で集合』という意味だと解釈。
奏海の姿を探すが、彼女はすでに教室にいなかった。
仕方ないので、てきとうな理由をつけて断りを入れて、弁当と水筒を携帯して教室を出る。
指定された校舎別館の第三会議室を訪れると、予想通り奏海がいた。
窓から中庭のほうを眺めている。
「来たぞ」
告げると彼女は振り返り「待ってた」と応じる。
長机の前にある木製の四角いイスに腰をおろす。
長机のうえには菓子パンと紙パックの野菜ジュースが。いずれも購買で売っているものだ。
「それだけか?」
奏海に尋ねながら、となりのイスに座る。
「うん」イスを動かして、距離を詰めてくる奏海。「いま、ダイエット中」
そういって奏海は菓子パンを開封した。
小さめサイズのクリームパンだ。
あっという間に食べきって、ビニールを結び、スカートのポケットに。
ぼくは弁当箱をあける。
弁当箱は二層構造になっている。上層には白米&梅干し。下層には唐揚げ、一口ハンバーグ、卵焼き、レタス、プチトマトというラインナップ。唐揚げとハンバーグは冷食だ。
「いただきます」手を合わせる。
するとなぜか奏海も、
「いただきます」と手を合わせた。
「……お腹すいてんのか?」
訊くと奏海は、無言でこくりとうなずいた。
案の定、小さなパンだけじゃ足りなかった模様。
ほらみろ言わんこっちゃない。
まあ、ぼくが作った弁当でよければ、快く分けてあげたいところなのだけれど――。
ひとつ問題があった。
箸が1セットしかないのだ。
「食べていい?」
奏海はすでにプラスチックの箸を握っている。
「あぁ――」
とりあえず許可を出すと、奏海が弁当箱に箸を伸ばす。
抜群の存在感で弁当箱に鎮座しているハンバーグ。
それを遠慮なく箸で挟んで持ちあげる。
弁当箱から攫われていったハンバーグは、奏海の体内に消えていった。
ハンバーグを咀嚼して、ごくんとのみこむ奏海。
「おコメを頂いても?」
「お、おう。どうぞ」
「ありがとう。五穀豊穣を祈ります」
結局、奏海は、ハンバーグひとつに加えて、白米の1/3ほどを平らげた。
「ごちそうさま」箸をこちらに差し出してくる奏海。
彼女から、箸を受け取る。
弁当箱のフタを箸置きにして置く。
――さて。
ぼくがこのまま、この箸を使ったら、それはつまり、俗にいう『間接キス』に該当することになるのだけれど――。
果たしていったい、どういう動きを取れば正解なんだろうか。
展開を、いくつか想定してみる。
パターンA:箸をそのまま使って引かれるパターン
ぼく「いただきまーす! ぱくっ!」
奏海「えっ……」
ぼく「えっ」
奏海「あ、いや、そのまま行くんだー、って……ハンカチとかで拭くのかなって……」
ぼく「……ごめん」
奏海「あ、いいよ別に、うん、全然気にしてない、こっちこそごめん……」
ぼく「……ごめん」
パターンB:箸をハンカチで拭いて引かれるパターン
ぼく(ハンカチで箸の先を拭く)
奏海「えっ……」
ぼく「えっ」
奏海「私が使った箸、そんなに汚かったかな……ぴえん……」
ぼく「ち、違うんだ奏海! 汚いなんてこれっぽっちも思ってない!」
奏海「でも、いま拭いたじゃん……」
ぼく「確かに拭いたけど――」
奏海「もういい! さよなら!」
ぼく「奏海ーーーっ! 行かないでくれーーーっ!」
パターンC:箸をそのまま使って上手くいくパターン
ぼく「いただきまーす! ぱくっ!」
奏海「お味の感想は?」
ぼく「おいしい! さすが自分!」
奏海「自作自演だね!」
ぼく「自画自賛の間違いでは?」
奏海「あ、そっか! あはははは!」
ぼく「あはははは!」
パターンD:箸をハンカチで拭いて上手くいくパターン
ぼく(ハンカチで箸の先を拭く)
奏海「わざわざ拭くなんて、紳士だね」
ぼく「ぼくはいつだって紳士だぞ」
奏海「たしかにそのまま口つけちゃったら間接キスになっちゃうもんね。夏輝、正解」
ぼく「ぼく、正解」
奏海「あはははは!」
ぼく「あはははは!」
合計4パターンを想定してみたけど、パターンB:箸をハンカチで拭いて引かれるパターンが最も禍根を残しそう。
と、いうわけで。
最悪の展開を回避するために、箸をそのまま使うことに決定。
箸で唐揚げをつまみ、口元に。
間接キス云々は、ひとまず気にしないことにする。もし不興を買ってしまったら、デリカシーがないことを謝罪しよう。きっと許してくれるはず――。
「間接キスだね」
「――げほっ! げほっ!」
むせた。
間接キスを指摘されて、言及されて、むせちゃった。
「どうしたの? 気管支炎?」
「ちがーーーう! 奏海が急に間接キスとか言うからだ!」
「え、だって間接キスだし」
「たしかにそうだけど! わざわざ口に出してくるとか思わないだろ! ――げほっ、げほっ!」
「だいじょうぶ?」
むせるぼくの背中をさすってくれる奏海。
そのおかげで、すぐに呼吸を整えることができた。
水筒のお茶を飲んでひと息ついてから、奏海に伝える。
「まったくもう、勘弁してくれよ。ぼくだって内心『あ、間接キスだなぁこれ』とか意識してたんだぞ」
「そうなの? 私は全然気にしてなかったよ」
「全然気にしてなかったんかい!」
「気にしてたら、そもそも夏輝の箸を使わないし」
「まあ、たしかに」
「手づかみで行っちゃうし」
「手づかみで行くなよ……」
「むかしは間接キスなんて、そんなのまったく気にしてなかったのに」
「むかしといまは違うだろう」
「違わない。むかしもいまも幼馴染。ずっとふたりで馴染んできた」
「いや、だってほら、なんていうか奏海は――アイドルじゃんか」
「アイドルだけど、アイドル以前に私は夏輝の幼馴染。間接キスをもろともしない関係性」
「ぼくにとっては今となってはもろともしちゃうんだよ」
「夏輝の気持ち、わかんない。明日までに書面で教えて」
「せめて口頭で伝えさせてくれ。要するに、どぎまぎ、だ」
「どぎまぎ?」
「間接キスに際して、なんかこう、心が無性にどぎまぎするんだ。どぎまぎして、そわそわして、落ち着かない」
「ふーん。そうなんだ。じゃあ、もし私がアイドルやってなかったら、間接キスをもろともしない関係性のままでいられた?」
「それは……ごめん、やっぱアイドル関係なく無理だわ」
「無理の理由は?」
「ひとえに幼馴染といっても、幼少期と高校生じゃ、色んな尺度が違うというか――むかしはできたことがいまもそのままできるとは限らないだろ。極端な話、すっごいむかしに一緒にお風呂に入ったことがあったと思うけど、いま一緒にお風呂に入ろうなんて絶対無理な話じゃんか」
「え? 別に入れるよ?」
「ヴェッ!?」
「ただし水着は着用させていただきますが」
「いやいやいや! 無理無理無理! 水着着用でもふつうに無理だから! どんな顔して入ればいいのか分かんないから!」
「澄ました顔でいいのでは?」
「澄ました顔を意識する時点で全然澄ませてないからな! 濁りまくってるからな!」
「そっか。残念」
「……まあ、残念に思ってもらえるのは光栄だけど」
「あ、思い出した」
「ん?」
「むかし、一緒にお風呂に入ったときさ」
「うん」
「夏輝、私のこと、いじめてきたよね」
「へっ?」
「お湯をさ、びしゃーって、ぶっかけてきたよね」
「……」
たしかにそんなことがあった気がしなくもなくもなくもない。要するに記憶がイマイチ定かじゃない。
「私、夏輝にぶっかけられました。たくさんぶっかけられました。トラウマ。PTSD。謝罪を要求」
まあ、被害者がそういっているんだから、そういうことがあったんだろう。たぶん。
ここは素直に謝っておこう。
「その節は、どうもすいませんでした」
「さっきのハンバーグで相殺ね」
「やっすいトラウマだな」
「他にも、夏輝には色んな前科がある」
「前科? ぼくに?」
「小学校の給食当番のとき、私に対してだけ、カレーをちょっとしかよそってくれなかった」
「覚えてないけど、おそらくは偶然だろ」
「ううん、偶然じゃない。ほかの女の子――礼香とか瑞穂とか唯とか春奈にはたくさんよそってた。でも私にだけ、ルーが少ない塩対応。おかげでルーとごはんのバランスが合わなくて、私としたことが、ごはんを余らせてしまいました」
「よく覚えてんな」
「ルーの量は、愛の量です」
「聞いたことない概念」
「私はとても悲しかったです。トラウマ。PTSD。謝罪を要求」
「……カレーをちょっとしかよそわなくてすいませんでした」
「唐揚げ一個くれたら許してあげる」
「お、おう」
奏海は箸を握り、ためらうことなく一番大きな唐揚げを奪取。
もぐもぐと味わう。
のみこんだところで、そういえば、と彼女は再び話題を切りだす。
「こんなこともあった。下校時間に大雨が降っていた日、傘を忘れて困り果てていた私を、夏輝が相合傘に誘ってくれた」
「あ、それは何となく覚えてるぞ」
「すごく嬉しくて、喜んで傘に入れてもらった。夏輝のやさしさに触れながら、ふたりで肩を寄せ合って、一緒に仲良く下校した」
「懐かしいな」
「でも、夏輝は相合傘が壊滅的に下手だった」
「えっ、下手、えっ」
「歩いているあいだ、私の左肩に、傘の先から落ちる雨粒がぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼた――」
「知らないところでそんな惨事が」
「当時の私は、相合傘に入れてもらった身分だったから、弱い立場だったから、濡れていることをいいだせなかった。でも、いまなら胸を張っていえる。私が濡れてることに気づいてほしかった。気をきかせてほしかった。トラウマ。PTSD。謝罪を要求」
「濡らしてしまってすいませんでした」
「卵焼きで許してあげる」
「なんなんだよこの手法! 過去の思い出引っ張り出してぼくの弁当奪っていく手法なんなんだよ!」
まあ、別に全然あげるけど。むしろ喜んでくれるなら本望だけど。
奏海は卵焼きを箸でつまんで頬張る。
味わって食べて、そういえば、と次なるエピソードを。
「こんなこともあった。小二のとき、私がクラスの男の子にいじわるされて泣いていたのを、夏輝が庇ってくれた」
「あったあった」
「しつこくからかわれてもグッと堪えるばっかりで相手に言い返せなかった気弱な私を、夏輝は全力で守ってくれた。最後には、私のために、いじめっ子たちと取っ組み合いのケンカまでしてくれた」
「相手の顔にパンチ浴びせたのは、後にも先にもあのときだけだ。反省してるよ」
「うん。暴力はダメ。でも、私を守ろうとしてくれた気持ちがすごく嬉しかったのも本当だよ」
「それほどでも。だけどまさかあいつらも、奏海がこんなビッグな存在になるなんて思いもしなかっただろうな。きっと今頃後悔してるよ」
「逆に武勇伝にしてるかも」
「だとしたら救いようがないな」
「懐かしい想い出」
つぶやいて、奏海は握っていた箸を弁当箱のうえに。
こちらを見つめて訊いてくる。
「夏輝はもう、ダンスやらないの? 足、完治してるんだよね?」
「あぁ」うなずいてみせる。「足はもう、とうの昔に治ってる」
「じゃあ――」
「でも、ぼくはもういいかな」
「……その理由を、140字以内で述べよ」
「なんでSNS方式なんだよ」
「じゃあ十万文字以内で」
「卒論か。両極端だな。あいだを取ってくれ」
「およそ五万文字で」
「誰が厳密に取れといった」
「だったらもう文字数制限なしで語り明かしてどうぞ」
「語り明かすほどのことはないんだけどさ……前にも話したことあったと思うけど、そもそもぼくは大きな熱量を持ってダンスを習ってたわけじゃなくて、気分というか、興味本位というか、あくまでいくつかの習い事のひとつとしてダンスを習ってただけなんだ」
ぼくは小学生のころから近所のダンススクールに通いはじめた。偶然にネットで見たダンスの動画に興味を抱いたのがきっかけだった。そしてぼくの影響で、優希もまたダンスを習い始めて、彼女のほうはどんどんのめりこんで技術を向上させていった。
「でも、ケガをする前は、それなりに楽しくダンスをやっていらっしゃったよね?」
「まあ、それなりにな。もっとも、ケガしたときにはすでにぼくよりも優希のほうがだいぶ熱心だったけど」
そう。
かつてぼくは、大きなケガをした。決してケガのせいでダンスを辞めたわけではなくて、もとからそろそろ辞める予定だったのだけれど、傍から見たら、ケガのせいでダンスをあきらめたと受け取られてもしょうがない状況だった。
――小学五年生のとき。
母とぼくと優希で、山にキャンプに出かけたときのこと。
優希が、立ち入り禁止の区域まで誤って足を踏みいれてしまったことがあった。
いまにして思えば蛮勇というほかないのだけれど、ぼくは迷わず立ち入り禁止区域に入り、優希の捜索をはじめた。しばらく進んでいったら、幸運にも山中で立ち止まっている優希を見つけることができた。
彼女の手をとって来た道を戻ろう。そう思ったのも束の間、山の天気が急変した。吹き荒れるゲリラ豪雨が、頼りにしていた拙い目印を跡形もなく押し流していった。
当時は携帯電話を持っていなかったため、助けを呼ぶ手立てもなかった。ぼくは怖がる優希を懸命に励ましながら山中を歩いた。あてもなく歩いた。その場に留まって雨露を凌いだほうが安全だったのかもしれないけど、当時のぼくには立ち止まって救助を待つ度胸が無くて、不安感を紛らわすようにやみくもに行動を起こしてしまった。
しばらく歩いているとゲリラ豪雨は収まった。
同時に、川のせせらぎが耳に届いた。
迷路の出口を見つけたような心境で、アリアドネの糸を掴んだような想いで、ぼくたちは駆け出した。
しかし、先ほどまでの豪雨によって山の地盤が緩んでいた。
水分を多く含んだ地面に足を取られた優希が転倒。ぼくは優希をとっさに庇い、優希を抱きしめるようにして山の斜面を滑落した。
気づいたときには、眼前に川が流れていた。
直後、左脚に痛みが走った。
味わったことがない激しい痛みだった。
歯を食いしばりながら確認すると、すねの部分に、木の枝がぶっ刺さっていた。
びっくりして叫びそうになった。のたうちまわりそうになった。
それでも我慢ができたのは、傍らに優希が居たからだ。
ここで叫んでしまったら、優希に責任を感じさせてしまう。
ここでのたうちまわったら、優希に動揺を与えてしまう。
お兄ちゃんなんだから、しっかりしなくちゃ。
そんな想いを原動力に、意識を強く持った。
痛みをこらえながら、優希の具合を確かめる。
優希は奇跡的にも無傷だった。だけど優希は、ぼくのケガにショックや自責の念を感じているようで、わんわんと声をあげて泣きじゃくっていた。
そのあとしばらくして、偶然近くを通りかかってくれたおじさんに発見してもらい、ぼくたちは無事に生還を果たした。
以上が、ぼくのケガの顛末。
幸いにも後遺症は残らなかったのだけれど、しばらくは安静が必要だと医者にいわれた。必然的に、二週間後に控えていたイベント――卒業生を送別するための有志によるダンスパフォーマンスにも参加できなくなった。そして、ぼくの一存で、勝手きわまる独断で、自分の代役を他の誰でもない奏海に依頼した。
「いまでも不思議」奏海が話す。「ケガで出られなくなった夏輝の代役が、どうして私だったの?」
「奏海のダンスが見れたら、元気になれる気がしてさ」
「そういうの、無茶ぶりというのでは?」
「でも、奏海も快諾してくれた」
「違う。受諾はしたけど、快諾はしてない」
「あぁ、ごめんごめん。そうだったな。ずいぶん説得して、しぶしぶながらに引き受けてくれたんだっけ」
「クラスのみんなとお見舞いに行ったら、突然代役をオファーされて。みんなからも囃し立てられて、雰囲気作られて、その場の空気でそういうことになって。ただでさえケガで舞台に立てなくなった幼馴染からのお願いなんて、最上級に断りづらい案件なのに、周りを味方につけて外堀まで埋めるなんて、冷静に振り返るとすごい強引さだったよね」
「あはは、ごめんごめん。――でも、結果的に引き受けてよかっただろ?」
「……まあ、うん」
奏海はうなずいてくれた。
ぼくはダンスパフォーマンスでセンターを務める予定だった。しかし先般のケガで強制不参加となり、代役に奏海を指名した。奏海の身体能力や勘の良さは分かっていたので、少し練習すればダンスもそれなりに踊れるようになるだろうとは予想していたのだけれど、それなりどころか途轍もない天賦の才を舞台上で示してくれた。舞台の体験がきっかけで、彼女は表現することの楽しさを知ったのだという。
そのあとの活躍は枚挙にいとまがなかった。彼女は運命に導かれるようにスターダムに駆けあがっていった。彼女の大いなる物語の導入部に携われたことが誇らしい。人々を惹きつけてやまない彼女の姿を、ぼくは未来永劫応援してゆくことだろう。
深い感銘を受けながら。
熱い喝采を送りながら。
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