第13話 命名の儀
ダンジョンの奥、重厚な石扉の前に立った蓮は、深く息を吐いた。
手のひらにはじっとりと汗が滲んでいる。
――ここが、ボス部屋。
そして、このチケットダンジョンの最終試練。
視界には、いつものようにシステムウィンドウが浮かんでいた。
【インスタンスダンジョン〈D級〉:最終区画】
【討伐目標:ブラッドオーク】
赤よりもさらに暗く濁った、禍々しい色で名前が表示されている。
それは蓮にとって、これまで見た中でも最上級の危険度を意味していた。
「……行くしかない」
小さく呟き、扉を押し開く。
鈍い重音とともに、瘴気めいた空気があふれ出した。
巨大な影が蠢き、鋭い牙を剥く。
そこにいたのは、全身を血で染め上げたかのような巨体――ブラッドオークだった。
雄叫びが響いた瞬間、全身の毛穴が総立ちになる。
だが、蓮は震える膝を押さえ込み、短剣を構えた。
「……召喚!」
影が地を割り、シャドウウルフが姿を現す。
続けて、マナスライムが淡い光を帯びて浮かび上がった。
その一瞬だけ、恐怖の重圧から解き放たれた気がした。
――切り札を切る時だ。
戦いは熾烈を極めた。
振り下ろされる棍棒をウルフがかわし、マナスライムが僅かだが蓮のMPを補う。
だが、力の差は歴然としていた。
「ぐっ……!」
吹き飛ばされ、背中を石壁に叩きつけられる。肺が悲鳴を上げる。
それでも、蓮は何度も立ち上がった。
シャドウウルフの牙と短剣の一閃。
幾度も体力を削り、ついに――渾身の一撃が届く。
刃が肉を裂き、オークの咆哮が虚空を震わせ――そして巨体は床へと崩れ落ちた。
静寂が訪れる。
やがて、システムの通知が浮かび上がる。
【討伐完了:ブラッドオーク】
蓮は荒い息を吐きながら、よろよろと立ち上がった。
「……試してみるか」
右手を突き出し、低く呟く。
「……従え」
黒い霧がオークの亡骸を覆い尽くす。
一度、霧は弾かれた。失敗の表示が流れる。
蓮は奥歯を噛みしめ、再び呟く。
「……従えッ!」
再び拒絶される。魔力が体から喪われるのを、骨身に染みて感じた。
それでも三度目を試みる。
胸の中であらゆる感情が騒ぐ。恐怖、後悔、そして覚悟。
「……従え」
今度は黒い霧が深く渦を巻き、巨体のすべてを呑み込んだ。影が吸い込むように消え、静かに表示が現れる。
【眷族登録:ブラッドオーク】
蓮はその文字を見て、力が抜けそうになるのを堪えた。
成功した――三回目にして、やっと。
だが表示はそれだけでは終わらない。
詳細を開けば、眷族の情報が整然と並んでいた。
画面には、既に登録された眷族たちの名と推定レベル、所持スキルが記されている。
そして、驚くべきことに――モンスター名の上部に、空白の欄がぽっかりと口を開けていた。
(……名前を、付けられるのか)
直感が告げた。ここに名を与えれば、何かが変わる、と。
蓮は迷わず、過去に取り込んだあの存在へと視線を送った。
かつて戦ったブラッドオーガ。その情報にも同じ空欄があった。
迷いなく文字を打ち込む。
「――お前は、ガルド」
打ち込んだ瞬間、ガルドとなる存在の周囲に漆黒の霧が吹き上がった。影がうねり、収束する。
続けて、今取り込んだオークへ。
「――お前は、ヴァルグ」
黒炎のような影が弾け、巨体を覆った。二体は名を得て、まるで別の存在のように振る舞い始める。
情報が更新される。
【ガルド:Lv+10(35)】
【ヴァルグ:Lv+10(40)】
蓮は息を呑んだ。
命名の瞬間、眷族は単に強くなるのではなく、存在の格が変化したかのようだった。
「……これが、“命名の儀”か」
恐怖と昂りが胸中で混ざる。だが、とても冷静な感覚も同時に訪れた。
得た力は大きい。だが、それは切り札であり、容易く振るうべきではない。
そのとき、システムの通知が連なって鳴り出す。
【レベルアップ】
【新規継承スキルを獲得しました】
【ダンジョン達成:インスタンスダンジョン〈D級〉】
【達成報酬を付与します】
連続する通知音。光の粒子が蓮を包み込み、視界が白く滲んでいく。
達成と報酬、眷族化の恩恵――すべてが流れ込み、身体の中に染み渡る。
「……また、この流れか」
蓮は小さく苦笑を漏らす。感覚はもはや、見慣れたものに近い。
だが、胸の奥の高鳴りは簡単には収まらない。
光が視界を満たし、身体がふわりと軽くなった。
――強制転移の合図だった。
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