第4話  覚醒の夜

第4話 覚醒の夜


 黒いワンボックスの車内で、リナはお菓子を無表情に食べ続けていた。


 グミ、チョコ、キャラメル。どれも舌に溶けた瞬間、全身の熱と飢えが収まっていく。


 警護役の男たちは無言のまま彼女を見守り、汗を拭った。


「……よかった。今夜も制御できたな」


「飴が切れたら、どうなるんだ?」


「――誰にも止められなくなる」


 低く漏らされた言葉に、冷たい沈黙が落ちた。


     *


 研究所の白い施設に戻ると、ガラス越しに父・善和が待っていた。


「リナ、よう帰った」


「……また、逃げ出したのね」


 兄・将武が苦笑して肩をすくめる。


 リナは無言で飴玉を噛み砕き、父を見据えた。


「パパ。私は……兵器なの?」


「違う」


 即答だった。だが善和の目は揺れていた。


「なら、何? 私の体は人間じゃない。……全部、パパの実験のためでしょ?」


「違う。命をつなぐためだ。兵器じゃない。娘を守るためだ」


 言葉は届かなかった。リナの胸の奥に空洞が広がる。


     *


 翌日。


 訓練施設。センサー付きのスーツを着たリナは、再び基礎テストに臨んでいた。


 走る。跳ぶ。蹴る。


 反応速度は人間の十倍を超え、パワーは常識外れ。


 将武がモニターを見ながら叫ぶ。


「姉貴、パンチ一発でコンクリにヒビ入ったぞ!」


 研究員たちがざわつく。


 リナは拳を見下ろした。


 無表情のまま、かすかに呟く。


「……私は、怪物だ」


     *


ニュース速報が研究所のモニターに映しだ出される


地下鉄爆破テロ事件の様子が生々しく報道されている


         ※


「真心秘密研究所 ― 未完成の兵」


 真心秘密研究所。地上から切り離された地下階層は、消毒液と金属の匂いで満ちていた。


 壁面のラックには武器弾薬。負圧のガラス室では、無色の液体がリング管の中を循環している。化学ラベルは伏せられ、ただ赤い帯に**「神経剤取扱区画」**の表示だけが点滅していた。


 生体区画。運動選手だった男が水平に拘束され、筋束に走る銀の縫合が照明に鈍く光る。骨格は微細な補強材で締め上げられ、皮膚の下で鋼糸のような繊維が波打った。


 頭蓋後部のポートに、細いケーブルが三本。モニターには情動波形とコマンド追随率が並んで揺れている。


「追随率七一パーセント。心はまだ残っている」


 白衣の女が言う。胸章には臨床。


「冷却が足りない。跳躍二回で過熱曲線が赤帯に触れる」


 隣で工具を拭う男。胸章は機構。


「コマンド遅延〇・四秒。外部電磁妨害でさらに悪化する」


 端末の雨だれのような音に声を重ねるのは電算。


「筋肥大は基準達成。外力に対する復元力も試験値クリア。ただし精神側の拒否で暴走率一七%」


 最後に報告を閉じたのは生体。


 自動扉が音もなく開き、教祖が入ってきた。


 緑がかった目の底に、氷のような光。


「――出せ」


 声は乾いていた。


「まだ無理です」臨床が即答する。「情動が残れば指令を曲げる。薬理補正をもう一段――」


「不要だ」


 教祖はガラスに手を当て、眠る“素材”を覗き込む。


「忠実さは、完成で生まれるのではない。命令の反復で育つ。現場で学ばせろ」


「しかし――」電算が言いかけるより早く、教祖は指先で机を軽く叩いた。


 どこかでロックが外れる音。コンソールに出動プロトコルが展開される。


「目標は官邸。首班防護網を叩け。ドローンの編隊と連携、扉を開けるだけでいい」


 機構が歯噛みする。「冷却ラインがもたない。跳躍二回で性能が落ちると――」


「だから一撃で終わらせろ。廊下を走らせるな。扉を破り、障害を排し、標的を示す。それだけだ」


 臨床は最後のカードを切る。「心が戻る恐れがある。命令語を忘れ、人に戻る」


 教祖はわずかに笑った。「戻る心は、奪えばいい」


 アラームが低く鳴り、コンテナのロールベッドが自動で引き出される。


 拘束具が解除され、男――人造人間の瞼が震えた。視線は焦点を結ばず、しかし命令語が発せられると、ゆっくりと立ち上がる。


 皮膚の下で繊維が蠢き、背面の冷却ホースが小さく息をする。


「ユニットγ、搬出」


 電算が無機質に読み上げ、機構が最後のボルトを締める。臨床は薬剤ポートを閉じ、生体が胸郭の上下動を監視する。


 四人は互いに目を合わさない。ただ、記録だけが冷たく積み重なる。


 天井の搬出口が開き、無人トラックがベッドを飲み込んだ。


 遠ざかる赤ランプの列を見送りながら、臨床が小さく呟く。


「――まだ早い」


 機構が同じく小声で返す。「早いから、命令なんだろ」


 教祖は踵を返し、暗がりへと消えた。


 残ったのは循環する液の音と、ログ画面に刻まれた一行の文字。


〈出動命令:即時〉 〈目的:官邸〉 〈備考:忠実確認〉


 その数分後、夜の上空で赤い点が増え始める。


 未完成が、街へ出る。






 その夜。


 研究所の上空に、黒い点がいくつも浮かんだ。


「ドローンだ!」


 警報が鳴り響き、所内が騒然となる。


 藤田所長が走り込んできた。


「総理大臣・山田さとみ公邸を狙ったテロだ! 直ちに出動を!」


「リナ、準備はできているか?」


 父の声に、リナは答えなかった。ただ、スーツのファスナーを一気に引き上げた。


 黒革に青いラインが走るライダースーツ。背中には小型ブースター。


 モニター室のライトに照らされ、その姿は完全な戦士だった。


「出る」


 リナは一言だけ告げ、バイクに跨った。


     *


 夜の首都高。


 黒いバイクが唸りを上げ、リナは風と一体となって疾走する。


 ゴーグル越しに映る映像はリアルタイムで研究所に転送され、将武がオペレーターとして支援する。


「速度維持。――行け、リナ!」


「問題ない」


 霞が関上空。数十機のドローンが光を散らしながら旋回していた。


 公邸を囲む警察車両は、爆撃を受けて次々に炎上する。


 夜空を切り裂く悲鳴。


 リナは無言でバイクを滑らせ、極秘の地下ルートへ潜入した。


     *


 公邸内部。


 SPが血に染まり、六人がすでに倒れていた。


 残るは二人。必死に総理を守ろうとするが、黒服の精鋭十二人に包囲されている。


「総理! 逃げてください!」


「いいえ……私は逃げない」


 山田さとみ総理の目は凛としていた。


 その背後――影が動いた。


 リナだ。


 スーツの青ラインが一瞬だけ光り、次の瞬間、黒服の一人が床に叩きつけられていた。


「なっ……!?」


 別の二人が振り返るより速く、リナの回し蹴りが炸裂する。


 鳩尾に突き刺さる衝撃。精鋭たちは呻き声を残して崩れた。


「誰だ!?」


「……ただの通りすがり」


 冷ややかな声とともに、リナは飴玉を口に放り込んだ。


 十二人の精鋭部隊。


 だが、次の数十秒でその数はゼロになった。


     *


 沈黙。


 総理が息を呑む。


「あなたは……」


 その時、屋根が軋んだ。


 外の大型ドローンが、巨大な影を運び込んできたのだ。


 重量二メートルを超える人造兵士。筋肉に鋼を仕込み、瞳は虚ろ。


 片手には長大な槍。


「……っ」


 リナは初めて、体の奥に恐怖を覚えた。


 SPが発砲するが、銃弾は皮膚を弾かれて無意味。


 怪物は槍を振りかぶり、投げ放つ。


 ――風を裂く轟音。


 リナの体を狙ったその瞬間、別方向から矢が飛んだ。


 槍は軌道を逸れ、壁に突き刺さる。


 リナは矢の方向を見た。闇の中に、人影が一瞬。


「……誰?」


 問いかける暇もなく、怪物が咆哮を上げて迫ってくる。


     *


 衝撃の連打。


 拳は石壁を砕き、リナの身体を吹き飛ばす。


 防御も攻撃も効かない。


 圧倒的な力に押し潰される――。


 怪物の槍が再び振り下ろされようとした瞬間。


 背後から声が響いた。


「待たせたな、姉貴!」


 振り返ると、そこには科学の超電磁銃を構えたコウキが立っていた。


 引き金が引かれる。


 轟音と閃光。


 怪物の胸に巨大な穴が穿たれ、黒い血が飛び散った。


「……コウキ!」


「遅くなったな」


「遅刻だよ、・・・」


 弟の笑みを見て、リナの目に涙が滲んだ。


  その背後から、女性の声が響いた。


「あなたたちが……助けてくれたのね」


 振り返れば、山田さとみ総理がそこにいた。


 血の気の失せた顔だが、瞳は強い光を失っていない。


「名を聞かせて」


 リナは一瞬だけ迷い、短く答えた。


「小野リナ」


「……覚えておくわ。借りができた」


 総理はわずかに口角を上げ、背筋を伸ばす。


 その時、遠くからパトカーのサイレンが重なり合って迫ってきた。


 南雲武と多田修が率いる捜査班だ。


「逃げるぞ!」


 コウキがバイクを指差す。


 リナは頷き、総理に最後の一瞥を送った。


 総理はガラス越しに手を振り、リナはVサインで応えた。


 二人のバイクが夜の街道を疾走する。








――だが、戦いはまだ終わっていない。

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