守護霊

千里温男

第1話

 秀太は月明かりの神社の境内をあてもなくトボトボ歩いていました。

父に

「出て行け!」

と、怒鳴られて外へ放り出されたのです。

父は機嫌が悪いと、いつも秀太に八つ当たりするのです。

母も二人の妹も黙って見ているだけです。

 秀太は家族に好かれていないことはわかっていました。

だから、こんな夜中に酔った父に八つ当たりされて追い出されても、もう、慣れっこになっていました。

ただ、みんな嫌いだと思うばかりでした。

あんな父も、かばってくれない母も、嘲笑ううような目で追い出される自分を見ている二人の妹も、みんな嫌いでした。

 秀太は、いつも、どこか遠くへ行ってしまいたいと思っていました。

けれども、弱虫なので、どこへも行けなくて、家のすぐ隣のこの神社でぼんやりしているのが癖になっていました。

そして、やがて母か妹が呼びに来るのを待っている自分が情けなくていやでたまりませんでした。

そんなことをとりとめもなく考えながらふわふわ歩いていました。

 月明りの境内の地面に自分の影がくっきり映っています。

ふと、その影が変なのに気がつきました。

なんだか影がじっと自分を見上げているように思えるのです。

秀太は、立ち止まって、じっと影を見つめ返しました。

 やっぱり影は自分を見ています。

「だれ?」

と、秀太は訊きました。

すると、影はすうっと立ち上がって来て、白い服を着た秀太と同じくらいの年頃の女の子に変わりました。

秀太は、空想癖のせいか、不思議にも思わなかったし、怖くもありませんでした。

 「あたしはミウ。あなたの守護霊よ」

「守護霊?」

そう言いながらも、秀太は女の子に不思議な懐かしさを感じていました。

「そうよ。あなたを守る神様のようなものよ。

 秀太は、それならどうしてぼくを父さんから守ってくれないのだろう、と不審に思いました。

そう思ったことがミウにはわかったらしく、

「いつもちゃんと守ってあげているわ。だから、お父さんに殴られても死ななかったでしょ」

と言いました。

秀太は、父に殴られてしばらく動けなかったことがあったのを思い出して、ぞっとしました。

ミウは、

「あそこに腰掛けてお話ししましょう」

と、お社の前の石段を指差しました。

 秀太は夢心地でミウと一緒に歩きはじめました。

並んで歩いている二人には影がありません。

秀太には、なんだか当たり前のような気がするのでした。

二人は並んで石段に腰かけました。

 ミウは説明してくれました。

「守護霊は誰にでもついているのよ。その人の影になっていつもついているのよ。守護霊は、満月の夜と、その次の夜の二夜だけ、ほかの人が見ていない時に、自分が守っている人の前に姿を現すことができるの。でも、その人が10歳になってしまうと、もう、出てこられないの」

秀太は、空想癖のせいか、ミウの言うことを少しも疑いませんでした。

そして、ミウが自分の味方で、自分だけに優しくしてくれる女の子だということをはっきりと感じていました。

 甘えてもいい人だということを心の中で感じ取っていました。

秀太はミウの胸に顔をうずめて甘えたくなりました。

でも、もう小学4年生になっていたし、男の子だから、同じ年ごろの女の子に甘えるのは恥ずかしいと思いました。

甘えようかどうしようか迷っているうちに、

「秀太! 秀太!」

と、母の呼ぶ苛立った声が聞こえて来ました。

 ミウは、

「また満月の夜に逢いましょうね」

と、言ったかと思うと、すうっと姿を消してしまいました。

さっきまで無かった秀太の影が石段に映っていました。

秀太は次の満月の日がいつか知りたくなりました。

それで、学校の昼休みの時間に職員室へ行って担任の先生に尋ねました。

 先生は新聞を見せて、

「ここに月の形の図と月齢が載っている。月齢が14前後の時に満月になる」

と、教えてくれました。

秀太は、毎日、新聞を見て、満月の日を見逃さないように注意していました。

それなのに、次の満月の夜も、翌日の夜も、秀太は家から追い出されませんでした。

そうかといって、こっそり家を抜け出す知恵も勇気もありませんでした。

 ミウに逢うには、次の満月の夜を待たなければならなかったのです。

ところが、次の満月の夜は雨が降って、翌日も雨でした。

なぜか満月の夜に限って、父の機嫌が良かったりもしました。

そうして、あっという間に、何ヶ月か過ぎてしまいました。

 秀太は10月9日で10歳になってしまいます。

もうミウに逢えないのかと絶望的な気持ちになっていました。

ある夜、秀太が着替えて寝ようとしていると、上の妹の茂子が突然、

「お兄ちゃん、これ壊したでしょう!」

と、壊れた玩具の三面鏡を突きつけて来ました。

それは、母に買ってもらったもので、気に入って大切にしているものだったのです。

 「知らないよ、そんなの。ぼくは、おまえのものなんか触らないよ」

「こんなことするの、お兄ちゃんしかいないわ」

言い争っているところへ母がやって来て、秀太の言い分を聞こうともしないで、

「なんで壊した」

と、茂子と一緒になって怖い顔で責めるのです。

下の妹までが、憎らしそうに自分を見ています。

 秀太の目から涙があふれました。

母は

「壊していないなら、なぜ泣く」

と、ますます責めます。

だから、秀太は泣くのをやめようとしましたが、涙は止まらないのです。

そこへ風呂上がりの父がやって来ました。

 茂子は早速、

「これ、お兄ちゃんが壊した」

と、言いつけました。

涙だけのせいだったでしょうか、父の顔がみるみる恐ろしく歪んで行きました。

父の大きないびつな拳が秀太の顔にスローモーションのように近づいて来ました。

その時、秀太の頭の中に、

「逃げて! 殺されるわ!」

と言う、ミウの必死な叫びが響いたのです。

 秀太は、今までになかったバネのような敏捷さで、ぱっと飛びのくと玄関へ逃げました。

父が追ってくるかどうかを確かめもしないで、パジャマのまま、靴もはかずに、玄関を飛び出しました。

満月の夜ではない、でも、ミウは気てクレタ。

秀太には、そう思えるのです。

 数メートル前をほの白い影が滑って行きます。

秀太は、ミウが導いてくれているのだと信じて、うしろについて走ります。

どこへ行くのかわからないまま、夢中で走り続けます。

頭の中では、

「遠くへにげるのよ! ずっと遠くへ! もう戻らないのよ!」

という、ミウの励ます声が絶え間なく聞こえています。

(おわり)

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守護霊 千里温男 @itsme

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