死の原因
「今田先輩、なんでこんなところにいるんですか?」
夏美がちょうど言おうとしたことを、優の背中をさすっていた明香が聞いた。
「学校帰りだよ。ちょっと靴を見たくて寄ったんだけど、冷房効いててなんかトイレ行きたくなっちゃって……」
「そうだったんですね」
「――で、浅間さんはどうしたのかな?」
優の目線に合わせるようにしゃがみながら今田は聞いた。
「そのー、ちょっと、いろいろあって……」
まだ話せる状態ではない優の代わりに夏美が答えた。
元カレ云々についてはたして第三者に言ったほうがいいのだろうか。
「理由を聞かないほうがいいなら聞かないし、もし僕がこの場にいないほうがいいなら去るよ」
女子三人と男子一人のこの状況と、夏美の言葉に何かを読み取ったのか、今田は優しく言った。
「……いてください。……っく」
しゃっくりあげながら優は答えた。
「うん、分かった……」
そうして夏美と明香は優の代わりに、先程の出来事を話した。
「そういえば、さっきあの人のせいで死んだって言ってたけど……」
一通り説明したあとで、優の発言を思い出したかのように明香が聞いた。
その問いかけに優は目を伏せながらポツリと言った。
「……学校は玲奈のことなんて説明したの?」
「確か、小野沢先生は『事故』って言ってたよ」
一応表向きはそういうことになっている。
「……実際は違うんじゃない?」
「え……?」
夏美たちはドキリとする。
「自殺に近い死」と判断されたことについては、事情聴取を受けた夏美たち部員しか知らされていないはずだ。
「どうしてそう思うの……?」
夏美の問いに、少し時間を置いてから優は口を開いた。
「……今田先輩と夏美ちゃんたちは、玲奈が夏休み前にカレシ――、あの人に振られたんですけど、知ってました?」
「え、いや、知らない……」
初耳だ。今田に関しては後輩の恋愛事情など興味もないだろう。何も言わず首を横に振っている。
あの日の夜も話した中に恋バナ的なものもあったが、彼氏の話題を振ったときは、あやふやにされたような気がする。
「玲奈はあの人に追い詰められたから死んだんだと思う……」
その発言に夏美はなんだか腑に落ちなかった。
流石に振られたくらいで、自殺を選択することはないだろうと夏美は思った。
玲奈に彼氏がいるという話は夏美も夏休み前から知っていた。けれど相手は大学に入ってから知り合った人だったはずだ。
長い間、想いを馳せていたのでもなく、長く付き合ってたわけでもない。
失礼な話、彼女の性格からは振り切って次の恋人を見つけようとしそうな気はするのだ。
「どうしてそう思ったの……?」
どこか納得がいかず、夏美は聞いた。
「別れたって聞いた少し前くらいにね、私ちょっと気にしてたことがあって……」
「何?」
明香が聞き返すと優は数秒間口を結んでからボリュームを下げて言った。
「その……、腕とか膝とかに、
「……痣?」
夏美は明香と顔を見合わせた。今田も首を傾げている。
合宿のときには特に気にならなかった。あったことすら気が付かなかった。
「転んだとかじゃなくて?」
明香の問いに優は首を振る。
「一回だけじゃなくて、数回はそんなことがあって。それに一か所だけじゃなかったし……」
「浅間さんは、その、三橋さんが元カレさんからDVを受けていたんじゃないかって思ってるんだね?」
今田の質問に優はゆっくりと頷く。
「私はそうだと思ってます。だから心配になって聞いたんです。……でも『ぶつけたみたい』とか、『そんなに気にしないで』って言われて、それ以上は――」
親しい仲でも、いや親しいからこそ心配されるのが嫌だったということか。
「そういえば――」
夏が本格的になったころの玲奈を思い出した。
薄手の上着を着ている玲奈に聞いたことがあったのだ。「暑くないの?」と。
連日三十五度近い真夏日が続いていた。
いくら涼しい教室でも、窓からは強い日差しが差し込んでいた。
だからだろうか。薄手ではあるが長袖のカーディガンを羽織っている玲奈がなんとなく目立って見えたのだ。
そのときの玲奈は、日焼けしたくないとか教室は冷房が効きすぎで寒いとか言っていて、夏美自身もそれには納得できたため、特に疑問は持たなかった。
しかしそれが受けた傷を、痣のある肌を隠す目的だったとは。
「そういや、優は今まで元カレとは会ったことあるの?」
明香の問いに優は首を振った。
「ううん。実際に会ったことは無かったし、話したのは今日が初めて」
「よく分かったね……」
「玲奈から何度も写真を見せられてたから顔は知ってた。うちらよりも1つ上で、この近くの大学に通ってて、部活を通じて知り合ったって玲奈は言ってた」
「部活って?」
今田がすかさず聞いた。
「バト部です」
はまボラ部はボランティア当日の他に準備をする日などはあるが、活動頻度は少ない。そのため、玲奈のように運動部との掛け持ちもしやすく、兼部している生徒はそこそこいる。
「
兼部もあって、彼女のコミュニティはより広がったに違いない。
「あ、それで、そのカレシがその玲奈の原因かもって?」
夏美は思い出して話を戻した。
「うん……。きっと暴力ふるわれて精神的に追い詰められて、だから玲奈は自殺を――」
「優……」
「いや、もしかしたら、あいつが直接玲奈に手をかけて――」
「浅間さん」
躍起になっている優の声を遮るように今田が言った。
「少し落ち着いて聞いてほしいんだけど……」
今田の言葉に優は不服そうな顔をした。
「今田先輩もあれを事故だって言いたいんですか!?」
「いや、その、そういうことではなくて――」
「――っだって!」
優はギュッと硬く拳を握った。
「だって……、そうだって思わないと、私、どうしたらいい……?」
それは今にも消えてしまいそうな弱々しい声だった。
「浅間さん……」
親友が突然いなくなった。
事故と聞かされて、その行き場のない悲しみと、やり場のない後悔と虚しさがきっと彼女の中に溜まっていったに違いない。
「ごめんなさい……」
「いや、いいよ、僕こそ浅間さんの気持ちを考えてなかったね、ごめん」
「私、許せなくて……」
優はポツリと言った。
「元カレのこと?」
「……違う」
明香の問いに、優は首を横に振った。
「あの人に告白されたとき、玲奈返事に迷ってたの。でも――」
「でも……?」
「せっかくなんだし付き合ってみたらって、そのとき私、軽い気持ちで言っちゃって……」
声は次第に震え、涙交じりになってくる。
「あんな、こと……、言わなかったら……、『もうちょっと、考えてみたら』って言えてたら……、あのとき、痣を見つけた時点で……聞き出せていたら……」
「優……」
泣き出す優を明香が宥める。
「きっと最悪は避けられたのに……」
きっとあの日から、死を知った日から自分自身を責め続けてきたのだろう。
もしかしたら、自分が玲奈を助けられたのではないか。
死を回避することができたのではないか。
彼女の死の原因は自分にもあるのではないか。
『三橋さんがいなくなったとき、あなたはどこにいたの?いなくなったことに途中で気がつかなかった?』
夏美自身も今だにずっとどこかで、どうにかできなかったのかと思ってしまう。
不確かで、不可解な死は人を追い詰め不安にさせるのだろう。
咽び泣く優の背中をさすりながら、夏美は思った。
電車の方向が同じ明香と優を見送って、夏美は今田と二人ホームで待った。
「死んだのは、元カレのせいなんでしょうか……」
「どうだろうね……」
優の答えは真実なんだろうか。優はこの先もずっと自分を責めるんだろうか。
捜査が終わりを告げても、関わった人たちの玲奈の死の受容は終わってなんかいない。
『三橋のことに関してあれこれ詮索しないこと』
小野沢はそう言ったが、どうしても玲奈のことを考えずにはいられない。
親友ではない。けれども、全く関わりがなかったわけでもない。
ましてや、自分は亡くなる直前まで近くにいた。
あの日を境に、自分の世界は確実に変わっている。
アナウンスが鳴り、ゴォォォと快速電車の近づいてくる音が聞こえる。
ホームに車体が滑り込むタイミングで今田は言った。
「今度さ、手を合わせにいかない?」
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