第15話 【マガタマ】4 大人たちの思惑
子どもたちがヒミコの館を去ったあと、オトヒコは自室にタガミノヒメを呼び出した。
タガミノヒメが部屋を訪れると、そこにはジョーとオトヒコが並んで座っていた。
窓の外では、祭りの準備をする子どもたちの笑い声がかすかに届く。
その無邪気な声を背に、オトヒコが低い声で切り出した。
「……何のつもりだ、タガミノヒメ」
言葉は穏やかだったが、声音の奥には警戒が混じっていた。
タガミノヒメは、普段と変わらぬ軽い口調で言った。
「何のつもりもありませんよ。――この国で一番、祭りを楽しみにしているのは子どもたちです。
子どもたちのために私は動く。少し年長の女として、祭りを手伝う者として。そう見せてほしい、というお約束でしたよね」
その口ぶりは穏やかだが、芯があった。
「その通りだが……国の外に子どもを連れ出すとは聞いていないぞ」
オトヒコの眉がわずかに動く。
「そうだ。ましてメノコを連れ出すなんて。ヤマタイの娘たちだぞ!」
ジョーもオトヒコに加勢する。だがタガミノヒメは動じない。
「何を言っているんです。子どもたちが外を知りたいと思うのは自然なことでしょう。それに――」
タガミノヒメの声に、微かな皮肉が混じった。
「本当は、ヒミコ様ご自身こそ他国を――いや、自分の国をよくご覧になるべきですよ」
「……なんだと?」
オトヒコの目が鋭く光る。しかしタガミノヒメは、怯むことなく言葉を継いだ。
「だってそうでしょう。作られている仕掛けも知らない。どんな衣装が縫われているのかも見に来ていない。
踊り子たちにも会っていないし、音楽もまだ決まっていない。そんな状況なら、「偉大なクニの女王」ならば動くのが普通だと思いますがね」
「ヒミコ様は神聖な存在だ。館から出すわけにはいかない」
オトヒコは強い口調で言った。だが、その目には迷いがあった。
「まあ、あなた方の理屈ではそうでしょう」
タガミノヒメは少し肩をすくめる。
「平和な時ならそれでもいいでしょうね。でも今は違う。もう取り返しのつかない事態になりかけている。
分かっていらっしゃるんでしょう、オトヒコ様。――だから、私を呼んだ」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
沈黙ののち、オトヒコは小さくうなずいた。
「……その通りだ」
「それで、どうしましょうか?」
タガミノヒメが問いを投げる。
「どうしようとは?」
「祭りの進め方です。あの分じゃ、このクニの人はみな、ヒミコ様がすべて準備すると知らされているんですよね」
黙っていたジョーが、ゆっくりと口を開いた。
「そうだ。我が国の者たちにとって、ヒミコ様は絶対だ。ヒミコ様にお任せすればすべてうまくいくと――本気で思っている。」
声には疲れと痛みが滲んでいた。
「でしょうね」タガミノヒメがうなずく。
「けれど、その肝心のヒミコ様は『衣装を作れ』『踊りを用意しろ』『美しい仕掛けを作れ』とは言っても、
具体的な指示は出せない。その現実を踏まえた上で、私を呼んだ。クニの皆は、ヒミコ様の言葉しか聞かないっていうのにね。」
「男の俺よりは、話を聞いて貰えるかと思ったんだ」
「そりゃあそうかもしれないですがね。結局、『命令』を出せなけりゃ『作戦』は失敗するんですよ」
「タガミノヒメの命令を聴くように、と、姉上が言うと思うか?」
「どう思います?」
ジョーが無言で首を降る。
「あのヒミコ様にご納得いただける方法なんて……。」
「良い考えがあるのか、タガミノヒメ」
オトヒコが問いかける。
「えぇ、まぁ。私が采配を振るう理由があれば良いかなと」
タガミノヒメの声は穏やかで、しかし確信に満ちていた。
「理由、とは?」
オトヒコが問う。
「そうですね、たとえば、可愛いヤマタイの娘たちを、助けてくれた恩人、とかね」
ジョーが顔を上げた。
「なるほど、わかったぞ。――あの子どもたちに何か仕掛ける。それでタガミノヒメがそれを解決する。そうすれば、タガミノヒメの求心力が高まる。」
「そのとおり」
タガミノヒメの口元がゆるむ。ジョーが手をたたいた。
「良い話だ!そのような話であれば、ツヂクニの者たちも、俺のクニ、ユウのクニの者たちも受け入れやすい。ユウノクニの者は皆素朴だ。そなたを子どもたちを守った英雄として称え、協力するだろう。」
「それならば、姉上も納得する。あの方は――このクニの子どもたちのことが好きなのだ。女王として、そこだけは、本当なのだ。」
オトヒコが静かに言った。タガミノヒメは同情するように、言った。
「……わかりますよ。平和なときなら、良かったんでしょうけどね」
暗い空気を打ち破るように、タガミノヒメが言った。
「じゃあ、そのように。うまくやりますからご心配なく。」
タガミノヒメが微笑む。
「女、頭が回るな」
オトヒコが苦笑まじりに言うと、タガミノヒメは軽く肩を揺らした。
「伊達に貧しい土地で暮らしてませんから。山では、頭を使って作戦を考えられなきゃ、生きていけませんからね」
軽やかに立ち上がると、タガミノヒメは部屋を後にした。
彼女の足音が階段を下りていくたび、光の筋がかすかに揺れる。そして、足音が聞こえなくなった。
ジョーとオトヒコが、部屋に残された。
しばらくの沈黙ののち、オトヒコがぽつりとつぶやいた。
「……いいやつを連れてきてくれたな」
ジョーは、旧友の役に立てて良かったよ、と笑った。そして、ため息を吐きながら言った。
「同じ女でも、ヤマタイの女とは違うな」
オトヒコはその言葉にわずかに眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
ジョーは立ち上がり、背を向けたまま答えた。
「この国の女は、守られすぎた。……お前があの人を好きなのは知っているが、尽くしても報われないかもしれんぞ」
そう言い残して、ジョーもまた去っていった。
残されたオトヒコは、しばらく立ち尽くしていた。
傾きかけた陽が床を照らし、光の帯が揺れる。
彼は机の上の勾玉を手に取り、しばらく見つめた。
薄い光が深い黒色の石を透かし、指先に冷たさが残る。
――あの女の瞳と同じ色だ。
オトヒコは、誰に聞かせるでもなく、小さく息を吐いた。
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