母の最期の五日間
片山大雅byまちゃかり
5日間
2025年2月9日
母さんの51歳の誕生日。僕と父さんと妹は、誕生日プレゼントに小さいマッサージ機とマイク付きイヤホンを贈った。
母さんは癌由来の肺炎を患っており、全身が浮腫んでいた。これで少しでも浮腫を解消してほしい。だからマッサージ機を選んだ。
マイク付きイヤホンは、母さんの父親に当たるじいちゃんと会話してもらうため。じいちゃんは耳が遠くなっており、さらに母さんは肺炎で声が出せなくて、会話が成り立たなくなっていた。だから、高性能マイクのイヤホンに頼ったのだ。結局、ほとんど会話は出来ていなかったが。
誕生日ということでケーキが振舞われた。しかし、ケーキを食べた瞬間むせていた。苦しそうだった。
2025年2月10日
その日、僕は母さんの元へ来てなかったが、父さんによると母さんはとても苦しそうにしていたらしい。急いで検査が行われた。
2025年2月11日
検査が行われた結果、誤嚥性肺炎と診断が下された。癌によるものなのが、固形物を飲み込んだせいなのかは、今となってはわからない。さらに、喉にまで癌が転移していることが分かった。
2025年2月12日
相続の件、大叔母の世話の件、諸々積み重なっている問題を母さんは自ら僕に話し始めた。今となっては、死期を悟っていたのだと思う。
もっとも、年明けに入院していた頃から、父さんとは何回も話していたらしいが。
現実と向き合わなくてはならない日がヒシヒシと感じる時間だった。この交わした会話は一生忘れることは無いだろう。
帰り際に母さんと抱きしめあった。僕は泣いた。もう会えないんじゃないかと思って。
2025年2月13日
この日は、10年来の友人で母さんと同じ癌サバイバーが来るということで、僕は病室には行かなかった。
夕方に、父さん経由でテレビ電話がかかってきた。画面を見ると母さんは手を振っていた。側から見たら元気そうに見えた。僕も手を振り返した。
2025年2月14日
午前三時頃、病室に詰めていた父さんから電話がかかってきた。母さんの容体が急変したらしい。
僕は睡眠薬が抜けてない身体を叩き起こしながら、妹を起こした。今すぐにでも車で病院に行きたかったが、身体が上手く動かせない。
そうこうしているうちに、父さんの車が家に到着した。家族全員、父さんの車に乗り込み、病院へ急いだ。
一時間半、暗闇の高速道路を走り、病室へ駆けつけた時には、母さんは既に息をしていなかった。まるで寝ているような顔で逝っていた。
午前四時半頃。母さんは子宮頚がんによって安らかに息を引き取った。闘病生活四年。抗がん剤が効かなくなって、一か八かの治験に賭けた最中に肺炎にかかってしまい、そのままこの世を去ってしまった。
後悔はたくさんある。その中でもぶっちぎりなのは死に目に会えなかったこと。思えば僕は、身内の死に目には立ち会えていない。母方のばあちゃんや、父方のじいちゃん。きっとそういう星の元で生まれてきたのだろう。
話は逸れたが最後に、これは僕が万が一にもこの出来事を忘れないように文章に残したものである。母さんには許可を得ている。
母さんの命日は2月14日。バレンタインデーである。事前にセットしていたのか、母さんから最後のチョコレートが配達されてきた。未だに食べれていない。
母の最期の五日間 片山大雅byまちゃかり @macyakari
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