僕と喫茶店。-2

 うへへと笑う東風谷先輩は、実に胡散臭い。

 相好をやや不格好にゆがめながら、先輩が席から立ちあがった。流れるような動きで僕と肩を組み、僕のあごをくいっと持ち上げる。先輩がもうちょっと表情に気を付けていれば、乙女ゲームのワンシーンみたいになっていただろう。

 現実的には、オジサンっぽい女子高生に僕が絡まれているだけである。

「真仲ァ、今日も可愛いじゃーん。食べちゃいたいくらいだよー」

「……先輩、たまにオジサンっぽくなりますよね」

「んなことないっしょ。……ぐへへ」

「うーーわ」

 素が格好いいのに、マジでもったいないんだよな。

 僕の指摘に同調するように、北村も何度か頷いた。

 乙女とは言い難い自分を認めたくないのか、先輩が北村に泣きつく。

「ねえっ、小恋ちゃん? 私がオジサンだなんて、そんなことないよね」

「……私も波久礼君に同意」

「えっ」

「……今日は特にキモいですよ」

「ひっ、ひどい! 小恋ちゃんまで」

 大仰にのけぞった先輩が、よよよと泣き真似を繰り出した。

 学校では誰からも好かれる生徒会長だけど、親しい相手には本当の彼女をみせてくれる。社会性の仮面を脱ぎ捨てた東風谷先輩は、可愛いと思ったものを手当たり次第に愛でようとする本能の化身だった。身内での被害者を挙げれば、主に僕とひばりが該当する。

「先輩、学校じゃ王子様なのにね……」

「学校の外じゃオジサマだね。ってか? かーっ、手厳しい!」

「……自分でノリツッコミするのやめてください」

 北村の指摘で、僕も唇を結ぶ。

 うっとりしちゃダメですよ、と通じるか微妙なラインのボケをかますところだった。危ない、このままじゃ先輩のペースに巻き込まれてしまう。先輩を元の席に押し込んで、僕は伝票を掲げる。

「はやく注文を決めてくださいよ」

「えー。いいじゃん、もうちょっとお喋りしよ?」

「……先輩。……やめ時が肝心ですよ」

 北村が釘を刺す。効果はばつぐんだ。

 先輩が肩を竦めてメニューに視線を落とした。

 北村は華奢な少女だが、怒らせると怖いからな。裾から覗く北村の手首は細くて幽かな白磁のようだった。指は白魚のようで、長い睫毛には美しい艶がある。

 全体的に細い彼女はどこで切り取っても繊細な印象を覚えた。ペンより重いものを持たせたら折れるんじゃないかと心配になるほど、彼女はどこも頼りない。淡い色のワンピースも上品な印象を際立たせて、良家のお嬢様のようだった。

 北村とは対照的に、デニムでセットアップした東風谷先輩には活発な雰囲気があった。常に微笑みを湛える目元は僕だけを見つめている。背が高いし、胸もお尻も大きい。自慢の肉体美を魅せつけるかのように身体のラインが出る服を選んでいる。運動音痴のくせにとは言わない。美しい身体の持ち主が、それを存分に生かせる身体能力を持つとは限らないのだ。

「……むむっ!」

「なんスか。手がキモいですよ」

 わきわきと動く東風谷先輩の指が、僕を思いっきり抱きしめたい感情の表れだと気付いて距離を取った。ここが僕の部屋とか、他人の目がない場所だったらハグされてあげなくもないけれど、流石に仕事を放り出して彼女の甘えを受け止めるわけにはいかない。僕は伝票ホルダーを盾にして、先輩から身を守ることにした。

 東風谷先輩は、可愛らしく頬を膨らませてみせる。

 やり慣れていないのか、ぶりっこ風だ。

「んもう。今日の私はお客さんだぞ?」

「…………それで?」

「うぐ、小恋ちゃんの視線が痛い。自重しますって」

「……なら良し」

「で、注文は? 先輩、遊んでないで決めてくださいよ」

 困ったように頬をかく先輩は、まだ注文が決まっていないようだ。

 隣で頬杖をつく北村は相変わらずの無表情だ。しかし仕草をじっと観察していれば、表情が読めなくとも感情は分かる。溜め息を吐いたことからも、彼女が先輩の奇行に呆れているのが分かった。僕も北村と同じ気持ちだ。

 先輩だけは、呑気にメニュー表を眺めている。

「迷うなー。どれを頼もうかなー。小恋ちゃんは?」

「……私は紅茶にします」

「紅茶にも色々あるんだよねぇ。ミルクとか入れるの?」

「……私はストレートが好きなので」

「ふむう、あえての無調整ってことね。私も紅茶にしようかな。うーん、ミルクティーもいいけど、レモンティーも捨てがたいしなァ。いや、ここはあえて同じものを選ぶべきか?」

 東風谷先輩が、メニュー表を前にうんうんと唸り始めた。

 この調子だと、注文が決まるまでに時間が掛かりそうだ。北村だけでも先に注文を聞こうかと思ってペンを構えたけれど、彼女は首を横に振った。

「……先輩が決まったら、呼ぶ」

「うん。頼んだよ」

 僕を気遣ってくれた北村に小さく手を振って、その場を離れる。と言っても僕に残っている仕事は少ない。アイドルタイムだっけ? お昼ご飯の後から晩御飯の前、つまり今この時間帯は暇を持て余すことが多いらしい。

 僕の両親が経営するこの喫茶店も例外ではない。朝九時に席が埋まって、その状況が昼頃まで続く。お昼ご飯の時間を過ぎれば徐々に客足が落ち着いて、十五時頃にはフロアで働く僕や徳重パパも手持ち無沙汰になることが多かった。それでも客足が完全に途絶えない程度には繁盛している。すげーな、と子供ながらに思うのであった。でもこれ、経営の指導書に書いてあった内容からすれば悪い状態なんだよな? やっぱり僕には経済の仕組みが分からないぜ。


 北村と東風谷先輩は、人気のない時間を狙って店を訪ねてくれた。

 その効果は、僕自身に現れた。

「ねぇ、マナちゃん。もう仕事は充分だよ」

 テーブルを拭いていたら、徳重パパに肩をつつかれた。

 我が父親ながら甘い顔立ちをしている。今もモテているのが納得の容姿だ。

「友達が呼んでるよ、マナちゃん。注文取ったら、今日はもう上がっていいからね」

「まだ時間になってないけど……。約束の時間までは働くよ?」

「固いこと言わないの。仲良くしてくれる友達は大切にしなくちゃ」

「……ん。ありがと」

 徳重パパの厚意に甘えて、予定よりも一時間早くバイトを上がることにした。

 最後の仕事として伝票ホルダーを構えながらふたりの元へ向かう。

 東風谷先輩はメニュー表をパタパタと開閉して僕を待ち構えていた。

「待たせたなっ!」

「その台詞、東風谷先輩の立場で言うことあるんだ」

 遅れて到着したヒーローの台詞だろ。

 気を取り直して、ペンを構える。

「それで、何にするの?」

「私がカフェオレで、小恋ちゃんが紅茶のストレートです!」

「…………先輩、やり直し」

 自信満々に言い切った先輩は、ちゃんとメニュー表を確認したのだろうか。

 珈琲にキリマンジャロやガテマラといった種類があるように、一口に紅茶と言っても幾つかの銘柄がある。ウチで出している銘柄は僅かなものだけど、その違いを楽しんでくれるお客さんもいるのである。

 北村の好みは知っている。今日はどちらを選んだのかだけを確かめておこう。

「北村、キャンディとディンブラ、どっちがいい?」

「……ディンブラにする」

「おっ、珍しいね。いつもはキャンディなのに」

「……そういう気分なの」

 伝票に必要事項を書いて、そばで待機していた徳重パパへと手渡す。

 ふぅ、と肩の力を抜いた北村がお手拭きを取った。

 東風谷先輩は僕らの会話が分からなかったのか、北村の肩を揺すっている。

「えっ。なに? 飴? お茶請けの話?」

「……銘柄の話ですよ。……紅茶にも種類があるんです」

「へー。メニューにも乗ってる? ってか、何が違うの?」

「……色々ありますが、まずは香りですかね」

 和気藹々と喋るふたりを眺めながら、仕事に使っていたエプロンを外す。

 エプロンを折り目正しく片付けていたら、普段は寡黙な北村がお喋りになっていることに気が付いた。やや天然な先輩の言動にツッコミを入れている。呆れたように肩を竦め、困ったように首を傾げ、それでも北村は先輩と会話を続ける。内容は他愛もないものだ。茶葉の種類から始まったはずの話題が既に二転三転して、いつの間にか出ると嬉しいお茶請けベストテンになっていた。先輩が高らかに芋! と宣言したのは聞かなかったことにしておこう。

 徳重パパが僕の肩をつつく。

「マナちゃん。何か持ってく? サービスしてあげなよ」

「んー。……甘さ控えめのクッキーがいいかも」

「はいよー。食べすぎには注意するように」

 晩御飯が食べられなくなるからね、と徳重パパが笑う。

 エプロンを片付けた僕は、ふたりの会話に参加しようとテーブル席へと向かうのだった。

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