ハグレの元カノ
倉石ティア
元カノ"達"。
姑息だと言われても、僕は好きな子を傷つけたくない。
へらへら笑うのが得意だった。唯一の特技だけど、自慢するのは難しいな。
三月の寒空の下で、冷たくとも清々しい空気を胸いっぱいに吸い込む。少し咳き込んだ後、僕は長いようで短かった中学生活を懐かしんだ。
こいねがわれて期待に応え、愛嬌を振りまく三年間だった。後悔は微塵もなく、やり切った充足感が胸を満たしている。板張りの床が印象的な古い校舎に最後の一瞥を向けて、これからの高校生活へ胸を馳せる。
……と、前置きはこのくらいにしておいて。
中学最後のイベント、卒業式を終えた僕は体育館裏に向かっていた。クラスでのお別れ会も済ませた後だ。同級生達は名残りを惜しんでいるのか、教室に残っている子も多い。しんみりと湿っぽい空気は僕の感傷を反映しているのか、深呼吸すると胸の底が鈍く痛んだ。
「ふう」
薄暗くじめじめした校舎の影で空を仰ぐ。空気はまだ冷たくて、立ち止まれば肌寒い。綺麗な青空を隠すように、白い雲が空の大半を覆っている。僕が重い足を運んだ校舎裏には親しい少女達が待ち構えていた。
中学三年間、僕と仲良くしてくれた同級生だ。緩やかなウェーブの掛かった髪が風になびいている。赤毛なのは祖父の血筋が影響していると、いつだったか僕に耳打ちしてくれた。白っぽい肌はやや紅潮して、彼女の高揚がよく分かる。
現実逃避に専念したい僕へ、南蛇井は針のように尖った視線を向けてくる。
「遅いぞ、
「ごめん。待たせちゃって」
「へっ。謝罪の言葉だけはスラスラ出てくるのな」
拗ねたようにそっぽを向く南蛇井は、腕組みをしたまま動かない。
昭和のヤンキーかよ、と突っ込みたいのをぐっと我慢する。今の南蛇井に軽口を叩いたら、軽い喧嘩じゃ済まないことも十分に承知している。卒業証書の入った筒を後ろ手に持ち直した僕は『彼女達』に正対した。
僕の前には四人の女の子がいる。
全員が僕の元カノだった。
一人が、南蛇井の後を継ぐように言葉を紡ぐ。
「波久礼君。呼び出しを受けた理由は分かる?」
「どうだろう。約束は果たしたはずだけど」
「……そう。その答えで十分よ。分かっていることが分かるから」
機械的に答えたのは北村
細くて薄っぺらい肩を抱いて、彼女は微かに肩をすくめた。
無表情で分かりにくいけれど、北村はこの事態を招いた僕の態度に呆れているようだ。心底から怒ってはいないみたいだし、まだ救いはあるかな。彼女も南蛇井と同じく同級生だ。
北村の横には元生徒会長が立っていた。
東風谷凛琳、一学年上の先輩だ。僕達が今年入学する予定の高校に一足先に通っている。今日もポニーテール姿が麗しい。卒業してからも付き合いは続いていたから久しぶりという感じでもないけれど、他の元カノよりは会う時間が減っていたのも確かだ。
僕が頼りにする先輩はどこか困った表情をしている。
「先月ぶりですね、先輩」
「ん。真仲も元気そうでよかったよ」
「高校の授業は? 祝日でもないし、創立記念日ってわけでもないでしょう?」
「はっはー。誰かさんの真似をしただけさ」
パチン、と先輩が飛ばしたウィンクを受け止める。どうやら先輩は僕達の卒業式に合わせて高校を休んで(サボって)くれたらしい。真面目なだけが取り柄だからと口癖のように言っていたはずの彼女も高校生になって心境に変化があったんだろうか。
「先生を騙してまで、私が真仲に会いに来た理由は分かってるね?」
「……まぁ、それは当然ながら」嘘を吐くわけにもいかないし。
「覚悟は決まったかい? 私だけじゃない。みんな、キミの返事が聞きたいんだ」
「それは、えっと、あのぅ……」
歯切れが悪く答えを出せない僕をみて、先輩も何かを感じ取ったようだ。
先輩が指を鳴らした途端、腕まくりをした南蛇井が満面の笑みで歩み寄ってくる。
「よし、みーちゃん。やってしまえ!」
「任せとけ、凛琳。あたしが波久礼に灸を据えてやるぜ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ここは穏便に会話で解決しよ?」
「うるせー! お前がいつまで経っても煮え切らねぇのが悪いんだ!」
あ、これ、ダメかも。元カノに呼び出しを受けて甘苦い青春の一ページをめくるイベントが始まると思っていたのに、校舎裏で不良にボコボコにされるイベントに変わってしまった。
暴力は昭和の遺物で、現代社会じゃ異物だったはずなんだが。
「暴力反対! 僕は喧嘩しない主義なんだよ!」
「嘘吐け! お前はあたしよりも補導件数多いだろ!」
「んなことないもん! 僕も南蛇井も三回だけでしょ!」
しかも、同級生が絡まれているのを助けたとか、喧嘩の仲裁をしただけの話だし。
慌てて南蛇井から距離を取りつつ、どうしたものかと考える。本を正せば僕に原因があるけれど、返答を濁したのだって彼女達の誰かが泣く未来を否定した結果なのだ。理不尽な暴力に訴えかける前に話し合いで解決する道を探ろうじゃないか。
迫りくる南蛇井を前に導き出された結論は幼馴染を頼ることだった。小学生と言われても納得するほど小柄な幼馴染に向かって、僕は縋るように手を伸ばす。
「西条、助けて!」
「え~。やだ」
秒で断られた。せめて迷う素振りを見せて欲しい。
「な、なんで? いつもなら助けてくれるのに」
「だってぇ、都合のいいトキだけ頼ろうとするんだもん」
「そ、それは……」
「うふっ、楽しみだねぇ。たまにはさ、お姉ちゃんも痛い目にあうべきだよ」
長い袖口で口元を隠して、西条がくすくす笑っている。小悪魔でも、もっと上品に笑うだろう。身長が伸びることを見越して買ったはずの制服も、西条には大きいままだった。
西条ひばりは僕の幼馴染で、一学年後輩の女の子だ。世界一ツインテールが似合う子でもある。僕は彼女を妹みたいに可愛がっているし、家族同然の付き合いをしていた。彼女も僕を姉同然に慕ってくれているはずなのだが今回は助けてくれる気配がない。
「だって、今回はお姉ちゃんが発端だし」
「……そうだけど」
「だから、自業自得じゃない? だよね?」
渋々ながらも首肯せざるを得ない。
僕は卒業式までと期間を決めて、彼女達とある約束をしていた。その約束を果たすために呼び出しを受けたことも、当然分かっていた。最後には僕が頷くと知っているから、西条は意地悪な言い方をして甘えるのだろう。
そして、西条には悪い癖がある。
僕と同じくらい、南蛇井のことをからかうのも好きな子なのだ。
「それじゃパイセン、お姉ちゃんを懲らしめちゃって!」
「は? なんで西条の命令を聞かなくちゃいけないんだ」
「あれぇ? 私のゆーこと、聞いてくれないんだ?」
「あ? ぶん殴るぞ」
「きゃー、助けてお姉ちゃん!」
わざとらしい悲鳴をあげて、西条が僕に抱き着いてくる。途端、視界が華やいで、校舎裏のカビっぽい空間に花が咲いたようだった。当然、南蛇井はいい顔をしない。古いコンクリートにひびが入りそうな勢いで地団太を踏んだ。
「ひばり! お前! 波久礼から離れろや」
「いやですぅ。パイセンもお姉ちゃんとハグしたいの?」
「は? おまっ、この、マジで殴ってやろうか」
「まぁ、でも……。お遊びはここまでだよなぁ」
憤怒、失望、諦観、そして微かな期待。
様々な思惑が入り乱れ、混沌とした空気じゃ話し合いなんて無駄だろう。このまま波風立てずに高校生活のスタートを切れたらいいのだけれど、そうは問屋が卸さない。
追いかけっこを続ける南蛇井と西条。
それを見守る東風谷先輩と北村に呼び掛けた。
「ねぇ、僕の家に来ない?」
「おう」「うん」「分かった」「……ん」
四人分の了承を一身に受けて、僕はポケットから家の鍵を取り出す。
僕達がいるべきは薄暗い校舎裏なんかじゃない。曇り空だろうと、青空の下に集うべきなんだ。家路に身を翻した僕の後ろを、四人が騒ぎながらついてくる。平和な光景のはずなのに、このあとのお説教を想像するとお腹が痛くなってくるような気がした。
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