第一章:光はいつか牙に変わる―1-2優しさが零れ落ちる時
そして、悲劇の発端は避けられぬ運命として訪れた。
とある王国の村人が、薬草集めのために昼間から河辺で、薬草を探したことから始まった。その河辺は、神獣たちのいる小さな村の近くを流れる河だった。そこには、白い毛皮を持ち、腹に九色の三日月のような模様を持つ、麗しくも美しい鹿が川の透明で清い水を飲んでいた。それに見惚れた村人は、その鹿をもっと近くで見ようとして、足を一歩前に出した。しかし、その先は地面が続いておらず、そのままうっかり足を踏み外してしまったのだ。あいにく、前夜に大雨が降ったため流れが強かった。それ故に、村人は溺れてしまった。藁にもすがる思いで、手足をばたつかせる村人に気づいた心優しい鹿は、足を踏み外して溺れてしまった村人を憐れに思い、岸へと引き上げ、神獣たちの住む村まで背中に乗せていった。引き上げてそのままにするのもこの地では凍死してしまうと思い自らが住む村で介抱してやろうと考えたのだろう。
長い道のりを静かに歩いた。鹿が歩いた跡には草が芽吹き、花が咲き、枯れ落ちた。その過程は一瞬のものだった。命の始まりと終わり。それを瞬く間にやってみせた鹿の正体を彼は知らない。彼もその行程を見ていなかったのだから。村に着いても尚、村人の冷えた体に寄り添うように体を貸した。川の水で氷のように冷たくなった村人の肌にほんの微かの温もりが伝わる。それはただ温かいという『ぬくもり』ではなく、何らかの生命を感じる温かさ。それはまるで第二の命を吹き込まれるような体が軽くなる出来事。やっとのことで村人が目を覚ました頃にはすっかり日も暮れ、夜空には満月が高く昇っていた。周りを見渡すと、鹿の他にも金色の鱗をもった
我々。それは白い鹿を含む神獣たちのことだ。白い鹿はまだ、人間と共存することを望んでいた。多くの神獣たちが人を嫌悪する中で、この白い鹿はまだ人間のことを心より愛し、誰よりも想っていた。鹿の言葉は何の濁りもなく純粋な問いかけ。それに思わず村人は言葉を失い、
村人「人の世は偽りに溢れかえっており、命の神々が暮らすには難しいでしょう。」
もしここで「はい、暮らせます。」と答えてしまえば、それこそ、人の世の倫理の上に生きる醜い人間になってしまう。この時の村人はまだ誠実に生きていたいと思っていた。ましてや、命の神々の前だから尚更だろう。村人の言葉を耳にした鹿は一つため息を漏らして、村人に最後の言葉を送った。そのため息は、人間に対する失望や
九鹿「人の世は
一見すると厳しい言葉に聞こえる。周りにいた
ただ人間という生き物は、彼らの期待をいつも裏切る。欲のためならば
村人は約束したにもかかわらず、麗しく神々しい白い毛皮を持つ鹿と会ったことを国王たちに話してしまった。人間というものは目新しく、珍しい出来事は人から人へと話したくなる生き物だ。それが人間の特性であり、責めるべきところではないような気もする。その性質が故に、あの白い毛皮を持つ鹿の約束が破られた。瞬く間に、話は王国全土に広まった。その話を国王たちが黙って聞いているわけがない。恐れていることが起こった。白い毛皮を持つ鹿の話を耳に入れた王妃がその毛皮を手に入れたいと言ったのだ。毛皮を欲しがっている王妃の要望に応えようと数人の兵と共に例の村人を呼び招いた。国王はただ一言。
王「神に仕える獣の住処を教えよ、そうすれば望んだものを授けるとしよう。」
村人は、国王からの褒美に目がくらみ、兵隊たちをその村へ案内してしまった。それが、鹿の信頼を裏切ると共に神獣たちが住まうその小さな村を滅亡寸前まで堕とし込む拍車がかかる要因となった。なんとか辿り着いたその村は、自然に溢れ美しいという言葉で括ってしまうにはなんとも惜しい光景が広がっていた。その村には、人の姿をした者や目を疑う姿をした獣たちがいた。これが、「神獣」という生命たちなのか。ここで、神を信じきれていない者たちの考えを覆した。訪れた人々の心を鷲掴みにした獣たちは、知らず知らずのうちに自らの命を危険に晒していた。武装した彼らを不思議そうな目で見つめる獣たちだが、警戒するだけでそこから逃げようともしなかった。その一寸の気の迷いが彼ら人間が攻め入る隙を与えた。神々しいその獣のオーラというものが人間の本能を掻き立てた。欲しいものはなんとしてでも手に入れるその貪欲さ。それは、人間の誇るべき特性であり憎むべきものである。プツン、と人間の理性が切れる音がした。村人の心の中で葛藤していた欲望と鹿との契り。契りよりも欲が勝ってしまうのは、運命に違いない。人間の足がその足元に咲いている小さくて可愛らしい花をくしゃり、と踏み潰した。
気づくと瞬く間に、そこにいた神獣たちが狩られていった。その中で"
九鹿「私はこの
九鹿「後は頼んだ。美しく麗しき鹿となる子よ。命の始まりから終焉まで送り届け、職務を全うせよ。」
親となる鹿が贈った言葉は子にとって理解しがたい言葉だった。子にとってその言葉は、別れを意味することなどすぐに解らなかった。残された子鹿が親の鹿の言葉を理解したのは、身投げされて半年過ぎてからだった。残された仔鹿は、親が死んでも泣きも嘆きもしなかった。何故なら、ここで後悔や悲しみを露にしたところでと頃でなにも起こらないことはわかっていた。この鹿は、親と比べて夢を見ず賢かった。それからというものその鹿は成長するにつれ、偽りの面をかぶるようになった。当たり障りの無い完璧に近しいその仮面の下には、契りを破る人間に向けた
その地が血と憎しみの香りでいっぱいになった。そこら中に誰のか分からない血痕がこびりついて、神獣たちはあの落ち着いて凛々しい顔立ちを失っていた。ここからだ、人間の世で力を握るためには争いが欠かせなくなったのは──。
その地から人間が撤退し、神獣たちの身が血で汚れている中、気を利かせた避邪と天禄が子を残して崖から身を投げた鹿を少し離れた下流から引き上げてきた。
神を信じる人間とは違い、神獣は何を信じて自信をつけるべきなのか。やはり、ここは自らの力に自惚れる他ないだろう。そうしているうちに悲劇はまた起こった。
とある疫病が彼ら神獣たちを襲ったのだ。それも獲物を狙っていたかのように、
『第一に、獣の血を引く"個体"は人型になってはならない。第二に、人間は憎き存在であるからにしてこの村に人間が足を踏み入れたり、存在することを禁ずる。』
それはつまり、獣は獣として人間と一切接触せずに生きよ、と言うことだ。その言葉は、世の不条理を具現化したような理不尽さがあった。そこの村に共存していた人間は一人残らず首を飛ばされた。その
──この悲劇が生まれたのは、ほんの小さな優しさからだったのだ。
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