私の願い

龍槍 椀

第1話 『 私の願い。』

 お題頂戴 『私の願い。』


 何時もの生活、何時もの面子。 そして、代わり映えの無い時間が続く味気なく続く毎日。 閉塞感も、鬱屈感も何もかもが私に降り積もっていく。砂を噛むような毎日に只々嫌悪感が募り、何かを変える力すら私には無い事に絶望感すら思える。

 

 同僚との会話よりも、一人でスマホをいじる時間が長いのも、人と関わる事に忌避感を覚えているから。


 なんでこんな事に成ったのか。

 なんでこんな私に成ったのか。

 そんな事、私には分からないのよ。


 溜息が一つ落ちる。


 終わらない仕事を残業で熟してようやく、家路に付くのは既に一般の家の団らんと云われる時間を超過しているのよ。コンビニで買える直ぐに口に出来る出来合いの冷たいご飯は、私の作る自炊のご飯よりもおいしいのが癪に障る。それもまた、だれにも非難されない事でも有るわ。だって、一人で生きていく為に得る給与は、只流されて行くだけでは掴み取れないから。


 家に帰って、靴を抜ぎ揃える事すら面倒なの。 コンビニ袋をテーブルに投げ出し、服を脱ぎ捨てつつ風呂場バスに向かい、シャワーを浴び、身体に粘り付く『もの』を洗い流して行く。流れ落ちるシャワーの水流が、身体を伝い落ちていく感覚が、少しだけ私の心を軽くする。


 ――― ただ、ソレだけの事。


 シャワーを浴び終え、頭からタオルを被り、身体を拭きつつ、部屋に戻りつつ、クローゼットから下着を取り出した。いつもの下着が収められている引き出しの端に、とっておきの下着も有るのだけれど、それを付ける様な気分じゃない。十把一絡げで幾らな下着を付け、楽な部屋着を着たのね。


 ここからは、私の時間。


 コンビニ袋からお弁当を取り出し、電子レンジに仕掛けてから冷蔵庫を開ける。中には、ほぼ贖罪は入っていない。そのかわり、ダース単位でのビール缶が並んで私を待っているわ。ええ、それもトール缶。 その中の一つを取り上げて、テーブルに乗せる。 何も考えずプルトップを引き、開けた。


 プシュ


 その音に僅かな幸せを感じたの。トール缶の中身は、直ぐに喉を通りお腹に落ち込んでいく。 幾許かの時間が経てば、トール缶の半分ほどは胃の腑に落ちていき、チンと云う電子レンジの音が食べ物の準備が終った事を私に知らせて来たわ。 ガチャンコと電子レンジの扉を開け、ホカホカになったお弁当を取り出す。蓋を開けて、ビールの摘まみとして幾つかを口に放り込んで、ようやくホット一息付けたの。


 完全にルーティンワークね。 毎日此れの繰り返し。


 別段、悲しくも無いけれど何処かしら寂しくも有る。なにか…… 何かないかな…… そんな思いは、自然とノーパソの電源に向かう。何時もの動画サイト、何時ものSNS。 巡回をしている画面は、記憶されている為か、同じようなモノ。ここでもやっぱり、日々の行動を積み重ねて、それをトレースしているだけなのかもしれない。


 ボンヤリと眺めていた画面には、激動の世界が映し出されているけれど、どこか他人事のような、虚無感を感じているのも又事実。


 何処かの国が隣国に武力侵攻した。

 何処かの政府の要人が、民衆により打倒された。

 政府の要人が、背景に何もない者に狙撃され、その要人の暗殺が成功した。


 現実感の無いニュース動画幾つもアップされて行くのは、もう、完全に別世界の出来事のようだったの。誰にも知られていない、秘密の情報と云う様は、戦場の街角での切り取り映像が拡散されて行く。SNSにすら、そんな情報が回ってくることに、自分の世界が「その他の世界」と少しだけ関りを持っているのだと、実感を抱かせてくれた。


 ――― でも、それだけ。


 現実感は何処までも迷子のまま、時間だけは過ぎ去っていく。ネットで波乗りをしている私は、私であって私でない。多分、私を模した、アバターの所業でも有ると、妙に俯瞰した視点で理解していた。そう現実世界からの浮遊感が私を掴んで離さなかった。






 ――― § ―――






 異変は、些細な事から。 幾つかのサイトから、悲鳴のような声が紡ぎ出されたのよ。



「た、助けて!」

「な、なんなんだアレは!!」

「何が起こっているの!!」


 沢山の…… 本当に、沢山の悲鳴が重なる。 スマホの通知がさっきから止まらない。 スマホに手を伸ばす事は無い。 何故なら、動画サイトの映像が、非現実な情景を映し出していたから。 燃え盛る街。 倒壊するビル。 脱線し高架から転げ落ちていく、何時も乗る電車。高速道路上も阿鼻叫喚だった。何が起こっているのか、全くわからなかった。理解の範疇を完全に逸脱していたの。


 震える手で、次々と動画を開ける。 


 映し出されるのは…… 悲惨な情景。手足を捥ぎ取られ、路上に転がる死体、死体、死体。 その内、それすらも映し出されなくなる。 ライブと云う名の、リアルタイム投稿者の配信が突然途切れる。その直前、眩い光が画面全体を覆い尽くしたのは、何故だろう?


 現実世界の私の周囲でも、非現実的な音が流れ始めた。緊急車両のサイレンや、悲鳴や怒号。 マンションの下位かから聞こえる、変な叫び声すら…… 一体何が? 何が起こっているの?


 突然聞こえ始めたのは、知らない警報音。 お腹に響く重低音の、不快感を催すサイレン音。 何なんだろう? 不愉快で、無性に不安感を煽るあの音は。


 サイレン音が鳴り始めた後、ネット動画に緊急の文字が並ぶライブが映し出される。 思わずそれを押してしまった。 事の成り行きがどうなって居るのかを知る為に………………



“ 宣戦布告です。 宣戦布告です。 隣国より、長距離ミサイルによる首都攻撃が始まっております。 政府は国軍に対し、防衛出動を命じました。 我が国は、戦争状態に入っております。 国民の皆さんは、出来る限り首都都市部より非難を開始してください。 繰り返します。我が国は戦争状態に入りました ”







 ―――






 ボロボロの服。 手足も切り傷や擦り傷、打ち身、捻挫でもう動かない。 壊れた自販機の横に座っているのは、最後になにか飲み物が欲しかったから。そんなモノは此処には無かったんだよ。 平和なんて、本当に幻影のようなモノだった。 帰る事が出来る場所を、私は放棄していたのよ。


 誰も、私の事なんて気にしていない。

 誰も、私の事なんて覚えていない。


 瓦礫と破壊の現実に、私は捕らえられ、そこから抜け出す術は何も無くったのよ。 全ては取り上げられ、何もかも無くし、とうとう最後に私に残ったモノまでも、失いつつある。 ボンヤリとし始め、干からびた唇が微かに言葉を紡いだのは、あれ程嫌悪していた日常への憧憬。


 言わずもがなの願い。 信じても居ない神様にお願いしてしまう。 なんて事なんだろう…… あれだけ、嫌悪していた日常なのに、こんなにも切望しているなんて…… 自分の口から漏れる言葉に、驚きすら覚えたのだけど…… もう、それも終わり。 既に、何もかもが闇に堕ちる。 だから、せめて、その前に…… 


 この願いだけは、口にしたい……


 それが、私が生きた証となるのだろうから……




「あぁ…… 神様…… お願いが…… あります。 『私の願い』は…… あの、何もない日々を返して…… 返して下さい……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の願い 龍槍 椀 @ryusouone

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ