第36話 ラグナロク

《ガハッ……!》

 

ケイルシールが地面に倒れ込む。

 

「篤男、さ、ん……」

「アツオ……」

《…………アイツカ………殺ス!!》

 

倒れ込みながらもケイシールは100ヤード先の篤男の姿をとらえていた。

 

《シ、ネ……》

 

近くの石を拾い風魔法で篤男に飛ばす。

 

「…………っっ!!」

 

それはスコープを通り抜け、篤男の頭を突き破った。


ニヤッ

母さん……俺、やってやったよ。

 

 それからあたりは手のひらを返したように静まり返った。

そこには命を賭してケイルシールを殺した英雄達が静かに転がっているだけだった。


7月5日12:48

八汐ルイ、生形篤男、ウォルフ死亡。


 

みなさん大丈夫でしょうか。

 

《マサカ私ヲ、二人共相手シテ勝テルトデモオ思イデ?》

「そうですね…………無傷は厳しいですね。」

《ヤハリ貴方ハイツマデ経ッテモ癪ニ触ル!》

「それはこちらのセリフ。少々度が過ぎますよ?今すぐに降参なさい。」

《ドウセ殺スダロ、前ミタイニナ。》

「……バレてましたか。もうあなたに神を名乗る資格はない。」

《ソレハ勝者ガ決メルコトダ。》


 天界は静寂を飲み込むように凍りついていた。

 

「──来なさい、ケイルシール。女神の名をもって、ここで終わらせる。」

 

 アエロスの声は静かだが、その澄んだ響きは天界全体を震わせた。声と同時に彼女の掌に一つの小さな光の粒が生まれる。


 粒はたちまち膨らみ、やがて輪になって天空へと伸びる。女神のみが使える魔法。自身を援助する領域を創り、体力、魔力を底上げする。

 

 ケイルシールの一体は、歪んだ笑みを浮かべて黒い紋章を空中へ描く。

 彼の指先から吐き出されたのは、

 腐食の雨『奈落滴』。

 黒い雫が弧を描いて落ち、触れた者の光を蝕む。空間の色が、一瞬で暗く滲んだ。

 

 アエロスは軽く眉を寄せ、羽ばたくようにして位置を変えた。羽音はただの風ではない。彼女の羽は一歩で数十メートルを越える移動を可能にする。

 その瞬間移動を軸に、彼女はすぐさま反撃の構えを取る。掌から放たれたのは銀白の鎖。

 氷のように冷たい鎖が、ケイルシールの脚を絡め取ろうとした。

 

が、

 もう一体が破壊の詠唱を行う。

 

 『影葬』という呪詛が響くと、銀の鎖の輪郭が濁り始め、やがて半透明になっていった。光を纏うものでも、触れられた部分から徐々に浸食される。アエロスの視線が鋭くなった。


 アエロスは深く息を吸い、胸の中心で青い結晶を膨らませた。『慈雨の赫』——癒しと攻撃を兼ねた女神の秘術。

 結晶が破裂すると、薄い青の滴が天へと昇り、空間の瘴気を洗い流す。

 そして、奈落滴の腐食が収まった。

 

 再び魔の波がぶつかる。ケイルシールの二体は連携を変え、片方は領域を歪める『虚空旋律』、もう片方は投射型の猛撃『冥焔粉砕』を放つ。

 虚空旋律が場の座標をねじ曲げ、投射された冥焔は予測不能な軌道で宙を舞った。

 アエロスは咄嗟に光の矢を幾重にも織り合わせる。光は冥焔を受け止め、小さな爆発を起こして空気を叩いた。

 

「悪魔が連携なんてするんですね。」


 戦いは次第に凄まじさを増していく。魔法同士がぶつかるたびに裂帛の音が鳴り、砂塵と光の雨が視界を削る。観る者の魂まで震わすような圧が戦場に満ち、地表は亀裂が入り、古い像は欠け落ちる。

 

「これで終わりです!」

 

 彼女は詠唱を重ね、掌を高く掲げた。空が一瞬、青と金で帯電する。『蒼穹断章・終章=天絃断』。

 天の弦を弾くような一撃が生じ、巨大な光刃となって地面を裂く。ケイルシールのうち、先に飛び出した一体がその刃に巻き込まれた。黒い外套が弾け、影が吹き飛び、悲鳴のように歪んだ笑いが消えた。


「お終いです!」

《我ガ同胞ヨ……》

 

 そこには黒焦げになり、もはや原型をとどめていない何かが横たわっていた。

 アエロスは深く息を吐く。だが彼女の顔には安堵はない。魔法は彼女の体力を削る。神といえども無限ではない。

 

《ソノ力私ガ使ワセテモラウゾ》

「なにっ……!」

 

 倒したはずのケイルシールがもう一体のケイルシールに吸収されていく。

 体が一回り大きくなり、別の何かへと進化を遂げる。

 

《アエロスヨ。オ前ニハ面白イ終ワリヲ与エテヤロウ。》

 

その声は砂にまみれた鉄のように冷たい。

 ケイルシールは最初の戦術とは違い、もっと狡猾な詠唱に入る。彼が紡ぎ出したのは『裂界ノ螺旋』と名付けられた禁呪——世界の境界を裂き、その裂け目から別次元の悲鳴と瘴気を引き寄せる魔法。

 裂けた小さな裂け目から、無数の影が出現する。

 その影は形を持たない刃となり、触れたものの存在そのものを削り取る。

 アエロスは直感的に盾を張る。光の円盤が彼女を包んだ。だが、その円盤に裂界の刃が触れると、光が痩せていく。

 

「っっ……!見えない……」

 

 裂界は「消去」の摂理を持ち、通常の防御では無効化されてしまう。アエロスの呼吸が浅くなる。彼女は急いで別の魔を準備する

 ——しかし、そこで致命的なことに気づく。先ほどの大技で消耗した分だけ、彼女の反撃の余力は少なくなっていた。


 ケイルシールは最後に笑みを浮かべると、彼の指先から黒曜の槍が生まれ、空間を切り裂いてアエロスの心臓へと一直線に伸びる。

 虚禍穿突——生体の聖域を無理やり穿つ魔術で、神聖な保護をも貫くと伝えられている禁忌。

 周囲の空間が断絶し、風は止まり、全ての音が吸い込まれたかのようになった。

 アエロスはすべてを賭けるようにして掌を前へ差し出した。『聖光簒奪』、女神の最上級の護法。彼女の全霊をそこへ注ぎ、光の壁を築いた。光は確かに強かった。黒曜の槍はその前で真っ二つに割れ、砕け散るように見えた。

 

 しかし、虚禍穿突は単なる物理や視覚の武器ではなかった。光の壁に触れた途端、構造をそのものを破壊した。

 

「なにっ……!」

 

 叫びはしたが、声は遠かった。魔力が完全に枯渇し、アエロスの視界が徐々に崩れ、世界の輪郭がぼやけていく。

 

《終ワリダ》

 

 ケイルシールは近づき囁いた。

 

《神モ、滅ブノダヨ。結局ハコノ世界ト同ジ、消耗スル存在ニ過ギナイ。》

 

 彼が指を一つだけ鳴らすと、アエロスの体を包んでいた光がゆっくりと溶け、青い羽根が一枚ずつ剥がれて空に散った。その羽は生きた星の欠片のように煌めき、しかしどれも静かに闇へと落ちていった。

 

《死ハ尊イ。アレホド傲慢ダッタオ前モ死ヲ目ノ前ニスルト赤子ニ戻ッタカノヨウニ、震エ、怯エテイル。》

 

 最後にアエロスは空を見上げた。彼女は微笑もうとした——それは祝福か、後悔か、あるいは諦観か。言葉は紡げなかった。ただ一つ、彼女の掌に残った光の筋がゆっくりと消え、影が全てを飲み込んだ。

 

「うつてなしか……。」

《死ネ。》

「がっ…………!」

 

 ケイルシールがそう言うと、アエロスの体にカビがはえた。

 肌は徐々に腐り、体を蝕む。

 

《オット、コレハ失礼。楽ニ殺シテヤロウト思ッタガ、魔法ヲ間違エタ。》

「……外道が……」

 

 ケイルシールは静かに背を向けた。彼の足元で、倒れた女神はもう立ち上がることはなかった。戦場に残されたのは、砕けた聖光の破片と、散っていった羽の残骸。

 散った羽の一つ一つは冷たくなっていった。


7月5日12:31

アエロス・ヴァラザール死亡

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