声を上げて咲く春
高 神
第1話 止まった時間
毎朝のオフィスには、パソコンのファンの音とコピー機の低い唸りだけが響いていた。
佐伯俊介(さえき しゅんすけ)は自分のデスクに腰を下ろし、上司から指示された書類整理を淡々とこなしていた。
仕事に不慣れなわけではない。ただ、提案することもなく、工夫を凝らすこともなく、与えられた指示を守るだけ――それが自分の役割だと決めつけ、そう信じ込んでいた。
「もっと積極的になれ」
上司には何度もそう言われてきた。
同期が次々と新しい案件に挑戦する姿を横目に、俊介はうつむいたまま立ち止まり続けていた。変わろうとしなかった――いや、変われなかったのだ。
そんな俊介に、総務課の先輩・石川さんは笑顔で声をかけてくれた。
「俊介、何事も経験だからやってみな」
いつも優しく、さりげなく背中を押してくれる人だった。
夜。自宅の小さなアパートに戻ると、灯りを点け、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。テレビのバラエティ番組をぼんやりと眺めながら、気の抜けた時間を過ごす。そんな毎日が、ただ延々と繰り返されていた。
「……俺、このままでいいのか」
思わず漏れた独り言に、答える者はいない。
結婚、子供、家庭――未来を思い描こうとしても、何ひとつ浮かんでこない。自分には縁遠い世界だと、最初から諦めていた。
それでも、不思議と石川さんの笑顔だけは心に浮かんでくる。
――変わりたい。
――けれど、変われない。
その矛盾を抱えたまま、同じ日々を繰り返していた。
もし何か大きな出来事が起きれば、自分は変われるのだろうか。
事故、出会い、喪失、あるいは奇跡のような瞬間。
俊介の人生は、止まった時計のように動きを失っていた。
だが、その針がある日突然、確かな音を立てて動き出すこ
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