太陽みたいに明るい未来

第46話 揺心

「マリちゃんと、別れた……?」


 文化祭が終わって、クラスの打ち上げも終わって、祭りの熱が冷めやらぬ中僕らのマンションまで戻ってくると、『ちょっと話がある』とスズに言われたので、その足で彼女の家へと向かった。

 リビングのソファで、なんとなくいつもと違う張り詰めた空気を感じ、膝の上で手を組んで座っていたボクに、スズはひどくあっさりと、こともなげにそう告げた。


「え、うそ。いつ?」


「昨日」


「きのう!?」


 嘘だ。だって今日一日、あんなにいつも通りだったのに。


「文化祭が終わるまでは、アンタに言わないようにしようと思って」


「だ、だからって……」


 あんな、自然に振る舞えるものなのか……?

 いや、言われてみれば自然とは言い難かったかもしれない。記憶を巻き戻してみれば、確かにスズもマリちゃんも、どこか違和感があった。

 なるべくボクらを平等に扱おうとしていたスズが、今日に限ってはボクにばかり構ったり、過剰なほど距離を詰めてきたりしていた。マリちゃんはマリちゃんで、今日はスズに絡みにいかず、後半はずっと真魚ちゃんと行動していた。あれは、そういうことだったんだ。


「どうして……?」


 色々と言いたいことはあったが、喉から絞り出せたのは純粋な疑問だけだった。


「私が悪いのよ」


 台所から出てきたスズは、お茶が入ったグラスが二つ乗ったトレーをソファ前のローテーブルに置く。カタリ、と氷がグラスに当たる乾いた音が、静寂のリビングに響いた。

 スズはボクの隣にどかっと座り、天井を仰ぐ。


「私ね、三人での未来ってのが、全然見えてなかったの。将来三人で過ごしてる姿が、どうしても想像できなかった」


「未来……」


 夏休みの旅行。水族館でラッコを見た時の光景がフラッシュバックする。

 あの時、少しだけ様子のおかしかったスズ。

 『おばあちゃんになった後も、あんな風に仲良くできたらいいですね』

 そう言われた時、スズの横顔に差した暗い影が、脳裏に蘇る。あの時から、スズはずっと考えていたのか。


「私、きっと二人分の人生は背負えない。本当はもっと早くこうするべきだった。……あんないい子、いつまでも二股クソ女のところに居させちゃダメよ」


 スズは、毅然とした態度で言い放った。

 そこに後悔の表情は微塵も含まれていなかった。まるで自分は正しいことをしたとでも言うかのように。


「なんでだよ……」


 たくさん言いたいことがあったのに、それしか言葉が出てこない。

 全てを拒絶して、暴れまわりたかった。なんで勝手に決めるんだ、なんで相談してくれなかったんだ、と。

 でも、脳裏に浮かぶのは、執事喫茶でのあの光景。

 「すぐ感情的になるのは悪い癖ですよ」と言ってボクらの手を取り持った、マリちゃんの聖母のような笑顔。

 あの時、マリちゃんは、もう――。

 彼女はどんな気持ちで、ボクらの手を繋いだんだ。


「……マリちゃんは、どうなるの」


「真魚と付き合うことになったって。さっきメッセが来た」


「……は?」


 思考が停止する。


「大事な用って、そういうことかよ……」


 頭が痛くなってくるような感覚に襲われる。

 どうして二人とも、そんな簡単に割り切っちゃえるんだ?

 昨日の今日で、幼馴染と付き合う? スズはそれを「よかったね」で済ませる?

 ボクたちが過ごしてきた時間は、そんなインスタントな切り替えができるほど軽いものだったのか?


「……すこし、時間が欲しい」


「……うん」


 ボクは出されたお茶に手をつけず、逃げるようにスズの家を出た。


 寒い。

 ドアを開けて外に出た瞬間、冬の始まりの冷たい空気がボクの肌を刺した。

 文化祭の熱気なんて、もうどこにも残っていなかった。


 恋人が、二股相手と別れた。

 ボクだけを選んでくれた。

 普通なら、嬉しいことのはずだ。ガッツポーズをして喜ぶべき結末だ。

 普通なら。

 『普通なら』か。この期に及んでそんな言葉がボクの前に立ちはだかる。


 今は何も考えたくはなかった。何も考えられなかった。

 次の日、ボクは一日中、ベッドから動くことができなかった。




―――




 丸一日寝込んではいたものの、月曜日にはどうにか学校へ行ける精神状態ではあった。

 なんだか、思ったより冷静な自分がいて驚く。

 心が麻痺しているだけなのかもしれないけれど、涙は一滴も出なかった。

 もしかしたらボクも、いつかこんな終わりが来ることを心のどこかで覚悟していたんだろうか。

 それとも、由比先輩の占いが暗示した『太陽みたいに明るい未来』を、心の底から信じてしまっているんだろうか。

 きっと、後者だといい。ボクとスズとマリちゃん。三人が幸せになれる未来を、ボクは信じていたい。


 ボクがいつものように感情任せにギャアギャア泣き喚いて暴れ散らかしたとして、スズは全部受け止めてくれるだろう。

 そうすればきっと多少は気持ちがスッキリするんだろうけど、今回ばかりはそうはいかない。

 ちゃんと、二人の考えを聞いて、受け止めて、それでも納得いかなかったらスズの家で思いっきり暴れよう。


 放課後。


 ボクはまた、一年生の教室――マリちゃんのクラスを訪れていた。

 空いている教室のドアからそっと中を覗き込む。

 そこには、ボクがマリちゃんの母親のことで相談を受けたと同じように、真魚ちゃんと楽しそうに談笑しているマリちゃんの姿があった。


 ただ、あの日と違うのは、二人の間に流れる空気が、どこか甘やかで、完結していることだ。

 ボクの入る隙間なんてないように見えた。


 教室の前でじっと待っていると、こちらの視線に気づいた様子で、マリちゃんが顔を上げた。

 彼女は真魚ちゃんに何か短く話した後、鞄を持ってボクの方へ歩いてくる。


 真魚ちゃんはそんな彼女の背中を、不安そうに見守っている。

 その視線に、胸がチクリと痛んだ。


「ネコ先輩。わたしに御用でしょうか?」


 教室から出てきたマリちゃんの声は、いつも通り穏やかだった。


「うん。ちょっと話せる?」


「いいですよ。私も先輩にご報告しなければいけないことがありますし」


「わかった。……場所変えよう」


 ボクはあの日と同じように彼女を連れて学校を出た。

 向かう先は、あの日と同じ駅前のカラオケボックスだ。

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