第33話 入部届とタロットカード

 さすがに、足取りが重い。


 放課後、ボクはトボトボと映研の部室に向かって歩いていた。

 スズは内緒にしろと言っていたけれど、あんな話を聞かされて平然としていられるほど、ボクは図太くない。


 尊敬する先輩の助けになってあげたいと思うけれど、ボクに何ができる?

 ボクなんてただの部外者で。このまま助っ人助監督として求められることにさえ答えていれば、先輩はそれで満足してくれるだろう。


 けれど……。

『普通の青春がしたい』なんて言って、軽い気持ちで参加した映画撮影。

 お客様気分で青春の美味しいところだけつまみ食いして、はいサヨナラって。それはいくらなんでも虫が良すぎるだろう、桜木祢子。


 ボクに先輩の問題を解決してあげられるだけの能力はない。

 だからって、何もせずに見守っているだけなのも嫌だ。

 いまや映研が学校での先輩の唯一の居場所だって言うなら――。


 足が止まった。


 部室の前に、行くべきところがある。




 ―――




「すみません、遅くなりました。由比先輩」


 ボクが映研の部室に入ると、由比先輩は既に一人で作業を始めていた。

 真魚ちゃんや桂樹さんの姿はない。クラスの方の手伝いだろう。


「大丈夫よ。来てくれてありがとう、桜木さん」


「ええと、作業を始める前に、いいですか」


 ボクはカバンの中から一枚の紙を取り出した。

 直前に職員室に行って手続してきたそれを、由比先輩に手渡す。

 そこに書かれた文字を見て、由比先輩は目を丸くする。


「あら、これって――」


「撮影、楽しかったので……。来年は、ボクが監督で映画を撮ります。だから、編集も教えてください」


 由比先輩は、ボクが手渡した入部届とボクの顔を交互に見て、目をぱちぱちとさせ、しばらく呆然としていたが、やがてくしゃっとした笑顔が咲いた。

 初めて見る笑顔だった。


「ありがとう、桜木さん。私はもうすぐ引退だけど――それまでの間は、よろしくね」


「ボクも二年なんで、今日から一年しかいられませんけど。それまでは頑張ります。由比部長」


 ボクはお辞儀して、由比先輩の前の席に座った。


 ボクには人間同士のいざこざとか、そういった問題を解決できるような自信も能力もない。恋愛沙汰ならなおのこと。

 例えば先輩の話を聞いたことを打ち明けて、先輩から直接悩みを聞き出したところで、『うんうん、それはつらいね』なんて適当な相槌を打つのが関の山だろう。秘密を守ろうとしていたスズの努力も無駄にしたくない。


 ボクが先輩にできることと言えば、これだけだ。先輩が作って、先輩が三年間守ってきた同好会いばしょを肯定して、次の世代に継ぐ。

 来年も役者の真魚ちゃんと、カメラの桂樹さんはいる。脚本はまた、スズにでも頼めばいい。あとは監督が居れば、また撮れる。だから、ボクがそうなればいい。帰宅部だし、丁度よかった。



 部員としての最初の仕事は、映像の仕分け。素材整理だ。

 桂樹さんが撮った映像素材を外付けHDDにコピーし、ファイル名を整理。再生ソフトで映像をチェックし、NGテイクや使えないカットをリストアップする。

 ボクが部長のノートPCで夜間撮影の素材にファイル名を付けている間、部長はタブレットにキーボードとマウスをつなげて、既に選別の終わった昼間撮影分の素材から、使用するカットの開始・終了のタイムコードをスプレッドシートにリスト化している。


 肩がこる地道な作業だが、映画編集の序の口に過ぎない。

 夜間撮影可能だった18時間、全てカメラを回しっぱなしだったわけではないが、改めて膨大な撮影量を実感する。


 終わりの見えない作業だが、進めないことには終わらない。ボクは気合を入れて、映像の仕分けを開始した。


 30分ほど経った頃だろうか。

 不意に、先輩が口を開いた。


「桜木さん。手を止めないで適当に聞き流してほしいのだけど……ちょっとした身の上話をしてもいい?」


「身の上話、ですか?」


 唐突にきたな、と少し身構えてしまう。

 でも、よく考えたらもう一ヶ月以上一緒に頑張ってきたのだし、とっくにボクのことは信頼してくれているのかもしれない。


「そう……私ね、好きな人がいたの」


「へぇ……どんな人ですか?」


『いた』という部分に引っかかりを覚える。ボクは既にスズから色々聞いてしまったが、部長からしてみれば、ボクはこれまで部外者だった人間。知らないテイで問いを返す。


「まっすぐで誠実で、純真なの。こどもみたいな人」


「こども、ですか」


「そうよ。無垢で、穢れを知らない。誠実さには誠実が帰ってくると思ってるような人。私が守らなきゃって――ずっと思ってた」


 オカ研部長の『王子様系』という評判とは、少々印象が異なっているみたいだ。

 由比先輩は、その人のコトを他のみんなとは違った見方で見ていたんだろうか。


「ふふ、言葉にするとなんだか、見下しているみたい……。それがバレちゃったんだろうな。私が卒業後にもう会えなくなることを黙っていたと知った時の顔が、ずっと忘れられない」


「……」


 由比先輩はキーボードを叩く手を止め、タブレットの画面をじっと見つめている。


「きっと傷つくと思って、先延ばしにしていたの。――余計に傷つけちゃっただけだった」


「先輩は……いいんですか? そんなお別れの仕方で。海外に行くからって、今生のお別れってわけでもないでしょう」


「……じゃあ、桜木さんは、法月さんが海外に引っ越すことになったら、どうする?」


 由比先輩の視線が、ボクの眼にまっすぐに注がれる。

 ボクは手を止めて、彼女の視線をまっすぐ受け止めた。


「追いかけます。全力で。ボクの人生にスズがいないなんて考えられない」


 ボクの返答が予想外だったのか、先輩は鳩が豆鉄砲を食ったように、目をパチパチさせた。

 こんな風に即答しちゃったのは、ちょっとずるかったかもしれない。由比先輩はボクらの家族のことなんて何にも知らないのに。


「ああ……その、ごめんなさい。実はボクも、スズも、家族が海外で働いてて。ボクはお母さんと暮らしてるんですけどスズは両方海外で……。小さい頃は、何度も想像してたんです。スズがある日突然、お父さんお母さんと暮らすって言いだしたらどうしよう……って」


 スズはずっと一人暮らしだったが、突然彼女の両親がスズを海外に呼び寄せることなんて、これまでの人生でいくらでもあり得たことだ。


「そう……。幸せ者ね、法月さんは」


「部長は、考えなかったんですか? 相手の人が、自分のことを追いかけてきてくれるかも、とかって」


「ダメよ、そんなの」


 先輩は力強く首を振った。


「あのひとにはあのひとの人生がある。私がハリウッドに行くのは、私の夢のため。私の都合で、他人の人生を捻じ曲げるのはいや」


 由比部長は、もう一度ボクへと視線を投げかける。


「じゃあ逆に、貴女が海外に行くことになったら、どう? ついてきてほしい?」


「まあ、そうですね……」


 ボクは顎に手を当てて、少し考える。


「ついてきてほしいです。もし無理って言われたら、何とかして日本に残る方法を考えます」


「――ぷっ、ふふふ……」


 ボクの返答に、由比先輩は今度は、口を押えて笑い出した。


「ちょっと、何で笑うんですか」


「ふふ、ご、ごめんなさい。だって、あまりにもまっすぐ法月さんの方へ向かおうとするものだから――ふふふ。あなたって結構重いのねえ」


「重っ――!?」


 え、うそ、まって、ボクって……重いの!?

 ぜ、全然自覚なかったんだけど、ほんとに!?


「『スズはボクの人生』――ふふふ」


「言ってない! 都合よく改変しないでください!」


 ボクは思わず、机に両手をついて立ち上がってしまった。

 いやほぼほぼ同じニュアンスのことを言ったような気もするけど!

 顔がもうあっという間に耳まで熱くなるのを感じる。鏡を見たらさぞや真っ赤になっていることだろう。


 ちくしょうよく考えたら幼少期からずっと思いを募らせてる女ってそれだけでもう相当重い気がしてきたぞ。


「ふふ、ごめんなさい」


 ひとしきり笑った後、由比先輩は手を振ってボクに再び座るよう促した。


「ちょっと羨ましいわ。あなたたちのこと。きっとこの先、夢か恋かの二択を迫られるようなことがあっても、なんとかして両方を手に入れようとしちゃうんでしょうね」


「夢って言われても……ボクにはまだよくわかりませんし」


「じゃあやっぱり法月さんのお嫁さん?」


「クソっ違うって言いたいけど否定できねえ!」


「……ふふ、大丈夫よ、桜木さん」


 由比先輩は頬杖をついて、微笑む。


「法月さんの未来には、貴女の望むものがきっとあるわ」


「それは、どういう――」


 聞きかけて、由比先輩の特技がパッと頭に浮かんだ。


「――占ったんですか? スズのこと」


「フフ、脚本の報酬として、ね。でも他人の占い結果は教えない」


「それは、まあ、別に……知りたいわけじゃないですけど」


「じゃあ、あなたも占う?」


 ニコニコと笑みを浮かべながら、いつの間にか由比先輩はその手にカードの束を持っていた。


「いつ出したんですかそれ……。ボクは別にいいです。あんまり興味ないし」


「えーっ」


 由比先輩は不満そうに唇を突き出す。

 大概子供っぽいですよあなたも。


「だってほら。終わんないいですよ作業が」


 ボクがPCの画面に視線を向けると、由比先輩も同様に自分のタブレットに視線を落とす。

 まだ大量に残っている素材ファイルの山!

 部長はしばらく不満そうに唸っていたが、やがてもう一度カードの束を突き出した。


「じゃあ簡易的なのでいいから! 一枚だけ! さきっちょだけでいいから!」


「何の先っちょですか」


 このままじゃ終わらないなと思ったので、仕方なく一枚付き合うことにした。


「どこからでもいいから無造作に一枚引いて。あなたが知りたい未来を思い浮かべながら」


 未来……あんまり知りたくはないんだけどな。

 強いて言えばボクとスズとマリちゃんが将来どうなるかだけど。


「じゃあ……このカードで」


 ボクは真ん中あたりから一枚引いた。

 現れた絵柄は第19のアルカナーー。


「名付けよう、君のスタンドは! 『星の白金スタープラチナッ』!」


「どうみても太陽のカードだよアヴドゥル先輩」


 一瞬ボクらの作画が濃くなったような気がした。

 いや作画ってなんだよ。


 ボクが引いたのは太陽<ザ・サン>のカード。

 一応先輩は向きもバラバラにシャッフルしていたらしく、正位置の意味で取っていいらしい。


「太陽の正位置っていうと」


「ズバリ、あなたの未来は明るいってことね」


「それだけ……?」


 占いで評判の先輩にしてはなんか適当だな。


「あら、ちゃんとしたのが聞きたいのなら今からでも本格的にーー」


「わーわー、わかりました。いいから作業に戻りましょうよ」


 まだちょっと不満そうな先輩を宥めつつ、ボクは再び素材に名前をつけていく作業に戻った。

 それにしても、太陽か。明るい未来が待っていると言われたら悪い気はしない。


 未来……未来か。


「……そういえば話戻りますけど、先輩、その相手の人にちゃんと言ったんですか? あなたの未来じんせいを自分の都合で変えたくないって」


「……言うには言ったのだけど……」


 先輩は難しい顔をしながら、口元を抑える。


「お互いにワーワー言い合いになっていた時だったから、もしかしたらちゃんと伝わってはいないかも」


「それじゃあ、改めて話し合いの席を設けるとか」


「そうねえ……」


 部長は少し逡巡し、


「じゃあ、映画が完成してからね」


 とほほ笑んで、そのまま作業に戻った。

 由比先輩はこれ以上はこの話を続けたくなさそうだったので、ボクも改めて作業を再開した。

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