第14話 出立

静かな夜の帳が降り、灯りの柔らかな影が座卓を包んでいた。遥花、陽路、そして瑞穂の里の綴る者・結芽とその従者颯真が揃って、次なる行き先を話し合っていた。


結芽が口火を切る。

「次はどこへ向かうかを決める時ね。」


陽路が慎重に言葉を選びながら口を開く。

「はい。……この旅路、順路を決めるのは大切なことです。各里にはそれぞれ特色がありますので、行き先によって得られる経験も変わりましょう。」


遥花は頷きながらも、少し迷ったように視線を巡らせる。

「特色、か……。陽路は語る者として旅をしていたよね。各里のこと、聞かせてくれる?」


「はっ……。承知しました。」

陽路は姿勢を正すと、一つひとつ丁寧に説明を始める。


「まず――蒼篠の里。山と森に囲まれ、鍛冶を中心に栄えており、狩猟の文化が根付いております。また風に纏わる言霊も豊かに眠っております。」


「次に――悠真の里。ここは武を磨く場所にございます。従者などを志す者の多くが修業を積む、いわば鍛錬の都です。武器の扱いや戦の型を学ぶには最適でしょう。」


「そして――真澄の里。清浄の力を重んじ、水に関わる儀式や祓いが盛んです。穢れを鎮め、乱れた詞を正すことに長けております。」


「篝火の里は、守りの拠点。外敵を防ぐ役割を担い、厳しい規律と護りの力を誇ります。」


「最後に――華灯の里。芸能や物語の中心で、人々に詞を伝え残すのに大いに役立ちます。舞や語りを通して言葉を広げる、特異な里です。」


陽路の説明が終わると、客間にしばし静寂が訪れる。遥花は真剣な眼差しで考え込んだ。

ここ瑞穂では実際に綴る者の務めを見ることができた。次に私に必要なのは何だろうか…。

その時、脳裏に浮かぶのは――この世界に来てすぐに遭遇した“黒い影”。


「ねえ、陽路。初めてあなたとあった時に襲ってきた人達は、また襲ってくる可能性はある?」


「え!襲われたの!?」

結芽が思わず叫び、

「“禍ツ者”ですか?」

颯真も驚きの表情を浮かべている。


言霊の力を使い、世界を歪めて支配しようとする思想を持つ者。

陽路から、それが “禍ツ者” と呼ばれる存在だと聞いた。


「断言はできませんが、可能性は高いと思われます。」


「だったら……次は、悠真の里に行きたい。」

遥花はゆっくりと顔を上げた。

「詞脈の制御も大事だけど、もし襲われた時に、自分の身くらい守れるようになりたい。鉄扇も、ただ持っているだけじゃ意味がないから……基本的な扱い方を学びたいの。」


陽路が小さくうなずく。

「悠真は武の中心地。刀も槍も弓も、あらゆる武器の基礎を学べます。護身の術を身につけるには最適でしょう。」


結芽も優しく言葉を添えた。

「そうね。わたしは双剣を使っているけど、悠真の流派で鍛えられたものだよ。軽やかに扱えるから、護りながら動けるの。……遥花に合う護身の術も、きっと見つかるよ。」


「護身の術……」遥花は小さくつぶやき、胸の奥にじんわりと灯る決意を感じた。

自分の弱さを放置したままでは、大切な人を守れないかもしれない。


「……うん。行こう、悠真の里へ。」


その言葉で、遥花と陽路の視線が静かに交わり、次なる旅路が決まった。


翌朝に発つことが決まり、遥花の部屋に結芽が名残惜しそうにやってきた。


「さ、これをどうぞ」

結芽が差し出したのは、瑞穂の里で採れる香り高い穀酒をほんの少し。祝いと旅立ちの縁起を担ぐものだった。


遥花は盃を受け取りながら、柔らかく微笑んだ。

「ありがとう、結芽。あなたには、本当にお世話になったわ。」


「礼なんていらないわ。綴る者同士でしょう? ……でも、正直なところ、少し寂しいの。」

結芽は蝋燭の揺らぎに照らされ、頬を赤く染めながら本音を漏らした。


遥花は少し驚き、それからくすりと笑う。

「私もよ。もう少し、一緒に言霊を探していたかった。」


――しばし沈黙が流れ、結芽がふと思い出したように遥花を見た。


「ねえ、遥花。陽路のこと、知ってる?」


「……それが、あんまり……。」

遥花は視線を伏せた。


結芽はそっと微笑み、篝火を見つめながら語り出した。


「陽路はね、幼いころから綴る者の従者として修業していたの。……陽路のお母様が天響に戻られるたびに、遥花と旅をした話をしてくれたんですって。それを聞くたびに、『自分も遥花にふさわしい従者になるんだ』って、ずっと心に決めてきたの。」


遥花の目が、驚きと温もりに揺れる。


「……そうだったんだ。」


「ええ。そして、あなたがいなくなってしまった後も、陽路は『必ず戻ってくる』と信じ続けていたわ。だから、従者としてだけじゃなく、語る者の務めも自ら志願してこなした。あなたが帰ってきた時、少しでも役に立てるようにって。」


遥花は息をのむ。胸の奥に何かがじんと広がっていくのを感じた。

――陽路が、そんな思いを抱いて……。


結芽は軽く肩をすくめて笑う。

「だからね、遥花。安心していいのよ。彼はずっとあなたの味方。……たとえあなたが記憶を失っていても。」


遥花はゆっくりと盃を置き、真剣な眼差しで結芽に頭を下げた。

「教えてくれてありがとう。結芽……。あなたにも陽路にも、私は守られているのね。」


結芽は照れ隠しのように笑い、蝋燭の火に目を向けた。

「……もう、そんなに改まらなくてもいいのに。」


二人はしばし言葉を交わしながら、夜を共に過ごした。

やがて遠くで鳥の声が一声鳴く。夜明けが近い。


翌朝――

瑞穂の里の人々が集まり、旅立つ遥花と陽路を見送った。


「遥花、また会いましょう。次はきっと、もっと強い言霊を一緒に封じましょうね。」

結芽の声に、遥花は力強く頷いた。


「ええ、必ず。」


陽路と共に歩み出すその背に、結芽は静かに祈りを送った。

――どうか、この旅が実りあるものになりますように。

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