第7話:メディアと民衆

2004年3月14日(日)。


春休み前の週末で、街には人が溢れていた。


六本木アークの吹き抜けで開かれていた展示会場。


最新設備を一目見ようと群衆が押しかけ、狭い導線に無理やり殺到した。


人波の圧力がガラス扉を歪ませ、非常用の支柱に過剰な負荷がかかる。


設計通りに使われていれば何の問題もなかった構造が、群衆の「無茶」と「勝手」で悲鳴を上げ、倒壊を招いた。


一瞬の静寂。


次いで、悲鳴と怒号、駆け出す人の波。


――事故は偶発的で、ビル自体の責任ではなかった。


だが、世間はそんな事実を知ろうとしなかった。


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-メディアと民衆-


事故直後からテレビ局のカメラが押し寄せ、レポーターが血の跡を映し出す。


ネット掲示板には「未来都市の驕りだ」「アークは棺桶だ」と嘲笑混じりの書き込みが溢れ、ワイドショーは“責任追及”を煽り立てる。

街の人々もまた、哀悼よりも好奇の目を向け、群衆は「もっと撮れ」とカメラに声をかける。


“六本木アークは失敗だった”――誰かが吐き捨てた言葉が、いつしか合唱のように広がっていった。


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-真理子への飛び火-


事故現場とは直接関係のない、真理子の婚約者、勝俣の「こどもクリニック」にまで、問い合わせや中傷が殺到した。


「安全管理はどうなっているのか」「もう子どもを診てもらえない」――


電話口で泣き叫ぶ声が続き、事務局は麻痺した。

広報リーダーの相沢は産休に入っていたため、矢面に立ったのは真理子だった。


取材陣は「アークの顔」として彼女を追いかけ、フラッシュを浴びせ、コメントを強要する。


だが真理子の声は震え、言葉は途切れ途切れだった。


北原誠一は彼女の姿を見て即断した。


「これ以上、速水を表に出すわけにはいかない」


彼は真理子を早期に休職扱いとし、守るために前線から退かせた。


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-勝俣家の決断-


勝俣医師の家族にも火の粉は降りかかった。


「アークの一角にあるクリニックは危険だ」


「娘をそんな施設に通わせられるか」


世間の風評は容赦なく、医師の実力や家の格とは無関係に、婚約に影を落とした。


やがて「この縁談は続けられない」という結論が、当然のごとく突きつけられる。


真理子は言葉を失い、ただ頷くしかなかった。


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編集部でニュース速報を見つめるケンイチ。


画面には、泣き叫ぶ母親、怒鳴るキャスター、群がる人波。


その中で、一瞬、記者仲間が追い回す真理子の後ろ姿を見つけた。


彼は思わずメールを打つ。


《真理子、大丈夫か?

 ニュースを見た。

 君の事が心配だ。

 無理するな、連絡が欲しい》


だが、返事は来ない。


ただ、胸の奥に冷たい塊が残った。


――人は、群れになるとこんなにも残酷になるのか。

ケンイチはまだ記事にしない。


だが、この光景が、彼を“書かざるを得ない人間”へと変えていくことになる。


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桜が散り始めた街を、人々はもう、事故の熱狂を忘れたように歩いている。


葉桜へと移ろう頃には、ニュースは別の話題に移り、六本木アークもまた、ただの日常の建物に戻っていた。


――けれど、真理子だけは取り返しのつかないものを失っていた。

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