第1話:それぞれの春

仕事の始まり


2001年3月。


小野寺健一(ケンイチ)は飯田橋にある、出版社(代々木書房)に入社してから、1年経った。


配属されたのは週刊誌編集部。

芸能や事件の張り込みばかりで、理想に描いた「文学」にはほど遠い。


夜遅く帰宅し、煙草臭い原稿の束を抱えながら、自分は何をしているのだろうと思う瞬間もあった。


それでも、街を歩き、人と会い、記事にする作業のどこかに「物語の種」がある気がしていた。


---------


岸田達郎(タツオ)は大手町の商社(双和商事/通称:SOWA)ビルで、日々、海外部門の研修を受けていた。


希望は英米圏だったが、配属はメキシコ。


周囲には「出世コースだ」と言われるが、本人は半ば冒険に胸を躍らせていた。


サンディエゴに留学していた頃にかすめ見た国境の町ティファナ、その記憶がまた蘇る。


「行けるやん、俺」──そう思うと、仕事の厳しさも耐えられた。


--------


速水真理子(真理子)は社会人2年目。

アークトラスト株式会社で、六本木再開発プロジェクトに関わっていた。


資料の山、関係者との打ち合わせ、社内外の利害調整。


帰宅は深夜、週末も潰れることが多い。


それでも、新しい街が生まれていく図面を前にすると、体の奥から熱が湧き上がった。


「私の居場所は、ここにある」


その思いだけが、彼女を支えていた。


---------


再会の夜


3月の終わり、タツオが連絡をよこした。


「俺等が社会人になって、3人揃うの、初めてやろ? 

良い店見つけたんや。浜松町集合で」


ケンイチと真理子は指定された店へ向かった。


Bar 3rd Friday。


重い木の扉を開けると、ジャズの低音が流れ、琥珀色の照明が揺れていた。


カウンターに並んで座った3人は、まずは互いの近況を笑い合いながら報告し合った。


「週刊誌はなぁ……正直、しんどい。でも、街の鼓動が伝わってくるんや。悪くない」


ケンイチが肩をすくめる。


「俺はメキシコや、4月から。なんか楽しみやで。サンディエゴ時代もティファナで国境越えたやろ?あの延長や」


タツオはグラスを回しながら誇らしげに笑った。


真理子は少し誇らしげに背筋を伸ばす。


「私はね、六本木の再開発。まだ完成は先だけど、2003年には、六本木、きっと東京の街が変わるわ。大きなプロジェクトよ」


一瞬の沈黙のあと、3人の視線が窓の外へ向かう。


東京タワーの紅い光が夜空を貫いていた。


「……震災のとき、あの避難所やった高校の卒業式の中で誓ったやろ。

必ず、前に、未来に、進んでいくって」


ケンイチが口にすると、二人は黙って頷いた。


マスターがタイミングを見計らったように、新しいカクテルを置いた。


グラスの底は紅、上は透明な白。


「レッドスター。

東京の象徴である東京タワー、その上に、皆さんの輝く未来をイメージしてるんですよ」


3人はグラスを掲げ、声を合わせた。


「俺らの、これからの未来に──」


東京タワーの光は、まだ見ぬ道を照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る