8話 罪

「君は、本当に3年後、俺と結婚するつもりなのか?」




夕焼けがふたりを赤く染め、こんな素敵なシチュエーションにも関わらず、ヴァルクの心はまだそこなんだ。

少し残念な気持ちになりながらも、ゆっくりと頷くとヴァルクは大きな溜息を吐いた。



「10年前のことは覚えていないのか?」


「10年前?」


「俺はあの日の君を忘れられない。」



(10年前といえば、たしか戦争が集結するきっかけになった敵将を彼が倒して、伯爵位を授かった頃よね?

アメリア王女はまだ8歳?私が奉公に来た頃だけど……なにかあったかしら?王女から伯爵の話を聞いた覚えはないけど)



「あなたが伯爵位をもらった頃ですね。

昔のことですので記憶が定かではありませんが、なにかありましたか?」


「俺は…なんの身分もない傭兵だった。戦いで武功を挙げるしか、成り上がることができなかった。だから、あの時も最高の気分で王宮へと上がった。

敵将の首をホルマリン漬けにした瓶を抱えて、これは俺がやったのだと、あの場にいる全員に見せつけるつもりだった。」



(ホ・・・ホルマリン?怖すぎるんだけど)


「いまでも、覚えている。布を取り、首を掲げたときの、君の顔を。」



ーーーー


戦場から持ち帰った首を掲げ、王の前に差し出した。王は玉座にて大きく笑い、周囲の将兵は一斉に歓声を上げる。

「よくやった! これで戦も終わりだ!」

喝采と勝利の熱気に広間は揺れた。


誇らしかった。

何者でもない自分が、この場で最も称されるべき人になったことが。

だけど、そんな気持ちも小さな彼女を見て、消え失せた。


王の隣に控えていた子どもたち。その中で一番小さな王女――。

幼い肩を震わせながら、彼女は何も言わず、ただ真っ直ぐに睨んでいた。


隣にいた王子たちは最初こそ青ざめて小さな悲鳴を漏らしたが、すぐに「本当に敵将なのか?」「首はどのように切ったのだ?」と好奇に満ちた声を口々に上げ始めた。


その騒めきの中で、ただひとり王女だけが泣き声も悲鳴もなく、幼子らしからぬ静かな拒絶を全身に纏っていた。


広間いっぱいに響く歓声も喝采も、彼女の視線の前では色を失っていく。


誇りとして捧げたはずの首は、いつの間にか己の罪を示す証に変わっていた。


ーーーー


「それから数年がかりで隣国との同盟が締結して、アレクサンダー王子が君の婚約候補として名が上がった後に、俺のところにも話が来た時はゾッとしたよ。


王は、ユーラシアを牽制するために、あえて王子と同時に俺を候補に入れたんだろうが……

君が、あの時の俺を許してくれるとは思わなかったから、申し訳ないと思っていた。」




ヴァルクの視線が痛いーーー


いつもは鋭い視線が今日は違う。赦しを乞うわけでもなく、自らの罪に苦しんでいると告げている。



アメリア様がそんなことを体験したのは知らなかった。きっと私が奉公に来る前の出来事なのだろう。あの方は弱みを話すような人じゃなかったから、その恐ろしい出来事に蓋をしたんだ。

小さな王女にとっては残酷で……彼を嫌っても仕方ないことだと思う…だけど………



「あまり覚えていません。


…怖かったから、必死で忘れようとしたのかもしれません。

でも、あなたは命を賭けて戦ったのでしょう?

その成果を誇りに思って、何が悪いのですか?


だから、私のせいで苦しまないでください。

そして――私がもう二度と怖い思いをしないように…これからは隣で、守ってください。」


ヴァルクは息を呑み、しばし言葉を失った。


沈む夕陽がその横顔を赤く染め、影の中に彼の揺らぎを隠しきれない。

やがて肩がゆるみ、深い吐息と共に言葉が落ちる。







「ーーーわかった。約束しよう。」



闇に沈む空の中、ふたりを照らす最後の光は、確かにそこに残っていた。

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