Ⅳ.神様の作り方

1.

 からん、ごろん、がらん。

 眩しい陽光が降り注ぐ、葡萄の蔦と石造りの家が山をなすように密集する街に、ベルの音が高らかに鳴り響いた。

 ベルを鳴らしたのは、深紅の衣とヴェールを身に纏った男だ。胸にはシジュウカラにも、ヒガラにも、コガラにも見える鳥を模した金色のブローチを煌めかせていた。齢は三十代半ばほどで、金の髪をワックスで七三に固め、髭は一定の短さに調え、肌は小麦色に焼けている。男は口元には笑みを浮かべ、茶がかった目には涙を滲ませていた。

「ああ、今日はなんて素晴らしき日なのでしょう! 長い間、祈りを捧げてきたかいがありました」

 ベルの音のもとに集まる規則でもあるのか、気づけば周囲には人だかりができていた。誰も彼も髪は金色で、赤い衣とヴェールを纏っていた。鳥のブローチをつけている者は他にはいなかった。

 人々は男と同じように涙ぐんだり、破顔しながら、拍手をした。ある者はどこからか持ってきた花びらをあたりに吹雪かせ、ある者はラッパやドラムでファンファーレを奏でた。

 まるで祭事や祝宴のようになっていく状況の中心で、ベルの男ととともにいるのは、ふたりの旅人だった。

 一方は長身で、非常に美しい顔を持った、黒づくめの格好の男。

 もう一方は、成長の最中にある面立ちと独特な雰囲気を持つ、ぼんやりとした男。

 美しい男は露骨にげんなりとした表情を浮かべていた。ぼんやりとした男を見下ろしながら、「今すぐここを離れよう」と言いたい気持ちをぐっと堪えていた。

 ぼんやりとした男の方は、美しい男にもベルの男にも目もくれず、街の北の縁、海岸からいくらか高い位置にある鋭利な岬をじっと見つめていた。そこには白い塔がひとつ、ぽつんと建っている。

「まさか、私が生きているうちに、墓守様に相見える日が来るなんて」

 そんなふたりの様子をちっとも気に留めることなく、ベルの男はベルを腰に結び直すと、両手でぼんやりとした男の手を握った。

「墓守様、あなたは我々の神様です!」



 Ⅳ. 神様の作り方



 生まれ育ちに関係なく、専門養成機関での修行を経て大天使から認められ、貸し与えられる天使と手を組み、悪霊を抹消する処刑人。

 それと比べると、後出の存在かつ基本的に血統のみがなれるため人口も少ない墓守の知名度はずいぶんと低い。

 とはいえ、現れてからの歴史は短くはない。不完全な死の状態に陥ってしまった大切な者の魂が悪霊化し抹消される前に墓守に出会い弔われた、という経験がある者はそれなりにいる。彼らの中には墓守に対して強い恩を感じ、その存在を末代まで語り継いだり、周囲に流布する者もいる。

「私はこの街で第七三期神代かみしろを務めています、トルネと申します」

 先導しオリアスとユラを豪奢な邸へ導いたベルの男改め、トルネが深々とお辞儀をする。

 オリアスとユラは革張りのソファに座らされ、前のテーブル上には飾り切りが施された果実、魚介類の舟盛り、葡萄酒などが所狭しと並べられた。

「神代って?」

 オリアスが問うと、トルネはにこにこと答えた。

「神様の代わりにこの街を取り仕切る者のことです。三百年前、大陸を襲った悪霊災害により、この街にも多くの犠牲者が出ました。大天使様が降臨なさったおかげで、処刑人が生まれ、中央の方では悪霊災害は徐々におさまりましたが、田舎にはなかなか、救いの手が差し伸べられることはありませんでした。来る日も来る日も悪霊によって草木が焼かれ、疫病をまかれ、人心が乱されていく……事故や争いで、使命や切望を抱えたまま多くの人が命を落とし、不完全な死の状態の魂が溢れ返りました」

 まるで当時を見てきた伝道師のように、たっぷりの感情を乗せて、トルネは続ける。

「その大量の不完全な死の状態の魂はいずれ悪霊と化し、さらなる災害をこの街に齎すだろう……そう人々が恐怖していた折です、この街に墓守様が来てくださったのは! 墓守様はすべての魂を弔い、この街を救ってくださいました。それどころか、ひもじさに喘ぎ苦しむ民に食料を分け与え、焦土を入れ替え種を植え、狩りで家畜までも用意してくださったのです。この街はみるみる復興しました。墓守様はそれを見届けると、己が使命のために旅立たれてしましたが、それ以来、我々は墓守様をこの街の神様と定めました。このバッジもですね、墓守様が連れていた小鳥を模しているんですよ」

 この歴史はいったいどれだけ脚色されてきたのだろうか。

 すべてが嘘ということはないだろうが本当とも思えなさそうなそれにオリアスが少し思い馳せる間に、トルネは誇らしげに見せつけていたバッジを外した。

「ですがこのお役目も今日まで。あの墓守様以来の墓守様がこの街に来てくださった……ついに、神様が再び我が街に足を踏み入れてくださったのですから。さぁ、この街はあなた様のものです。物も人も、どうぞご自由にお使いくださいませ」

「いらない」

 ユラはきっぱりと言った。

「俺は養父が遺した旅程を辿りながら、不完全な死の状態の魂を弔うことを使命としている。この街は前者の記録にあったから通過しようと思ったまで。多少見て回ったら、出立する」

「そうですか……ああ、いえいえ、墓守様に使命があるのは存じております。そう仰るであろうことも想像はしておりました。過去の墓守様もそうでしたからね。誠に残念ではございますが」

「ですが」と、トルネは続ける。

「恩人たる墓守様という存在にひとつの義理も果たさず見送ったとなれば、この街は一体どうなってしまうでしょう」

「どうって」

「そう、恩知らずの末路はただひとつ、破滅です」

「……」

「もちろん、墓守様が我々にそれを望まれるのならば致し方ありません。墓守様は、私たちの恩人なのですから。しかし、墓守様になられる方はきっとおやさしい存在だと思われます。もし、この街のこれからの発展と安寧を少しでも望んでくださるのであれば、ほんの数日だけでも、私たちに奉仕させていただけませんか」

 ほとんど口を挟む暇を与えることなくトルネは宣い、しまいには額がテーブルにぶつかりそうなほど低く頭を下げた。

 過度かつ独善であれば、好意も悪意と大差ないことをオリアスは知っている。このままここにいては間違いなく、厄介なことになる。やはり今すぐにでもこの街を離れるべきだろうと、オリアスはユラの袖を引こうとした。

 だが、ユラの胸辺りから、かすかに、ちりと音がした。

 音の出どころは、ユラが養父から受け継いだ銀の羅針盤。蓋に繊細なタッチで彫られたキンレンカは、不完全な死を探知する羅針盤にのみ彫られている意匠だ。それを目敏く見つけたトルネに墓守と察され、ベルを鳴らされたというわけだった。

 その中の針が動いたのだろう。それすなわち、この近くに、不完全な死の状態の魂があるということ。

 ユラは墓守として、その魂を弔う使命がある。そして弔った後のユラは体力を使い果たし動けなくなる。

 ユラがオリアスをちらりと見た。オリアスは肩を竦める。それから、仰せのままに、という思いを込めた眼差しを返せば、ユラはトルネに向き直った。

「分かった。少しの間、滞在しよう」

「本当ですか!」

「だが、過剰な奉仕はやめてくれ。俺にはもう優秀な下僕しもべがいる」

 トルネの視線がオリアスに向く。

「分かりました。滞在の間はこの邸をお使いください。こちらは墓守様を迎えるために用意していた邸でして、いつ来訪があってもいいように毎日清掃を行っています。それから、歓迎の祝宴だけは開かせていただいてもよろしいでしょうか。今日は旅でお疲れでしょうから、明日の夜にでも。街の者は皆、幼い頃から墓守に救われた歴史を学び、胸に深く刻んで生きています。その方がせっかく来訪されたというのになにもしないとなれば、気が済まないですから」

「好きにしてくれ。それじゃあ——」

「ああ、それと! もしこの街を観光されるのであれば、西方にある書庫が大変おすすめですよ。あそこにはこの街の歴史と知識がすべて詰まっており、もちろん、件の墓守様のご活躍も事細かに残っております」

「……」

「特に見ていただきたいのは、書庫の窓ですね。その墓守様の歴史を絵に起こしたステンドグラスにしたものが嵌められておりまして——」

 トルネは良く回る舌でこの街の見どころを語っていく。一段落したところでオリアスが切り上げさせようとしたらだいぶ不満げな表情を向けられたが、ユラが「見る場所は自分で決める」と言えば、渋々引き下がった。そして、先のユラの言葉を忘れたのかと思うほどに、「なにかあれば誰にでも遠慮なくお申し付けください」と熱心に念を押すと、トルネは名残惜しそうにしながらもようやくその場を辞した。

 ユラは羅針盤を開きソファから立ち上がる。

「それじゃあ、弔いに行くぞ」

「体力が尽きて明日の祝宴に出られなくなったら、またあれこれ言われるぞ」

「偶像崇拝の小言より、不完全な死を弔うことの方が大事だろう」

 不完全な死の状態にある魂は、漂いやすい。時間が経てば羅針盤で探知できないところに遠ざかってしまう可能性があるし、いつ悪霊になってしまうかも魂によってまちまちだ——だが、それにしても、偶像崇拝の小言とは。なんともまぁ、はっきりと。オリアスはくつくつと喉を鳴らし、ユラの頭をわしわしと撫でた。

「まぁ、優秀な下僕しもべが少しでも回復するようにはサポートはするけど。万が一があったら、この街からずらかろう」

「ん」

 小さく頷くユラを見ながら、オリアスは先に見つめられたオリアスの瞳を思い出す。

 一時間にも満たない交流で分かるほどの、真っ直ぐに歪んだ信仰。オリアスとを捉えたトルネの瞳の奥でちりついた火花——厄介なことにならなければいいが。

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