イヤホンからはジェイソン・ムラーズのアルバムが流れている。
イヤホンからはジェイソン・ムラーズのアルバムが流れている。僕はピンクを着たオタク、ギーク・イン・ザ・ピンクではなく黒を着た受験生だ。受験の間、千葉の親戚のおばさんの家に泊まる選択肢もあったけれど、試験より泊まるほうがつらいと思ってホテルに泊まらせてもらった。受験校は数を二校まで絞って学部別に複数受けている。残り一校。出来は良くもない。試験のその場の体感でうまくいったと感じられるほどの勉強をしてきていないせいもある。勉強も体力がいる。ほどほどしかしていない。基礎体力だけで受験に挑むようなものだ。
「お待たせしました。ベーコンエッグバーガーのセットです。」
ずっと憧れていたハンバーガー。新宿駅からホテルまでの道にファーストキッチンがあった。ファーストキッチンのポテトには味がつけられると知った。こんなおいしい食べ物があるのかと本気で思った。ホテルの部屋に着いてコンソメ味のポテトを無心で貪る。頭が幸福を味わう。ハンバーガーセットに酔っている僕だ。
昨日の話。
「はじめまして。」
でへへと笑う男の子がいる。
「はじめまして。」
てへへと笑う僕がいた。二歳上の受験生のこの子が僕の初彼氏。会ったことはなかったけれど、顔と声は知っていた。ネットの掲示板で知り合って、交際前提で会う約束をしていた。
「モノレールで行く?こっちだよ。」
彼は音楽関係の専門学校を中退したあと大学を目指していて、もう入試の結果待ちの段階だ。
この星が平らなら出逢えてなかったという、坂本真綾の曲を聞きながら東京に向かった。僕らの性指向がストレートならおそらく出会っていない。男と女で付き合える僕なら、出会えなかった幸せがここにあると信じている。
「人多いね。」
「そうだね。」
礼太がすごく大人に見える。東京生まれで、当たり前に電車に乗って、知らない駅で路線を乗り換える。
「新宿は出口間違うと大変だよ。」
「よく道分かるね。」
「俺もちゃんと覚えてないけど。上の案内板見れば書いてあるから。」
そのままビジネスホテルまで案内してくれた。
チェックインを一人で済ませて部屋まで先に向かう。荷物を下ろしてから礼太を呼ぶ。ちゃんと好きなのか分からないまま、初対面の相手とシャワーを浴びて簡単なセックスを初めてした。
「作ってきたんだ。遅れたバレンタインデー。」
礼太が、カットされたバナナのパウンドケーキをバッグから出す。ラップにくるまれたそれをベッドの上で食べる。
「おいしい。」
「良かった。」
素朴な味がした。それほど好きではないパウンドケーキも、気持ちが嬉しかった。
「明日の試験がんばって。」
礼太が部屋を出て、一人残される。テレビでは賑やかなバラエティ番組が流れていた。ホテルの部屋で一人いるのと、家の自分の部屋で過ごすのと大差はないはずなのに心細く感じた。カーテンを開けると、外には夜の東京が広がっている。
ロビーにあるコンビニで、夜ご飯にパスタサラダとサンドイッチ、コーラ、あと翌朝食べるおにぎりとお茶を調達した。ホテルを出る前に昼食も買っておかないとと思う。
駅の乗降者は多かったけれど朝の満員電車には巻き込まれずに済んだ。知らない場所で動くことのほうが新鮮で、試験自体は知っているような試験だったからか解く間の緊張はあまりしなかった。落ちたら落ちたでしょうがないと思っていた。大学に入ったあとの目的があるわけじゃない。勝負事に引いてしまうのは昔からだ。下位が落とされる勝負事の試験ですら、自分だけの問題のようだった。
「自転車、後ろ乗って。」
小学生以来の自転車に乗る。後ろ乗りだけれど。礼太の肩に掴まる。
「試験おつかれ。ケーキ買わない?」
試験科目が少なく、終えてもまだ夕方前だった。礼太の家の最寄り駅まで近かったので、そこで礼太と合流した。洋菓子店はおじいさんが一人でやっている個人店だった。
「どれにする?」
客数に合わせてか時間のせいか、少しずつ並べられたケーキが寂しかった。モンブランとイチゴを選んだ。礼太はチーズとチョコレート。
「俺さ、ご褒美に自分へケーキ何個も買って、待ちきれなくてチャリ乗りながら食べて帰ったことあるよ。」
「乗り食いだ。」
ケーキはハレの日の食べ物だ。誕生日に親が買ってくるもので、きまってホールケーキだった。モンブランはホールケーキで見かけない憧れのケーキだ。
「うち、今だれもいないから。」
礼太の家にお邪魔する。
「おでんあるけど食べる?」
「いいの?ありがとう。」
「適当に盛るね。」
「この白いの何?」
「ちくわぶ。」
「ちくわ?」
「ちくわじゃなくてちくわぶ。知らない?」
「初めて見た。あ、これおもちの?」
「うん、もち巾着。おいしいよ。」
「コンビニであるよね。家のに入ってたことない。」
「ほんと?一番好き。」
「分かる。」
初めて食べるちくわぶはもちもちとしていた。モンブランは洋酒のきいた味で美味しかった。食べ終わって礼太の部屋で抱き合った。礼太の部屋は足の踏み場がないくらい散らかっていた。
「今日の試験はどうだったの?」
「うーん。ふつう。」
「ふーん。」
結局、どの試験も不合格だったものの、運良く補欠合格になった成蹊大学に入学することができた。成蹊大は礼太の住む小金井に近いのが決め手だった。
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